投稿者:小作人@地上の発心 投稿日:2016年12月 7日(水)19時22分44秒   通報
   《第7回 もてあます蔵の財、覚束ない心の財㊦》

1.
 日本史上類例のない速度で農村部から都市への人口移入が進んだ昭和30年代から40年代。
 農作業が日常生活の根幹をなす村落共同体の基礎的人間関係から早期に引きはがされ、無機質な都市空間に放り投げられた人々にとってのアイデンティティ回復の一翼を担ったのが創価学会と言える。
 いわばコンクリート・ジャングルの奥深くで遭遇した生まれも育ちも異なる一群の人々が、各々の心の原風景(故郷で身に付けた生活習慣の記憶)を手掛かりに、人間すべてに備わる仏性の平等性を主眼におく日蓮仏法を媒介として疑似的な村落共同体社会を再現せしめた側面が強くあったのだ。

 片田舎から集団就職の夜行列車に乗って都会の雑踏に辿りつき、町工場勤務などでの退屈で寄る辺なき日常のサイクルに組み込まれる。
 たまさかの休日。友達と呼べるような間柄も乏しく、一人でも財布は軽くて散在できる金額は持ち合わせていない。ひまで手持ち無沙汰だが家でゴロゴロするのも飽きが来るので、朝からパチンコに行くか、映画館で二本立てなど観て一日か半日をつぶす・・・。

 そんな味気ない毎日で、ある時、「職場の上司か先輩か同僚」「取引先の人」「家賃を督促にきた大家さん」「いつも買い物に行く店か、一人で夕食など取る場末の食堂の主人」「パチンコ屋で何故かいつも横に座る顔しか知らない人」「朝夕いつも向こうから愛想よく挨拶してくるご近所の方」・・・etc・・・が、

   「今度この時間、空いてます?」

 あとは、すったもんだあってのお察しの通り。以下省略。

2.
 戦後の長きにわたりアパッチ族が疾駆していた大阪砲兵工廠跡地も、昭和45年、跡地に造成された大阪城公園の完成式を以ってその光景が人々の記憶から消し去られていった。

 三船敏郎似の会社重役が住まう「丘の上の豪邸」を、三畳一間の蒸し風呂のようなボロ・アパートの窓に立って眼鏡の奥から計り知れぬ憎悪と嫉妬と羨望の眼差しで眺めている山崎努っぽい風貌の貧乏医学生・・・という構図も、高度成長の爛熟期、カラーテレビが全戸に行き渡るような頃には時代の明るさに圧し潰され、遠く過去のものとされていった。

 街に出て、ふと辺りを見渡せば、さほどの歳月も経たないことに気付かされて、其処かしこに残る戦後の面影が視界に入ってきたはずだが、まだこの頃は・・・。

3.
 それはさておき、言論問題で蹉跌をきたすも750万世帯の大台に乗り、人員的には実質ピークを迎えた1970年代初頭の創価学会。
 「部隊長」「参謀」といった軍隊呼称も廃され、ソフト路線で組織の面目も一新する過程で会員個人間にもある種、弛緩した空気が流れてくるような余裕が生まれてきた。

 ――信心して五年経った、十年経った、十五年経った――

 “こんな自分でも結婚できた。病気も経済苦もなんとか克服できた。月賦だけどテレビ買った、洗濯機も冷蔵庫もクーラーも買った。みな数年おきに新製品に買い替えてるぞ。クルマを買って、そしてついに念願のマイホームだ! 拠点闘争が捗るぞ・・・。子宝にも恵まれ、皆元気で上の子は将来、創大受験するって言ってくれてるぞ! すごいだろう!?”

 ――健康で、モノに囲まれ、当座のカネの心配も要らず、家族も・・・まあまあ仲がいい。
   功徳だ。間違いなく功徳を頂いているぞ! 俺の人生は福徳に満ち溢れている!!!――

 “テレビを点ければ、あの人もこの人も学会員。芸能人だけじゃない、社会の各分野で学会員は大活躍だ。総体革命だ! 公明党は、、、ちょっと今は停滞ムードだが(昭和47年の衆院選では日共の後塵を拝す)勝負はまだまだこれからだ! とにかくもう「貧乏人と病人の集まり」だなんて誰にも言わせないぞ。学会は発展を続け、俺ももっともっと福運を積むぞ!!!”

 ――でも、、、「しあわせ」って、こんなもんなんだろうか?
   何かを忘れているような、置き去りにしている気が――

 ・・・と、ふと立ち止まって気付くだけマシなほうだが。。。

4.
 買い替えたばかりのカラーテレビの画面には、杉山登志をはじめ当代気鋭のクリエーターが生み出すCM映像が目まぐるしく席巻し購買意欲を誘う。クルマ、電化製品、飲食料品、衣料品、化粧品、、、あれが欲しい、これも買いたい。。。

 満ち足りたと思ったらまた欲しがることの繰り返し。どんどん稼いでどんどん貯めての金(カネ)太郎モードでの日常サイクルは止まらない。
 幸せのふりをしている、、、とは言い過ぎかもだが、幸福の担保を何に求めるか、自分が功徳を頂いている確たる根拠は何処にあるのか? 今日もまた明日もまた折伏――に加わり選挙闘争が比重を増す活動ルーティンに没入する中で、心の充足感を確かめる手立てを得ないまま年齢を重ねていく。

 どこぞのネット掲示板を日記帳代わりに、功徳功徳~~と連日くどくどと、まるで強迫観念に突き動かされるかのように自己暗示の呪文を連呼し、独自の「活動」詳細を書き並べる無駄にマッチョな老人がいて、
 また、それに「現場の地道な活動を小ばかにしている」などと特大級の“俺が言っちゃあかんわなブーメラン”を放ちまくって粘着する大石寺前管長の名をもじったハンドルネームを使う重度のネット中毒者がいる。
 ふわふわと虚空を彷徨う「鯨の腹のなかで」斯様な珍景奇観の様相を呈する掲示板が今あるらしい。

 なんとなく既視感バリバリのこの光景も、淵源を辿っていけば、昭和後期の目標を見失い漂流する時代の不安が醸成した「功徳を頂いているに“違いない”」「宿命転換・人間革命しているに“違いない”」等々、アルベア論の表現を援用すれば「思い込み・信じ込み」の空気感に端を発するのではなかろうか?

 巨大にして壮麗な正本堂の落慶と同時にスタートした「広布第二章」。
 反戦出版、核廃絶署名など全国での精力的な青年部の平和運動、僻地医療に情熱を注ぐ“黎明医療団”の瞠目すべき活躍ぶり。その他諸々。。。
 個人単位でただ儲ければ稼げばいい、物質的な充足に裏打ちされた都市生活を享受することに意識を振り向ける・・・だけではない、カネにならないことにこそ情熱を傾ける「広宣流布の新局面と新生事物」が70年代の学会活動を牽引したのであるが、、、
 ついていけない、というよりは無関心ではないが直接自分が日々勤しむ信仰とは別次元の事柄として、やや冷めた感覚で眺めていた学会員も少なからずいた。

 二度にわたる石油ショックの到来で高度成長の破綻を思い知らされるつつ、個人も組織もカネ太郎モードを止められないままイケイケドンドンのアナクロニズムに陥っていく。
 「モーレツからビューティフルへ」にシフトチェンジしそこなったマジョリティの一般学会員こそが、創共協定の頓挫から「4.24」への底流を形作っていったのだが、、、また稿を改めて詳述することにする。

5.
    リッチでないのに
    リッチな世界などわかりません
    ハッピーでないのに
    ハッピーな世界などえがけません
    「夢」がないのに
    「夢」をうることなどは……とても

    嘘をついてもばれるものです

 死の間際、極度の鬱に侵されていたことだけは確かだったらしい杉山登志が、自宅マンションで首を吊って37年の生涯を閉じたのが昭和48年12月12日。
 現場検証で「・・・コートのポケットには十一月分の給料三十五万円が手つかずで残っていた」(関川夏央『やむを得ず早起き』;小学館文庫)。

 //////////////// /////////////////

 本シリーズ、年内はなんとかあと2回投稿予定。論旨がうまく整えられずスランプ状態です(泣)