投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 3月12日(木)05時33分39秒  

師弟の宝冠VOL.1より
「師子となる。師子を育てる。これが広宣流布の極意であり、創価学会の使命である。私は一人、師子として戦ってきた。広宣流布を妨げ、戸田先生の悪口を浴びせる勢力とは、相手がだれであれ、一人で乗り込んででも戦った。青年部の諸君は勇気を出してもらいたい。師子となっていただきたい!」

学会活動の真の目的(肝心要)は、自分が師子となること。そして、師子の人材を育成すること。師子とは、師と弟子の共戦であり、同じ一念、同じ誓願に立ち、広宣流布を推進することである。御書にも「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(P1124)とあるように、いかなる病も人生の障りとはならない、解決できない問題はないとの、確信ある題目をあげることが、師子吼となる。個々においては、まさに、確信ある題目をあげているかどうかであり、それが出発点である。

師子の生き方というのは、具体的には、「師の指導を実践すること」である。様々ある指導の中で、何でもいい、一つでも自分の事として捉え、現実に実践すること。それが師子の道である。先生は、悪い幹部や組織悪とは戦えと指導されている。従順であれなどと指導されているだろうか。そして、師を蔑ろにする弟子では、師子吼とはならず、共戦ともならない。

人材がすべてである。師子を育てるのか、それとも従順なだけの羊を育てるのか。組織においては、羊のほうが都合がいい。全部自分たちの思い通りに動いてくれて、反発もしない。なんてすばらしい人材でしょうか。羊が許されるのは、幹部や組織が無謬であるという前提に立った時だけである。誰かが決めてくれたことに従って、何も考えずに生きていくことは楽である。いざという時に、責任を問われることもない。

師子にしか、師子を育てることはできない。それ故、一番大事なことは、自分自身が師子となることである。常に問われるのは、「自身が師子であるかどうか」である。誰もが保身やエゴイズムとの戦いであり、それらをかなぐり捨てて、前進する力。それが師子の力であり、だからこそ師弟が大事なのではなかろうか。

師子の信心に立てば、誰が師敵対の弟子なのかも見えてくる。逆に、羊の信心では絶対に見破ることはできない。「師敵対は断じて許さない」という師子吼の題目をあげることは、自身の師敵対の生命を断ち切ることにつながる。一念が人生をつくるが故に、祈りが大事になります。今、この瞬間、誰にでもできることは、師子吼の題目をあげることであり、「我、師子になる」という誓願こそが、広宣流布の極意なのである。

人間革命の条件は、「意識すること」であると、私は考えます。たとえば、隣近所に挨拶しなかった人が、挨拶するようになるには、挨拶することは意識しなければならない。意識とは、自覚であり、考えることである。同じように、より良い組織をつくりたいのであれば、考えなければならないわけです。戸田先生は、「馬鹿に広宣流布はできない」と言われましたが、これを言い換えると、「考えない者に、広宣流布はできない」ということだと思います。

この掲示板の一つの役割は、一人ひとりが考える力を養い、賢くなっていくこと。愚かであっては悪人の思うツボであります。悪人にとっては至極残念な掲示板であり、邪魔な存在でしょう。なんともまあ、ざまーみろである。