投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月 8日(日)01時07分27秒   通報
◎第3回日本正学館(3)

『畑ちがいの仕事で』

──脚本家・橋本忍のインタビューの際、池田大作SGI会長は当時を振り返
って述べている。

『信心というのは、こういう試練を経なければいけないのです。社会の荒波を
乗り越えなければならない。その目的のため、あらゆる苦労をしていった』

もし日本正学館の経営が順調で、師弟が幸福な編集者生活を送ったとしたら─
─。

結果論であるが、今日の創価学会の発展があったかどうか疑問である。
恩師を守るため、あえて茨の道を選んだ。

戸田大学の個人教授があって世界からの栄冠がある。

日本正学館の社員は、新しく発足した東京建設信用組合の業務を引き継いだ。
出版編集から金融事務へ。
池田青年にとって青天のへきれきだったと言ってよい。

組合の業務が始まったのは昭和二十四年(一九四九年)十二月四日である。
鉛色の雲から冷たい小雨がふる日曜日だった。
事務所に向かう足取りは重い。気分も晴れなかった。
まったく畑ちがいの信用組合の仕事は性分にあわない。

さらに追い打ちが、かかった。
それまで夜学で大世学院(現・東京富士大学短期大学部)に通っていたが、年
が明けて昭和二十五年正月、恩師から言われた。
『君が頼りだ。仕事もますます忙しくなる。ついては、夜学のほうも断念して
もらえないだろうか』すでに覚悟があったのか。

『喜んでやめます。必ず事業を立て直して、先生をお守りします』
大目的のために、己を捨てた──。
この決断こそ、池田会長の人生と、学会の未来を決定づけた『大英断』だった
と多くの識者が見る。
日本の宗教社会学の第一人者であった、安斎伸(あんざいしん)(上智大学名
誉教授)。

池田会長の人生について語っていた。
『その原点には、戸田第二代会長に自らの人生を投じた、青年の純粋な『賭け
』があったと、私には思える』『牧口初代会長と戸田二代会長が生命を賭して
貫いた信仰に、池田会長も賭けた。

その初心、生き方を貫くことで信仰を深化させ、揺るぎない基盤を築かれ
たのでしょう』打てば響く。愛弟子の申し出は師を喜ばせる。責任をもって、
個人教授することを約束した。

この『戸田大学』こそ『池田青年の十年』の芯をなし、一対一の陶冶に、やが
て世界の知性も刮目する。