投稿者:まなこ 投稿日:2016年12月19日(月)08時29分10秒   通報
【池田】 宗教と、宗教のもつ直観とは、人類全体に価値をもたらすものであり、したがって、すべての人がその本質的価値に目覚めることが大切です。私は、宗教と科学の相互補完的な関係をそうした立場から考えてみるときに、次のような方法も考慮されてよいのではないかと考えます。
すなわち、博士の御指摘にありましたように、宗教は、人間にとって最も根本的な課題にドグマチックに答えることのほうに多く意を用いています。一方、科学は合理的な説明を求め、その結果を検証することに意をくだいていますから、そこにおのずと限界があります。ただし、人々の理性に訴えるので、納得させやすいことも事実です。このような、直観を中心とする宗教と理性を主とする科学の、それぞれの独自性を認めたうえで、双方の間に一つの“懸け橋”をかける努力をする、ということです。つまり、宗教者と科学者が、その各自の領域を一歩越えて、相手に接近しようと努力することです。
むろん、それは侵害ではなく、相手の立場を尊重しつつ近寄るのです。いかに近づいたとしても、科学の方法は、宗教の領域には侵入できないでしょう。しかし、宗教独自の領域に人々が心を寄せるようになるための、一つの“懸け橋”となることは可能だと思います。
その一例として、博士が種々の高等宗教の説く教義と“究極の精神的実在”との関係を考えるうえで、物質の極小の形における相容れぬ特性を、考察の一つのステップとして使われたことなどは、きわめて有効であると思います。博士が使われたのは、人間の理解能力の限界を示すためでもありますが、そのことが見事に各高等宗教間の矛盾を解きほぐす、一つの有効な手段になっている、と私は考えます。