投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 3月 8日(水)18時15分53秒   通報
【第20回】南アフリカ人権闘争の詩人オズワルド・ムチャーリ氏

2007-4-15

完全燃焼の「きょう一日」を!
前進!!言論が時代を押し開く

一票を投じる喜び
待ちに待った日がやってきた。1994年(平成6年)の4月27日。南アフリ
カの黒人市民は、早朝から続々と家を出た。向かう先は選挙の投票所。投票開始
の午前7時には、長い長い列ができていた。灼熱の太陽。地域によっては大雨、
強風。列が数キロにもなり、投票に5、6時間かかるところもあった。だが――
忍従と屈辱の日々を思えば、これしきの我慢など何ほどのこともない。この一票
を投じるために、どれほどの歳月がかかったことか!黒人市民が参加しての、初
の自由選挙であった。投票の結果、ネルソン・マンデラ氏が大統領に就任。南ア
フリカの新時代が始まった。

時代を変えた詩人
1948年に始まる悪名高きアパルトヘイト(人種隔離政策)。黒人は参政権は
おろか、ありとあらゆる差別を受けた。施設という施設が白人用と黒人用に分け
られた。70年代、アパルトヘイトの暴悪に立ち向かう運動が活発化。精神的に
支えた詩集があった。その著者こそオズワルド・ムチャーリ氏である。当時、3
1歳の青年だった。運動は言語に絶する弾圧を受けた。この若き詩人も半年間、
投獄された。気絶するまで殴られた。両手首を縛られ、天井から吊り下げられた。

ムチャーリ氏とのご縁のはじまりは、1冊の本だった。80年、日本から氏のも
とに一つの小包が届いた。送り主は、先日(3月25日)、逝去なされた、アフ
リカ文化研究の第一人者の土屋哲先生(明治大学名誉教授)である。日本からの
小包など、めったにない。中身はビデオだろうか、カメラだろうか――近所の人
々が、興味津々の面持ちで小包を取り囲んだ。出てきたのは3冊の本。英訳され
た『古事記』と『黒い雨』(井伏鱒二著)、そして私のエッセー集『私はこう思
う』だった。私は同書に綴っていた。「青年は一国の宝であり、次代の世界の財
産である。この財宝に勝る力はない……」ムチャーリ氏の目が輝いた。

「魂を揺さぶられました。池田会長の言葉は私を深い闇のなかで奮い立たせまし
た。もはやいかなる権力も、私の内なる叫びを消すことができないほど深い、深
い感動でした。この人に、ぜひ会いたい!」氏は、このエッセー集を、南アフリ
カの雑誌に紹介してくださった。それをネルソン・マンデラ氏が獄中で目にした
ことから、私との出会いにつながった。「誰も見向きもしないアフリカの将来に
想いを寄せ、青年に最大に期待する池田会長の言葉に、彼(マンデラ氏)も非常
に励まされたに違いありません。まさに私がそうでした」活字の力で世界を結べ
――。これも恩師の教えであった。

魂の独立記念日
「ムチャーリ」とは「種を蒔く人」の意という。氏は、大きな友情の種を蒔いて
くださった。90年2月、27年半におよぶ獄中闘争を戦い抜いたマンデラ氏が
釈放。8カ月後、初めて来日された氏は、過密な日程の中、聖教新聞社に駆けつ
けてくださった(90年10月31日)。ムチャーリ氏との出会いが実現したの
は、その翌年の91年5月である。私たちは互いに響き合う歴史の局面に立って
いた。アパルトヘイトの長い闇夜に、ようやく希望の曙光がきざしはじめていた
時である。奇しくも学会は、前年の暮れに始まった、あの宗門事件の渦中にあっ
た。この民主主義の平等の時代に「坊主が上、信徒は下だ」とは!

民衆に仕え、民衆を守るべき聖職者が、陰険にして、卑劣な謀略で、誠心の信徒
の奴隷化をもくろむとは!筋金入りの人権の闘士たるムチャーリ氏の眼には、宗
門事件の本質と構図は、あまりにも明快に映し出されていた。私どもの宗教改革
の戦いに、深い理解を示してくださった。半年後、宗門は笑止千万の“破門通告
書”を送りつけてきた。氏は謳ってくださった。「1991年11月28日/創
価学会は/傲慢と嫉妬に狂う/宗門に破門された。/池田大作は/中傷の矢を歯
牙にもかけず/日蓮仏法の/真髄をさらに深く探求した。/その理想をさらに高
く/掲げることにより/この日は/『魂の独立記念日』となった」

正義の母を見よ
氏の志操を育てたのは、母上の不屈の信念だった。かつて南アフリカでは、店で
買い物一つするにも差別があった。黒人が白人と同じレジを使うことすらも許さ
れなかった。母上は、烈々と抗議した。「黒人が使うお金も、白人が使うお金も
同じではないか。同じように敬意をもって扱われるべきだ!」黒人には、わざと
腐りかけの肉を売りつける商人に激怒した。「こんな肉は人間の食べるものでは
ない!」床に叩きつけた。言わなければ分からない。行動で示さなければ変わら
ない。この叱責ののち、相手は一変したという。

氏が18歳のとき、この最愛の母上が、がんで亡くなった。黒人にのみ携帯が義
務付けられていた身分証明書を所持していなかった。それで十分な治療が受けら
れなかったためである。「立ち上がれないくらいの衝撃を受けました」しかし気
づいた。「私の持っている力は、すべて母がくれたもの、母が残してくれたもの
だと。母の言葉は私の中に息づいています。母が私の中に生きているのです」穏
やかで優しかった母。そして不当な圧力には猛然と抗議の声をあげた母。「人権」
といい「正義」というも、言葉だけでは観念である。

それに実体を与え、血を通わせていく力こそ「戦う母の姿」である。私たちも知っ
ている。いかなる非道の迫害にも、正義の大音声で戦った女性たち。他者のため、
社会のため、民主主義のため、未来のために「立正安国」の実現に邁進する誇り
高き女性群像。この偉大なる創価の女性運動ありてこそ、勝利の太陽は昇りゆく
ことを!

足元を固めよ
私との会見から数日後。ムチャーリ氏は、沖縄本部(那覇市)2階の和室を訪れ
た。私が小説『人間革命』の筆を起こした10畳ほどの質素な部屋。氏は1時間
余りも、そこから動かなかったという。印象を語っておられた。「平和の魂を残
す偉大な作業を、ささやかな庶民的な部屋で、第1章を書き起こすことで始めら
れたことに心から感銘しました。偉大なことは、いつも小さなところから始まり
ます」いかなる壮途も目前の「一歩」から始まる。きょう一日の課題に勝たずし
て、いかに大きな夢を追い求めようとも、幻想にすぎぬ。

足下に泉あり。
自身の足元を固めることである。周囲に信頼と友情を確固と広げることである。
それが「広宣流布」であり「立正安国」である。正義の言論闘争を続ける我ら
に、ムチャーリ氏は満身のエールを送ってくださっている。「言葉は武器なり、
です!」言葉は前進と勝利への武器。言葉は時代の扉を押し開く武器。言葉は
恐れなき自身を築く武器。この宝剣を掲げて、きょうも我らは「完全燃焼の一
日」を出発する。ムチャーリ氏が謳ったごとく「力を!力を!力を!民衆に!」
と。

プロフィール
オズワルド・ムチャーリ(1940年~)
南アフリカ共和国クワズール・ナタール州生まれ。18歳の時、ヨハネスブルク
にある大学への入学を志望したが、人種差別法のために拒否され、働きながら詩
作に打ち込んだ。初の詩集『牛皮のドラムのひびき』(1971年)は、南ア非
白人文学界に“新しい詩の時代を告げる革新的詩集”として爆発的な人気を呼び
、黒人意識運動の聖典となる。オリーブ・シュライナー詩賞、ロンドン国際詩賞
を受賞。米コロンビア大学で「応用言語学」博士号を取得。ニューヨーク在住。
91年5月に来日し、東京、広島、沖縄を訪問。東京では、池田名誉会長と会見
した。

初の出会い。ムチャーリ氏は「磁石に引き寄せられるようにして、来ました」と
(1991年5月、東京・信濃町の聖教新聞本社で)