投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月 7日(水)18時18分29秒   通報
◇第1回正義と求道の大航海四国2010-1-15

水平線に光る白亜の船。太平洋の荒波を蹴立てて、遂に横浜港にやってきた。
香川、高知、愛媛、徳島の友1000人を乗せた客船「さんふろわあ7」号。
桟橋に近づくと、神奈川文化会館がはっきりと見えた。天を衝く音楽隊の
演奏も聞こえる。

接岸間近。デッキに出ていた友が叫んだ。「池田先生だ!先生が
桟橋に来ておられます!」黒いコートを纏った池田名誉会長が待っていた。
代表に花束を贈り、がっちりと握手を交わして言った。「よく来たね。

これで勝った!21世紀が見えた!まさか海から来るとは!」第3代会長辞任
から8カ月余の昭和55年(1980年)1月14日。第1次宗門事件のさなか
だった。

事件の根は、名誉会長と会員の絆を分断しようとした謀略にある。この嵐が
、全国でもいち早く吹き荒れたのが四国だった。閉塞感を打ち破るために「そ
うだ!私たちが先生のもとへ行こう!」。こう決めた時、友は心の闇を突き破
っていた。〃さんふらわあ〃の船体に描かれている真っ赤な太陽は、友の胸中
に昇っていた。

待ちに待った人生の師との出会いー。師は何も変わっていなかった。富士の如く
堂々としていた。にもかかわらず、弟子が周りの変化に紛動されて、どうする
のか。四国男子部は宣言した。「池田先生!私たちの師匠は池田先生です!
いつまでも、どこまでも、共に戦ってまいります!」皆の真情だった。

名誉会長は、決戦に臨む父子の決意の曲〃大楠公〃をピアノで力強く奏でた。
四国の友1000人を乗せた〃さんふらわあ〃は、この年、名誉会長のいる
神奈川へ、3度訪れている。その黄金のドラマの一端を紹介するとー。

【1回目】午後7時。船上の人となった友は、全館消灯した神奈川文化会館に
小さな光を見た。名誉会長夫妻が懐中電灯を振り、見送っていたのである。そ
の光は〃希望の光〃となって今も友の胸の中に輝く。

【2回目】5月17日、徳島の友が駆けつけた。名誉会長を囲んでの懇談的な
語らい。「本当に温かい、家族的な雰囲気でした。池田先生をあんなに身近に
感じたことはありません」(参加者)。そのぬくもりを、友は今も忘れない。

【3回目】5月20日には愛媛の友がやってきた。午後5時。見送りの桟橋には
名誉会長がいた。両手には船出を祝う五色の紙テープが巻かれていた。名誉会長と
つながった紙テープー心と心は、今も一段と強くつながっている。名誉会長は、
当時を述懐し、青年に強く語った。

「一番大変な時に、まっ先に私のもとに来てくださったのが四国の方だった」
「あの光景を一生涯、忘れることはない」仏法の根幹は「師弟」である。師と
弟子の心のギアが完璧に噛み合った時、新しい時代の扉は開かれる。
〃さんふらわあ〃は、名誉会長と会員を切り離そうとした画策を打ち破った、

「師弟共戦」の〃魂の大宣言〃であった。この潮流は四国から全国へ、全世界へ
と大きく広がった。正義と求道の大航海から30年ー名誉会長のもとにつどに
集った3000人も、留守を守り、成功を祈った同志も、四国広布の中核を担う
リーダーに大成長した。ある母は、子と孫に語り遣した。

「あの師弟旅に参加させていただいたことが、人生の最高の誇り。一生という限ら
れた時間を、師のために使っていきなさい」名誉会長と我らの「共戦の旅路」は
続く。今日も。明日も。これからも。