投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール 投稿日:2017年 5月 4日(木)10時30分8秒   通報
戸田城聖全集 三巻より

三十八度線を中心にした朝鮮の戦争は、共産軍と国連軍の闘争である。
戦争の勝敗、政策、思想の是非を吾人は論ずるものではないが、この戦争によって夫を失い、
妻を亡くし、子を求め、親を探す民衆が多くおりはしないかと嘆くものである。

きのうまでの財産を失って、路頭に迷って、にわかに死んだものもあるであろう。
なんのために死なねばならぬかを知らずに、死んでいった若者もあるであろう。
「私は何も悪いことをしない」と叫んで殺されていった老婆もいるに違いない。

親とか兄弟とかいう種類の縁者が、世の中にいるのかと不思議がる子供の群れもできているにちがいない。
着の身着のままが、人生の普通の生活だと思い込むようになった主婦も少なくあるまい。
昔食べた米のご飯を夢見ておどろく老人がいないであろうか。

彼らの中には、共産党思想が何で、国連軍が何できたのかも知らないものが多くなかろうか。
「おまえはどっちの味方だ」と聞かれて、驚いた顔をして、「ご飯の味方で、家のある方へ着きます」と、
平気で答えるものがなかろうか。

朝鮮民族の生活は、このうえない悲惨な生活で、彼らの身の上におおいかぶさった世界は悪国悪時の世界である。

誰が悪いのであろうか。

日蓮大聖人が、かかる民衆の嘆き、世界の乱れを嘆いての御おおせには、
「円覆(えんぶ・・天)を仰いで恨みを呑み方載(ほうざい・地)に俯(ふ)して慮(うらおもい)を深くす」
(御書全集17㌻)と。

一体、いかなるわけかと悲しみとともに嘆き、嘆きとともに、どうしたわけかとお考えになられた。