投稿者:まなこ 投稿日:2016年12月14日(水)12時43分57秒   通報
【池田】 超常現象についての結論は、もちろん慎重に下されることが要請されます。それをあまりに神秘的な超能力として賛美しすぎることは、誤った認識や詐欺行為を生む土壌になり、さらにその現象に対する正しい認識への道と開発の余地を閉ざしてしまうことになります。また逆に、あまりにもこれを排斥することに固執すると、隠れた人間の能力、あるいは可能性を踏みつぶしてしまう危険性があります。
博士は、超常現象は本来、常態現象であるといわれました。現在でこそ、超心理学等でみられる実験の結果は超常現象であると理解されていますが、いずれ原因と結果の糸が発見された後は、徐々に常態現象として理解されることになるでしょう。動物の帰巣本能や渡り鳥の移動などにみられる、自然界における超能力の多くについては、現在では科学的な説明がなされています。注意深く慎重に観察、実験していけば、超常現象も同じように説明が可能になると思います。
また、人間は現在、意志伝達の多くを、言葉を媒介として行なっていますが、言葉という手段を用いないで行なう意志伝達の方法もあります。東洋においては、とくに「以心伝心」という言葉に象徴されるように、精神と精神が何物をも媒介としないでコミュニケートする現象を重視してきた、という特色をもっています。これなどは、博士のいわれる精神感応によるコミュニケーションの一種でしょう。
こうした人間が本来もつ隠れた能力も、その開発の仕方の誤り、あるいは軽視によって、発揮されずに終わっていることが多いのではないでしょうか。これは超常現象にかぎらず、理性に比べて直観のもつ機能が正当に評価されていない面があるからです。直観がもたらす類推が不幸にして誤っていると、その例を拡大してたちまち直観を排斥しようとする性急さ、さらにその類推の方法や経過が不明瞭であると、ただちに非科学的であると決めつける性急さは、直観の立場を不当なものにしています。そして、その反動として理性万能主義に陥ると、人間の直観能力を犠牲にする恐れさえあります。
深層意識は、理性を超えた、非常に鋭く、敏速な、しかも正確な働きをすることができます。しかし、人間は、文化の発達にともなって、そうした本来の能力を弱めてきたのではないでしょうか。これには、文化がこれらの深層意識の能力を、それが働かなくてもすむように補ってきた面と、人間の意識――とくに理性――の発達がこの深層意識を抑圧してきた面とがあると考えられます。

【トインビー】 一般に、新しい能力が古い能力を補足するようになると、古い能力は退化するという傾向があります。これは残念なことです。なぜならば、たしかに新しい能力が、古い能力の機能の一部をより効果的に果たすということはあるでしょう。さらに、古い能力が発揮したこともなく、発揮しようにもできなかった新たな機能を発揮するということもありえます。しかし、新しい能力が古い能力の機能をことごとく代行するということは、まずありえないことだからです。
たとえば、読み書きのできるようになった諸民族には、記憶力の減退が起こりました。そして、ラジオやテレビがコミュニケーションの手段として使用されると、今度は読み書きの能力が衰えようとしているようです。同様に、人間が自意識をもつようになった結果、理性と文化がもたらされたわけですが、私は、これによって人間の潜在意識の一部は退化したと思っています。
われわれは、交通・通信技術の領域でも同じことが起きているのを見ることができます。運河は鉄道によって、鉄道は高速道路によって、また船舶は航空機に、郵便は電話に、それぞれ機能を奪われてきました。しかし、これらの新しい手段も、それぞれがすたらせた古い手段の機能をすべて果たしているわけではありません。
物質面においても精神面においても、進歩というのは、われわれには耐えかねるような損失のうえに、なされているようです。