投稿者:まなこ 投稿日:2016年12月 4日(日)08時04分16秒   通報
【池田】 私もそう思います。そのような精神と肉体のあり方を説明するのに、仏法では“色心不二”という生命観を展開しています。ここにいう“色”とは、物理、化学を主体とした科学的方法によって把握される、生命の物質的側面である肉体を指します。次に“心”とは、そのような物理・化学的方法によってはとらえることのできない、生命の種々の働きを指します。このなかには唯心論者が思索し、考察してきた理性や悟性といった精神活動、欲望等も当然含まれます。
仏法では、この“色法”と“心法”とは二であってしかも二でなく、一体であると捉えています。その“色”と“心”とが一つになっている本源的生命の本質の世界を指して“一念”ともいっております。しかも、そのいずれか一方が他方より根源的であるというのでもありません。“色法”と“心法”とは、それぞれの側面で生命の能動性を発揮しながら、しかも一個の生命体として揮然一体となっているのです。
このように、生命全体の立場から生命自体のあり方を考察したのが、仏法の“色心不二”の原理です。こうした生命観から考えれば、唯物論的思考は科学的方法論によって“色法”の世界を究明するものであり、唯心論は“心法”の世界を追求していったものであるといえます。

【トインビー】 われわれ現代人にできることは、知性では理解できないけれども仮説のうえで実在する統一体を、精神と肉体という一見本質的に異なる二つの構成要素に分析することくらいです。したがって、私も“色心不二”の概念は、われわれが“実在それ自体”を理解するうえで到達できる最も近似のものであると思います。