投稿者:一人のSGI 投稿日:2017年 3月29日(水)12時33分48秒   通報
疑問様

http://6027.teacup.com/situation/bbs/66555
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66572

疑問様の憂慮に深く同意します。

ちょうどいい機会なので「開会」という事について少し述べさせていただきます。
なぜなら、この曲解された「開会」思想こそ、長年に渡ってきた現執行部の意図的な教義変更計画において.最もらしい理由付けの最大なるものだからです。

但し、公にこの言葉を使う事はしませんが、簡単に言うと、
昨今の学会中枢部による教義変更の意図は、「日蓮世界宗創価学会」の名目で解る様に、学会の世界的な組織拡大に貢献できるような教義を確立することです。
そしてそれは、できるだけ多くの宗教教義をうけいれる新教義の確立によって達成されます。

しかし、現実には、大聖人の仏法ほど、宗教の5綱や5重の相対などの法理によって、宗教の高低浅深の判定を重要視する宗教は、他に類をみないのです。

大聖人は、人間の幸不幸は浅く低い教えによって、物事や生命の本質を見誤るところからきているので、勇気をもって最高峰の教えに付きなさいと激励しています。

されば秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり
報恩抄 p310

通解
浅きとは、随他意の方便権教で、信じやすく解しやすいけれども、深き教え、随自意の正法は、信じがたく解しがたいということ。
宝塔品には六難九易、法師品には難信難解を説いている。

ですから、組織としては、すぐに御書や教義などを破棄して全く新しい教義を立てると、現在いる会員を逃すことになります。
そこで、利用したのがこの「開会」の法理の曲解利用です。