投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 3月13日(月)14時37分29秒   通報
仏法における〝一念の変革〟は、じつにこの六根清浄(即身成仏)にあるのです。

皆さん、どうですか――そういう人間に変わりたいと思いませんか?

「仕事が大成功して儲かった」
「病気が治った」
「家庭不和が解決した」

等々、確かにこれも立派な功徳であり人生哲学です。

しかし、これらは〝相対的幸福〟であって〝絶対的幸福〟ではありません。

たとえば、仕事が成功して儲かったから〝幸福〟ならば、
仕事が失敗したら〝不幸〟ということになります。

また、病気が治ったら幸福で、治らなかったら不幸というのでは、
長い目で見た場合、非常に不安定な幸福といえます。

人は必ず老いていき、いつかは死を向かえるのです。

もちろん仕事は成功した方がうれしいし、病気は治った方がいいに決まっています。

しかし本当の功徳や仏法で説く幸福観は、
またいつ変わるか分からないような相対的幸福が〝根本〟ではなく、

何があってもあきらめない、生きていること自体が幸福であるという
〝絶対的な不動の境涯革命〟が根本なのです。

その境涯革命の大功徳が六根清浄です。

日蓮大聖人や創価三代の師匠は、その〝絶対的幸福境涯〟を
体得する方途を繰り返し弟子に教えています。

その指導を最後に記して終わります。

日蓮大聖人曰く

深く信心を発して、日夜・朝暮にまた懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、
ただ〝南無妙法蓮華経〟と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり――(御書三八四頁)。

池田先生曰く

前進しきった人が、必ず勝つ。題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです――(池田大作全集三十一巻)
弟子曰く――これ皆、真実なり。

― おわり ―