投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月 5日(金)10時19分48秒   通報 編集済
戸田城聖全集 第3巻より

吾人(ごじん)も世界の大勢のしからしむところとはいえ、
極東の小国に世界中の十数カ国の兵隊が集まって戦争する朝鮮民族の運命が、不思議でならない。

政治家を持って論ぜしむれば、政治家の意見があり、国際観より見れば、
またこれ、理の当然の意見があるかもしれないが、朝鮮民衆が、たとえ一時期にせよ、あるいは永続的にせよ、
このように苦しみ、悩み、しかも世界動乱の縮図が、朝鮮なる小国に展開されているのが不思議でならない。

吾人の如き愚者(ぐしゃ)は、もちろん、なんのゆえかは知るによしないが、
御本仏日蓮大聖人の教えを少々知るが故に、その本源について考えをいたしてみようと思う。

すなわち、大聖人、立正安国論に、かかる悪国悪事のきたるゆえんを問いていわく、

「世皆正に背き(そむき)人悉く(ことごとく)悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り
聖人はところを辞して還りたまわず、是を以って魔来り鬼(き)来り災起こり難起こる言わずんば
ある可からず恐れずんばある可からず」(御書17㌻)と。

東洋に仏法おこって三千年、仏教流布して仏天の加護のあった時代は、つねに天下は太平であった。

一度仏法をうしない、仏法ありきといえども、形式的な教えで、仏がご出現の一大事の因縁を忘れ、
仏教の真髄を知る者一人もない時代の民衆も、

みな「正に背き(そむき)人、悉く(ことごとく)悪に帰す」

の御金言にあたる国で、仏天の加護をうしない、民衆が塗炭の苦しみにおちいるのである。

立正安国論にお引きになっている四教(しきょう)の一文、大集教(だいしっきょう)の文を、
次に述べることによって、今日の東洋のすがたをみようではないか。

「若(も)し国王有つて無量世に於て施戒慧(せ・かい・え)を修すとも我が法の滅せんを見て捨てて

擁護(おうご)せずんば是くの如く種(う)ゆる所の無量の善根悉(ことごと)く皆滅失(めつしつ)して

其の国当(まさ)に三の不祥(ふしょう)の事有るべし、

一には穀貴(こっき)・

二には兵革(ひょうかく)・

三には疫病(えきびょう)なり。

一切の善神悉く之を捨離(しゃり)せば其の王教令(きょうれい)すとも人随従(ずいじゅう)せず

常に隣国の侵にょう*する所と為らん、暴火横(よこしま)に起り悪風雨多く暴水増長して人民を吹ただよわ*し

内外の親戚其れ共に謀叛(むほん)せん、其の王久しからずして当に重病に遇(あ)い寿終(いのちおわる)

の後・大地獄の中に生ずべし、乃至王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官(さいかん)

も亦復た是くの如くならん」(御書20㌻)と。