投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 1日(日)23時33分30秒  

ここでは日亨が特に重視した第一の「万代法則ともいうべき主要にして、
かつ永遠性を帯びたもの」
とした条目だけを学会に引き当てて考えてみたいと思います。

まず「一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事」ですが、
これを学会に照らせば「一、創価三代会長の指導は、
いささかも日蓮大聖人の御書に相違していないし、
日興上人の立てる道理にも相違していない」ということだと思います。

これは歴史的事実から見ても客観性から見ても創価三代会長こそが、
日蓮日興という「師弟不二の信心」を継承している万代法則ともいえるものです。

そしてこれが「日蓮大聖人直結」の文証です。

次に「五人の立義一一先師の御弘通に違する事」は、
「日顕・秋谷・八尋・原田・谷川の立てた教義は、一つ一つ、
先師・日蓮大聖人・日興上人・創価三代会長の御化導に相違している」となるでしょうか。

なぜなら、日蓮大聖人の広宣流布を現実のものとしたのは創価三代会長以外ないからです。
これも永遠に変わらない万代の法則です。

また
「一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して
謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや。
返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云」

とありますが、これを学会に照らせば
「会員が、日蓮大聖人や三代会長の思想に違背した教団に布施をするのはまちがいである。
まして、本部職員でありながら、師匠に違背した輩の生活の面倒を見るなど許されない。
(そのような職員がいることは)返す返すも残念なことである。
これは、全く私が勝手に言っているのではない。経文や御書などに説かれている通りに
戒めているのである」
と訳せばどうでしょうか。

創価三代会長が、この誡めの通り「謗法厳誡」を貫いてきたことは万人が知っています。
牧口先生はそのために獄死までされたのです。

そして最後の「一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――。

この条目こそ二十六箇条のなかで最も重要な、中心となる永遠の規範です。
この条目を実践したのは創価三代会長と創価学会だけです。

学会の本部職員でありながら不惜身命の実践もなく、遊蕩三昧にふけり、
学会の師弟を破壊し、広宣流布を断絶しようとするものは、
創価三代会長の敵であり日興上人の敵です。

この仏敵を倒さずして広宣流布はありません。
その時に身命を捨てて責め続けた人が創価三代に連なる本物の弟子だと思います。

以上の条目を現実社会で実践し、
日興上人が重視した「師弟不二の法門」の継承者が創価学会であることを
世界に宣揚したのが創価三代の会長です。