投稿者:一人のSGI 投稿日:2017年 2月27日(月)19時26分11秒   通報
「悪に対して声を上げる」の件、とても大切な事なので、先生の指導からも引用してもう少し書かせていただきました。

以下

「信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず、いかなる大善をつくり 法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにも・ せめざれば得道ありがたし、」
南条兵衛七郎殿御書(慰労書)p 1494

通解
信心の深い者でも法華経の敵を責めようとしない。どのような大善をつくり、法華経を千万部読み、書写し、一念三千の観心の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ得道はできないのである。

輝きの人間世紀へ 池田大作 P287-8より

これは、末法今時における天台仏法の修行を破折された御文であるが、私どもの信心の在り方をも示されている。
日々、仏道修行に励み、多くの善根を積んでいるという人がいる。
又、教学の研鑽に励み、仏法の事は深く知っているという人もいるかもしれない。
しかし、いくら善根を積み、仏法を深く極めているといっても、正法正義を破壊しようとする敵と戦わなければ、総て、無意味なものとなる。成仏は絶対にできない。との厳しき仰せなのである。
_略_

例え信心の年数も長く、幹部になったとしても、仏法の敵を見ながら、知りながら、戦いもせず、責めようともしなければ、本当に仏法を知ったことにはならない。真実の信心の実践とはならないことを教えられた御書である。
それでは「成仏」など思いもよらない。
日蓮大聖人が教えられた正しき信心の道に連なってこそ、「成仏」はあることを、よくよく銘記しなければならない。
1989/10/1
「第一に在家の諸人正法を護持するを以て生死を離れ悪法を持つに依つて三悪道に堕す可きことを明さば、 涅槃経第三に云く 「仏・迦葉に告わく能く正法を護持するの因縁を以ての故に 是の金剛身を成就することを得たり」 と亦云く「時に国王有り名を有徳と曰う、乃至・法を護らんが為の故に、乃至・是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に 戦闘す,乃至.王是の時に於て法を聞くことを得已つて心大に歓喜し尋で即ち命終して阿シュク仏の国に生ず」已上此 の文の如くならば在家の諸人別の智行無しと雖も謗法の者を対治する功徳に依つて生死を離る可きなり。」
守護国家論 P68

通解
第一に、在家の人々が正法を護持することによって生死を離れ、悪法を持つことによって三悪道に堕ちることを明かすならば、涅槃経巻三金剛品に「仏は迦葉に言われた。よく正法を護持する因縁によって、この金剛身を成就できたのである」とあり、また次に「ある時に国王がいた。名を有徳という。(乃至)正法を護るために(乃至)このもろもろの破戒の悪比丘と激しく戦闘した。
(乃至)王はこの時に正法を聞くことができたので、心が大いに歓喜し、ついで命を終えた後、東方の阿閦仏の国に生まれた」とある。
この文のようであれば、在家の人々は特別の智慧と修行がなくても、謗法の者を対治する功徳に依って生死の苦海を離れることができるのである。

輝きの人間世紀へ 池田大作 P293より

在家の身として、最も務めるべきことは何か。在家が成仏する根本の道は何か。
「在家の人々は特別の智慧と修行がなくても、謗法の者を対治する功徳に依って生死の苦しみを離れる(成仏する)ことができる」と。
日蓮大聖人はこの「謗法の者」とは、「戒律を破る悪僧たち」とであると、明確に示されている。
又、悪侶達は、「一時の欲望によって」仏が定められた「広宣流布」の予言を破壊するのだと。
これが、御書に示された成仏への「在家の修行」なのである。
今、私どもは、この教えどおりに進んでいる。
動くべき時に動く。語るべき時に語る。その人が、大功徳を受ける。1994/1/25

以上引用おわり

御文の中にある、私達が責めるべき「法華経のかたき」「謗法の者」とは具体的にどんな人か。
その鍵となるのがやはり一念三千の法理の「心」です。
その心は「悠久の永遠の生命、因果の理法」に裏打ちされた「生命の平等と尊厳」の哲学です。
総ての生命に内在された「仏性」を信じ切り、個々の生命の永遠の可能性を例外なく信じる心です。
それを内側から破壊しようとする「仏法中怨ぶっぽうちゅうおん」(仏法の中の仇(怨))の勢力が「法華経のかたき」「謗法の者」の正体です。
先生が「戒律を破る悪僧たち」(必ずしも僧とは限らない)とも「広宣流布」の予言を破壊する者ともいわれています。
そして、その勢力に呵責の声を上げる事が「護法」(法を護る)の精神であり、これはいわゆる折伏精神と同質です。

「法華経の敵を責めなければ得道はできない」
ー これは、具体的には、自分だけの為の修行ではなく、自他共の、又、社会の為にならなければ、慈悲がない、自己中心である、それでどうして成仏できるでしょうか、、との御指導でしょう。

「在家の諸人別の智行無しと雖も謗法の者を対治する功徳に依つて生死を離る可きなり。」
(この場合の「生死を離る」とは、常住の仏界に根差した、生死の苦しみに翻弄されない境涯の確立だと思います。)
— ここで「別の智行無しと雖も」とは行学を無視しているのではなく、特別にそのレベルがまだ高くなくても、信心の一念が強い心で「謗法の者」を呵責していく事で宿業転換、境涯革命ができるとの指導です。

仏法は厳しいですが、又その分正しい行動によって功徳も絶大です。
「動くべき時に動く。語るべき時に語る。その人が、大功徳を受ける。」と先生もおっしゃっていますし、ご存知の様に大聖人も迫害を宿業転換のチャンスととらえています。

世界がグローバル化している現在では、問題は一国内だけにとどまらず、世界中に波及していきます。
除名される以前は、地元のメンバーやリーダー達にこの様なメールや、対話なども試みてきましたが、メンバーでもなくなった現在、引き続きこのブログで、又更に広範囲に意見が届くインターネット上でコメントを書ける機会が得られた事を、私も奇跡の様に思って皆さまに感謝しています。
日本の執行部の皆さまにも一介の意見として届く事を願って書かせてもらっています。
一刻も早く気づいてほしいと思います。

ひかり様、月明かり様
レスありがとうございました。