投稿者:謎の弟子X 投稿日:2017年 2月25日(土)09時41分16秒   通報
会長辞任の当日、池田を直接取材した新聞記者がいる。読売新聞社会部の浅野秀満である。
(中略)

堅実な取材で知られた浅野は、「あすの創価学会」や「私の見た創価学会–池田大作と
人間運動」を執筆。その後も学会の動向を追ってきた。池田から会長辞任を伝えられた時、
「強い違和感」を覚えた。

「四月二十四日午後、新宿文化会館でした。私は一人の記者として、率直に『おかしい』と
甲し上げた。創価学会は、あくまでも『信仰』の組織であり、『師弟』の団体です。
大企業の社長交代などとは、わけが違う。ましてや池田会長自身に一片の『不祥事』も、
思想的な『転向』 もない。なぜ辞めなければならないのか」

浅野は、「たとえば親鸞や日蓮が、『今日で私は引退する』と言っても、周りが認めないでし
ょう。宗教指導者に引退はありえない」と語る。
「また、ゲーテがある日突然、『ゲーテであることを辞める』ことなどできない。プラトンを
例にしてもいい。長年の取材で私は、池田会長はそういうレベルの人物であると認識していた。
社会的にも大きな存在です。何の落ち度もない池田会長が退くことを、納得できなかった」

こうした思いは、池田の辞任を報じた浅野の解説記事に表れている。
「(創価学会は)機構も一新されることになるだろうが、池田氏が会長職を辞任したとしても、
会員たちの寄せる信頼や期待に変化が出てくるとは思えない」(一九七九年四月二十四日付
「読売新聞」夕刊)。一記者の洞察は、事の本質をつかんでいたといえよう。

(民衆こそ王者1 P183より)

“勇退”ではなく”辞任”と報じたのは読売新聞だけでした。