投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月26日(木)22時11分25秒   通報
浜松県浜松圏湖東本部堀江支部松下愛子さん

皆さん、こんにちは。私は、51歳になるまでめったに風邪を引いたこともなく
、健康には自信を持っていました。ところが、去年の8月3日を境に、何の前触
れもなく、突然、食欲がなくなり、便秘など1回もしたこともないのに、なかな
か治らず、おならも出なくなりました。はじめは、夏負けか、更年期障害だと思
っていました。そのうちに、体はすっかり痩せてしまい、特に腰のあたりが、面
白いほど痩せきました。主人も周囲の人たちも、病院へ行った方が良い、と難解
も言ってくれました。

しかし、主人と縫製業を営んでいた為に、工場のこと、内職の人とたちのことを
考えると、なかなか決意がつきませんでした。とうとう、9月3日で、一ヶ月た
ちましたが、悪くなるばかり、そのうちに、妊婦のようにお腹が出てきました。
自分でも普通ではないと思い、9月19日、車を運転して病院へ行きました。
診察が終わると先生は、「松下さん、即入院して下さい。」とのこと。

家に帰る暇もなく、そのまま入院となりました。その日に、すぐ鼻から麻酔もな
く、1m50cm程のチューブを腸にたまった物を出す為に通しました。入院し
た時点で、私の体は最悪事態でした。大腸ガンも末期で、しかもガンが握りこぶ
しほどになっていて、しかもそれが、肝臓にまで転移していました。「進行性と
いっても、すごい勢いだ。考えられないほどだ。」と先生は言っていました。

しかも腸閉塞も悪化していて、いつ破裂してもおかしくない状態で、主人や子供
たちには、お葬式の用意をしておいた方が良いのではと、言われていたそうです。
私は心の中で、10月19日は私の52歳の誕生日だ。それまでに蘇生をして、
必ず元気になって退院しようと決意し、担当の先生にも「私は先生の名医を証明
する為にも、必ずこの病院の門を治って出て行きます。」と誓いました。先生も
、必死に治療をして下さいました。

我が家はまるで、阪神大震災のようなものでした。主人は、縫製業をやめる決意
をし、工場も閉鎖、機械も全て取り払われました。何もかも零からのスタートと
なりました。「俺がサラリーマンになって頑張るで、おまえは何よりも心配しな
くてもよいから、病気を治すことに専念するように。」と言ってくれ、東京にい
る子供たちも駆けつけてくれ、寝ないでお題目をあげてくれました。「お母さん
、僕たちもがんばるでね。ここで完全に宿命転換しようね。」と毎日励ましてく
れました。そして、地区同士の皆様が必死にお題目を送って下さいました。私は

この時本当に学会員でよかったと思いました。
皆様本当にありがとうございました。皆様の暖かい真心のお題目を、私は生涯忘
れません。いよいよ9月27日、大腸ガンの手術の当日を迎えました。人工肛門
は絶対に免れないとのことでしたが、皆様のお題目のおかげで、先生が大腸を
10cm長めに切った為(腸の太さが腕ぐらいあり、中から汚れた物が10リッ
トルも出て、不思議なことに元の太さに戻りました。

先生も今までにないことだ、考えられないと、言っていました。)急遽、人工肛
門は止め、ということになりきれいにつなげてくれました。大腸ガンの手術は大
成功でした。念願の10月19日には外泊が許され、警察署に免許の書き換えに
行き、浜松平和会館で地球ファミリー展も見せていただき、夜は地区の座談会に
出席することができました。それから1週間後の10月26日に晴れて、入院よ
り37日ぶりに退院することができました。

しかし、大腸の手術と一緒に肝臓のガンもとったものの、全部とるわけにもいか
ないとのことで、少しの影を残しておいたそうです。その影が小さくなるどころ
かすっかり広がってしまい、ついに、11月30日に先生より家族を了解を得た
上で、「今日は全てを説明します。」とのことで、CT検査の写真を見ながら、
「医学的にやるべきことは全て行いました。これ以上医学ではどうすることもで
きません。」とのことでした。私はすぐ医学には限界があるんだなあ、仏法には
無量無辺で、限界がないんだ。よし、信心でがんばろうと思いました。

さらに先生は、「肝臓のところにある2本の胆管がつまれば、即黄疸になり最悪
の状態になります。その時にはホスピスに入ることにを、家族の方と相談してお
いて下さい。」とのことでした。「今すぐ悪くなってもおかしくない状態です。
」とも言われ、「あと3ヶ月ぐらいの寿命だと思いますので、行きたいところが
あったら今の内に行っておいて下さい。3、4日は動揺すると思いますが。」と

先生は申しわけなさそうに言われました。私は、先生には大変よくしていただき
感謝しています。このご恩は一生忘れません。「私には信仰がありますから、私
なりに頑張ってみます。心配しないで下さい。」と言いました。
家に帰るとすぐ池田先生のスピーチを読みました。するとちょうど私の心境を知
っているようなご指導が載っていました。「妙法を唱える人生は、全てが喜びと
なる。全て、変毒為薬ができる。その大法を持ちながら、しくしくと下ばかり向
いている人は、しめった紙のようなものだ。なかなか火が付かない。すなわち本

当の功徳が分からない。頭(こうべ)を上げて、活発に「よし!全部喜んで行こ
う。」「全部乗り越えていこう!その強き一念に功徳はぐんぐんわいてくる。人
生と広宣流布の車輪が回転する。」とありました。よし、覚悟をして徹底した祈
りでと腹を決めました。そして12月12日に幹部に指導を受けることができま
した。「病気の顔じゃないよ。その顔は・・・。」と激励してくださり、それだ
けで私は体全体がぱっと開けた思いがしました。そして御書を開きながら『「南

無妙法蓮華経」は歓喜の中の大歓喜なり。』とあるでしょう。「自分の中に『南
妙法蓮華経』があるんだよ。財布だって開かなければいくらお金が入っていても
使えないよ。」と言われ,そうだと思いました。「一心欲見仏、不自惜身命って
言うだろ?それは自分の中の南妙法蓮華経が見たい見たいというと開くんだよ。
祈りが強いか弱いかで決まるんだよ。題目の数でもないよ、時間でもないよ。」
と言われ、「うれしくてしょうがなくなれば、病気は1日で解決するのだよ。」
と言われました。

また、「仏壇の御本尊と私の御本尊が感電すれば大歓喜だよ。うれしいという歓
喜があるかないかだよ。」それから、あらゆる御書を引いて話して下さいました。
私はもう心そこからうれしいなあと思いました。幸せってうれしくって晴れ晴れ
として楽しいことなんだなあと思いました。またそういうところに幸せがくるん
だなあと思いました。池田先生は法華経講義の中で、「結局、自得とは誰かから
与えられる物ではありません。

自ら得る物です。三世に亙る自身の大境涯を信心で自ら勝ち取るのです。必ず勝
ち取っていけるのです。」とありました。なんとすばらしいことでしょうか!我
が家においても主人の就職もこの不景気の中決まり、本当に感謝しています。私
は今まで主人のことを「私だって仕事をしているんだから・・・。」との思いが
あり心の底から尊敬することができませんでした。ところが今は「私の主人は世
界一!」だと心の底から言える私になりました。本当にお父さんありがとう。

体を大切にしてがんばってね!と祈っています。5年間日記を毎日つけているの
ですが、はじめに必ず「おとうさんありがとう。」と書いてからいろいろなでき
ごとを書いています。それから、今年の3月には創価大学の卒業式に二人の子供
たちも無事大学院を卒業することができました。主人と一緒に卒業式に参加する
ことができるなんて、そして、二人の子供たちに苦労をかけた分凛々しく育って
くれたその勇ましい姿をこの目で見れるなんて本当に夢のようです。

私は医学的には2月いっぱいの命ということになっていますが、手術をしてより
この方ぜんぜん痛いところがありません。南妙法蓮華経の力はすばらしいと実感
しております。さあ、ますます胸を張り足取りも軽く100歳まで生き抜いて、
御本尊様の素晴らしさ、池田先生の偉大さ、学会の正義を訴え続けてまいります。