投稿者:三山春秋 投稿日:2017年 4月16日(日)08時53分33秒   通報
初めて投稿します。
長編詩の一節から
私が第三代会長を辞任した 昭和54年4月24日。
その夜 守口門真文化会館では 大阪の緊急本部長会が行われた。
わが関西長の西口君は 私の和歌を烈々と朗読した。
かつて学会の最高責任職である 理事長を辞任された戸田先生に 私が捧げた一首である。

古の 奇しき縁に 仕えしを 人は変われど われは変らじ

そして関西長は絶叫した。
「たとえ池田先生が 会長職を辞めても 関西の私たちの師匠は 永遠に池田先生です!」

その晩 夜を徹して走り 東京の私のもとへ飛んできた 大関西の青年がいた。
藤原君たち七勇士である。
「なんで 先生が辞めなあかんのや!」
「我々は 誰がなんと言おうと 池田先生と共に戦うんや!」

邪宗門と反逆者らが 結託した魔軍の謀略は あまりにも非道であった。
会合に出るな。
聖教新聞に載せるな。
先生と呼ぶな・・・・。
私と会員の絆を引き裂かんとする 卑怯きわまる 陰湿な離間工作であった。

偉大なる学会の組織を 尊き学会の使命を
そして 学会の力ある運営と全財産を 盗み取ろうとする 陰険なる陰謀が始まったのだ。

私を辞めさせ 次の会長を狡賢く造り上げ その途端に
巨額の金を寄こせと脅した 悪辣な裏話を誰が知るか。

それほど狡猾な連中が 宗門と結託し 何人かの悪党と組んで
企んだのが私の引退劇である。
その記録は明確に残されている。

2007年6月10日付け 聖教新聞より
長編詩「永遠の常勝関西を讃う 下  正義は勝つ! 師弟は断じて勝つ!」より
文証を投稿させていただきます。
それでも、ボウフラは湧く。