投稿者:ただ一言 投稿日:2016年12月 1日(木)04時34分12秒   通報 編集済
池田先生が公の場から離れてから、6年と半年がたった。表現はおかしいが今の創価学会を一言で言うと‥

「魔法がとけた創価学会」

創価学会がここまで大きくなったのは先生お一人の指導力。一人ももれなく会員を大切にする真心溢れる激励。先生振る舞いの魅力である。創価学会は先生の魔法で成り立っていた。それが魔法がとけた今、心ある会員が気づきはじめる。「先生の頃と違うじゃないか?おかしいじゃないか」と。先生がお元気な時は良かったのだか‥

世間でも危機管理が会社の命運を分ける。
信濃町は大きな過ちをしたと思う。先生がご病気になった時、内外に計り知れない影響がでるのを怖れて先生の意思として発表した。
「将来の為にあえて表にでない」ことにしてしまった。ここから信濃町のボタンの掛け違いが始まった。あまりに突然な出来事にやむを得ない感はあるが‥
しかし、あの時「ご高齢もあり病気療養しています」と正直に発表していた方が良かった。
そうすれば今は「少しずつお元気になられています」と自然に言える。これまでも先生は何度かご病気になられた。病気は不思議なことではない。

「執筆活動に専念していてお元気です」との言葉。上手く考えたものである。わが友に、寸鉄、随筆、新人間革命。会合へのご伝言やメッセージ。まさか代筆とは思わない。多くの会員は先生のものと安心する。これでお元気のように確かに思える。
しかし、中には代筆では?確かにお元気な頃の先生の激励文と違う。そこで先生のお写真を聖教に掲載する。先生はこのようにお元気ですと。実際の先生のお写真もあったが中には不自然なものもあった。最後の参加になられた本部幹部会の年、2010年の暮れ最高幹部との集合写真。先生と奥様は下足、他はスリッパ。他にも不自然なお写真はあった。後ろにあるはずの花が先生の背広の袖にかぶっていた。その頃の写真を旧知の内部のデザイナーにみてもらった
「合成っぽいですね。背景と人の切り抜きがあまい。特に髪の毛の部分はわかりやすい」と‥

将来こんなことにならないか?
「会員を心配させない為に先生のご意向の元、代筆していました。写真も偽造していました」
創価学会は民間企業ではない。組織を守るためとは言え宗教団体として、嘘はいいのであろうか‥

昭和54年。当時の最高幹部、執行部が先生を会長の座から追いやったのに長く「勇退」としていた。勇退。勇んで退く上手い言葉である。

先生を慕い「先生、先生!」と叫ぶ。その会員がうるさいと切っていると、その内に立派な会員は誰もいなくなりますよ。信濃町の皆さん。