投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年12月14日(水)06時41分42秒   通報 編集済
随筆 新・人間革命 3 法悟空

■恩師のレコード
獅子吼に弟子は勇気百倍!

わが師・戸田先生の声を思い出すと、私の胸は、懐かしさであふれる。
悲しむ友を励まし、青年を慈しむ、深く温かな声。

百雷の如く、大感情から発する厳愛の叱咤。
障魔を鋭く粉砕する弾丸の舌鋒、友を鼓舞してやまぬ大将軍の言。

この世から、不幸を一掃せんとの大獅子吼。
その響き、激、静、寒、暖、厳、寛、慈・・・・。

あるいは、厳冬、春風、烈日、秋霜・・・・。鮮やかな四季の彩りの如くなり。


1959年(昭和34年)――恩師が逝去して、始めて迎えた元旦。

信濃町の学会本部に集った幹部は、戸田先生の講義の録音テープを聴いた。
提案者は山本伸一。学会のなかから、先生の叫びが薄らいでゆくのを憂いて。

テープレコーダーから、先生の声が流れると、空気は一変した。

恩師、ここにいますが如く、同志は皆、襟を正し、感涙し、敢闘を誓った。


間もなく、伸一は、先生の「声」をレコード化し、永遠に残す事業に着手。
先生の講義・講演のテープ百六十余本を結集。これには、全国の同志も協力してくださった。感謝。

遺弟を代表して、伸一が「創価学会会長 戸田城聖先生の教え」と、ジャケットの題字をつづった。拙い字ではあったが。

レコードの一枚目(「可延定業書」講義)が完成したのは、この年の7月。

「実に嬉しい。報恩」と、伸一は日記に記した。

伸一が、恩師の「声」をレコードにする着想をもったのは、実は、51年(同26年)にさかのぼる。

きっかけは一冊の本。
戸田先生の膝下で、伸一が英国の作家ホール・ケインの小説『永遠の都』を学んだ時のことである。

この本を通して、革命のロマンと同志愛を教えていただいた思い出の一端は、かつて、『随筆 人間革命』にも書いた。


小説の舞台は1900年のローマ。先生のお誕生の年であったことも不思議。

ともあれ、先生の気迫、まさに”遺言”の如し。
作品中、次のような忘れ得ぬ一場面。

――ある日、主人公のディビッド・ロッシィのもとに、蓄音機に掛ける円筒(シリンダー)が届く。今でいえば、レコードやテープ、CDである。

手回しの蓄音機から聞こえてきたのは、彼を養育してくれた恩人であり、師匠である老革命家の声。

流刑地からの”遺言”であった。後を頼む――と。

懐かしい、大恩ある師の声を聴いて、むせび泣きながら、ロッシィは誓う。
「やりますとも!ぼくはやります!」

戸田先生を囲み、広布の大理想を語り会いながら、一人思った。

”先生の叫びを、永遠に残したい。いつかレコードのような形で・・・・

伸一、23歳。人生の嵐の渦中であった。


青年部の室長時代。先生の叱られ役は、常に伸一。 いつであったか、森田一哉理事長が語っていた。

「先生ほど、戸田先生から、よく叱られた方はいませんね。私などは、ほんの数回でした。みんなは、先生のことを”防波堤”と呼んでいたんです」

これは、弟子としての私の誇り。誰よりも深く、恩師の獅子吼を、わが魂に刻み得た青春。


「一の獅子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわ(破)る」(御書1316ページ)

獅子王の子なれば、勇気百倍、我は立ちたり。法戦、いまだやむことなし。

正義を叫び抜かずして、どうして愛弟子といえようか! 「広宣流布の闘志たれ!」
恩師の声は、今も伸一の耳朶を、瞬時も離れることはない。

【1998,1,8聖教新聞掲載】