2015年2月10日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月10日(火)16時44分29秒 釈尊は、悪魔の言葉に耳を傾けられた。 《なるほど、悪魔の言う通りである。確かに大丈夫だ。私がいなくなっても、 彼らはやっていけるだろう》――。 釈尊はそう考えられた。 「悪魔よ、汝の言う通りである。されば、われは入滅しよう」 「その時期は、いつだ」 「いまから三ヵ月後――」 「よし、わかった。お前はいまから三ヵ月後に涅槃に入る。約束したぞ。忘れるな」。 その瞬間、大地は六種に震動する。地震にびっくりして阿難が駆けつけてくる。 「世尊よ、この地震の原因は何でしょうか」 「阿難よ、私はいま、悪魔に向かって宣言した。 《いまから三ヵ月後に、入滅に入る》と。私の宣言によって、大地は震動したのだよ」 「世尊よ、世尊は涅槃に入られるのでございますか・・・・、どうか世尊よ、思いとどまってください。 世尊はいつまでもこの世にあって、われらと衆生をお導きください」 「阿難よ、そなたのその願いは遅すぎたのだよ。そなたはもっと前に、その懇願をすべきであった。 私が入滅を宣言してからでは、どうにもならない。これはそなたの過失である」――。 釈尊は厳しく阿難を叱責された。うなだれる阿難・・・・。 これが「大般涅槃経」で語られている釈尊入滅の理由です。 ともあれ、小乗経典は、そのように説明しています。 この小乗経典に描かれた釈尊の死の理由を聞いて、皆さんはどう思いましたか。 ここで気付くことは、すべてを阿難の過失にしてしまっていることです。 これら小乗経典に示されている内容は、師である釈尊の言葉があまりにも回りくどく、 謎かけのようにも見えるし、 まるで阿難を陥れんがために作られた話のようにも見えます。 一方、のちに興起した大乗仏教徒たちは、いままでの既存の仏教を「小乗仏教」として位置付け、 釈尊の説いた法を中心として「永遠の仏陀」を訴えていきました。 そして彼らの行き方、ものの考え方に真っ向から反対の意見を表明していくのですが、 それはひとまず置いておきます。 いずれにしても釈尊は入滅しました。そこでまずやることは釈尊の葬儀です。 そしてその葬儀は釈尊の遺言に従い、在家信者が執り行うことになっていました。 出家した弟子たちには「怠らず修行を勤めよ」――これが釈尊の遺誡でした。 Tweet