投稿者:まなこ 投稿日:2016年12月12日(月)18時30分35秒   通報
【池田】 まことにおっしゃる通りで、第九識の根本浄識とは、個々の生命の本源的実体であるとともに、宇宙生命と一体になったものであるとされています。また、前にもふれましたが、博士のいわれる“究極の精神的実在”は、仏法でいう宇宙の森羅万象の根源たる大生命――宇宙生命――にあたると考えられます。

【トインビー】 近代西洋で人間心理の研究が始められたのは、同じ西洋での、現象世界における無生物の分野、物理的な分野の研究に比べて、はるかに最近のことです。
諸現象の物理的側面を研究すべく考案された西洋の科学的手法は、それ自体の分野ではめざま
しい成功を収めました。ところが、その威信があまりに絶大だったため、諸現象における心理面の研究がやっとのことで着手されるや、西洋ではこの科学的手法が何の疑いもさしはさまれることなく、この方面にもそのまま応用されてしまったのです。
さきにもみてきた通り、インドではすでにヨーロッパ人よりも二千四百年も前から、ヒンズー教徒や仏教徒によって、心理の研究が着手されています。しかもインドでは、それに先立って物理的現象の研究を基礎づくり、成功して、しかるのちにこの研究に着手したというのではありません。私には、あくまでも物理学的手法によらずに心理現象を研究する、このインド的アプローチのほうが将来性があるように思われます。
こうした、心理学を既存の物理学の線に沿って組み上げていこうとする西洋の試みは、誤った類推によって導かれるという危険に、西洋の心理学を追い込む可能性があります。心理現象の研究は、むしろインド的手法によって、その対象としての心理の本質に合致した、独自の線で行なったほうが、たぶん真理に近づくことになるでしょう。

【池田】 たしかに、その通りだと思います。人間精神の意識下にある深層の生命は、表面に現われる意識現象とは違って、時間とか空間の次元を越えたものです。
したがって、時間、空間のものさしで計測しようとする試みによっては、その生命自体の本質に容易に近づくことができないのは、明らかなことです。
表面上の、意識現象の検討から下される深層心理への類推よりも、インド的な、内観的な方法のほうが、正しい認識をもたらす可能性があるというのは、十分に説得力のある主張です。
ところで、心理学の方法については、近年、さらに新しい考え方がいくつか現われて、従来の心理学の枠を越え、その先まで手を伸ばしていこうとする動きがみられます。その一つは超心理学であり、これは、テレパシー(遠隔感応)、遠隔認知、透視、精神的遠隔操作、予知などといった、いわゆる“超常現象”を扱うものです。
そのなかには良心的な科学者たちの検証に十分耐えうる例も少なくありませんが、明らかにまやかしといわざるをえないものもあります。また、特別に超常機能を設定するまでもなく、無意識層を掘り下げるだけで十分説明のつくものも含まれていると思いますが、いかがですか。

【トインビー】 たしかに、心理現象を描出し観察するという近代西洋の実験には、多くのごまかしがありました。たぶん物理の研究よりも、心理の研究のほうがごまかしやすいのでしょう。
しかし、私の信じるところでは、大多数の研究者や観察者は誠意をもってことに当たっていたはずです。たとえ諸現象に関する彼らの説明が説得力に欠けていた場合でも、それは同じだったでしょう。私は、このことは近代西洋における潜在意識の探究にかぎらず、インドのヨガやシベリアのシャーマニズムについても、当てはまると思うのです。