投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月17日(火)21時30分44秒   通報

◎「『生死一大事血脈抄』講義 」から

(1977年4月「聖教新聞」掲載)

生と死は、生命の変化の姿であり、逆に言えば、生と死にしか生命はあらわれな
いのであります。凡夫の眼《まなこ》には、生命は生で始まり、死で終わるとし
か映らない。しかし、仏法の視点は、この限界を打ち破って、生とあらわれ、死
として持続している全体を貫く「生命」そのものをとらえたのであります。

この観点から、仏法では、生命の変化相としての生と死を、どうとらえているの
でしょうか。法華経寿量品に「若退若出《にゃくたいにゃくしゅつ》」と説かれ
ております。この「退《しりぞ》く」というのが「死」にあたり、「出《い》づ
る」というのが「生」にあたります。また寿量品では、永遠の生命観から、生命
は、退いたり、生じたり、生まれたり、死んだりするものではない、という説き
方をしておりますが、日蓮大聖人の「御義口伝」では、更に深く本有《ほんぬ》
の生死、つまり本来もともとの生死であり、(本来もともとの)退出であるとと
らえるのが、本当の正しい生命観であると説き明かしております。

ゆえに、生命が顕在化した状態を「生」とし、潜在化した状態を「死」ととらえ、
しかも、その生死を無限に持続しているのが、生命そのものなのであります。生
を顕在化、死を潜在化ととらえる仏法の究極の哲理は、何と、悠久、偉大な生命
をみてとっていることでしょうか。しかも、その生と死は不二であると説いてい
るのです。生を働かしているものは潜在化した妙《たえ》なる力であり、また、
潜在化した生命は、やがて縁に触れて顕在化し、ダイナミックな生を営み、色彩
豊かに個性を発揮していきます。

やがて、その生は静かに退き、死へとおもむく。しかし、その潜在化は新しいエ
ネルギーを蓄えつつ、新しい次の生を待つのであります。言わば、生は、それま
で休息し、蓄えた生命の力の爆発であり、燃焼であり、やがてその生涯の一巻の
書を綴り終えて、死におもむく。その、宇宙それ自体に冥伏し、潜在化した生命
は、宇宙生命の力をそこに充電させながら、生への飛翔を待つのであります。

これが、本来の生死であり、この宇宙本然のリズムの根源が、南無妙法蓮華経で
あります。