投稿者:SaySaySay 投稿日:2016年12月 4日(日)11時40分25秒   通報 編集済
冷静にならないと他化自在天の思う壺です。
ご存知のように、今、「3度目のC作戦」が進行中です。2回目は1990年頃、宗門・日顕主導によるものでした。そして1回目は1979年(昭和54年)頃、学会執行部主導によるものでした。そして今回。25年ぶり3回目(まるで甲子園出場の様?)です。
「C作戦」とは「師弟をCUT」する「第六天の魔王の“出世の本懐”」です。「師弟断絶」です。池田先生は「師匠とは皆を法に結び付ける存在」と言われていました。「師弟不ニ」は「依法不依人」と同義語であると言えます。「依法不依人」でなくては「境智冥合」できず、「即身成仏」する道を断たれます。だから事は重大なのです。

この「師弟をCUT」「師弟断絶」は双方向の動脈と静脈の両方をCUT、断絶しています。
ここがジャッカルさんのおっしゃる通り「大阪事件との違い」であると思います。
(大阪事件の時、「師匠は戸田先生」で「弟子は池田先生」で、この時はまさしく「師弟不ニ」で「師弟断絶」はなかった。今は「師匠は池田先生」で「弟子は我々」で、はっきり言って頼りない。「裁判」というキーワードが同じなだけで、事の本質は違うと思います。)
それはジャッカルさんがおっしゃる通り「先生がまったく見えない事」と併せて「先生からも会員の事がまったく見えない」ように“させられている”事です。双方向でCUT、断絶“されている”のです。

この「池田先生と我々」は“つながっていると思っていた”が、違っていた!
元職員のブログは「第1 池田名誉会長に報告が届かない学会本部の実態」とタイトルして始まりました。ここに事の本質があると思うのです。そして彼らは「池田名誉会長に報告」を届けることに全てを注ぎ込んで来ました。血液を送り込もうとしたのです。ところが実は動脈も静脈もCUT、断絶されていたことに気づいたのです。(ちなみに去年のその頃、私はまだ気づいていませんでした。)
それでも届けよう……とするも届かず、万策尽きて、参考人招致という方法をもし選んだとしても、それは批判されるべきではありません。恐らく私も同じことを考えるでしょう。それを与同といわれるなら、それを頂戴いたしましょう。

彼らは(それまで知らなかった)CUT、断絶された動脈と静脈をつなぎ直そうと必死なのです。これは宿坊の皆さんと「同心」でしょう。彼らも我々もドクターX~外科医・大門未知子のように「私、失敗しないので」とは言えませんが、暗黙の了解とされる多部数購入など上からの命令に「いたしません」と拒否しながら師弟断絶と戦っています。
そもそも師弟断絶が無ければ、あの裁判も無かったのです。

どなたかも投稿して下さっていましたが、「善は結託しない」という残念な性癖があります。これを乗り越えたい。当然、皆、立場も考え方も違います。違っていい。むしろ違っている方がいい。そうでなければ「異体」になれません。同質性の高い、不安遺伝子(DUP25)を持つ、草食動物の日本人は「異体」になることが苦手(逆に欧米人は「同心」が苦手らしい)です。苦手なものは意識的にしか作っていけないでしょう。その意味ではまた京都西京極乃虎さんにも帰って来て欲しい。冷静に、「互いの立場や考え方を尊重する異体同心」の参考モデルをここに創るためにも。

いずれにしろ、我々もそれぞれの立場で「虚空(クラウド/雲の上=掲示板・宿坊)」から降りて来て、“再び”「霊鷲山(現場)」で地に足をつけた戦いをする必要があります。「事件は会議室で起きているんじゃない! 現場で起きているんだ!」から。
その時に、彼らや京都西京極乃虎さんたちもそれぞれの立場で力になってくれるのではないでしょうか。立場、出身国、持ち味が違う『サイボーグ009』のようなかんじでしょうか。(あれ、昔の西鉄ライオンズがモデルって知ってました? カンピースさん)
そんな「今“再び”の陣列に 君と我」ではないでしょうか。

そうでないと勝てない。それだけ敵は、第六天の魔王(ただいま『信濃藩家中見聞』特別出演中。アカデミー賞、トニー賞有力候補)は手強い。
いっちょう、「異体同心」(今月の大白P98~99参照)の手本を信濃藩家中に見せつけてやろうじゃありませんか!
(偉そうなことを言っておいて、来週のサイレントアピールはやはり行けなくなりました。もし可能な方はお力添えを。)

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