投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月10日(火)16時42分59秒
しかし、煩悩の火が消えても、釈尊の生命の火は燃えていた。
その生命の輝きの火を灯しながら、民衆救済の旅を続け、
ガンジス河の中流域のあちこちに釈尊の足跡が刻印されていきました。
しかし、やがてその生命の火も、少しずつ勢いが衰えていきます。
「古ぼけた車が、あちこちを革紐で縛りつけてやっと動いているように、
私の体も革紐のたすけをかりて、どうやら動いている」という釈尊の言葉も仏典には残っています。
そして最後に、生命の火が消えてしまう。
これが第二の涅槃です。
第二の涅槃を「般涅槃(はつねはん)」と呼ぶこともあり、釈尊の入滅は「大」の字を冠して
「大般涅槃(だいはつねはん)」とも呼ばれました。
つまり「大いなる死」――という意味です。
釈尊はなぜ入滅したのか――。
この問いは過去の人々もずっと問い続けていました。
原初経典(小乗経典)の「大般涅槃経」には、その問いに対してこんな説明をしています。
場所は、後に大乗部が興起した地といわれるヴァイシャーリー都城です。
この都城は、自由な商業都市として発展し、政治形態も五つの種族から代表者を出して、
民主的な共和政治が行われていたとされています。
のちに戒律中心の閉鎖的な仏教教団の殻を破る革新運動が、
この地から巻き起こったとされるのも十分うなずけます。
釈尊の仏教は本来、民衆のものです。仏教を特権階級の具にしてはならない。
釈尊以来の仏教の本来の精神に帰れという動きがここから湧き起こってきたわけです。
それはさて置き、話を「大般涅槃経」にもどします。
そこに描かれている説明では、昼間の小憩の時に釈尊が侍者の阿難に語りかけます。
「阿難よ、悟りを開いた仏陀というものは、もしも望むならば、一劫のあいだこの世にとどまることができるのだよ」――。
しかし阿難は、釈尊の言葉をただ聞き流しにしてしまった。
じつは阿難は、こう言うべきであった。
「そうでありましたなら、どうか世尊よ、一劫のあいだこの世にとどまりいただいて、
われらと衆生を導いてください」と。
しかし、阿難は放心状態であった。
彼の心に悪魔がとりついていたからである――と。
経典はそんな説明をしています。