投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年11月20日(日)09時07分16秒   通報
2002.1.28
○○常勝区○○王者本部 支部副壮年長 O.N

本年は「対話拡大の年」。妻と二人で昨年末に折伏の決意を固めあい、ブ
ロック討議に臨みました。支部長から「一家で一世帯の折伏を」との話があ
り、B長が大発心。ブロックの目標を10世帯と決めました。

1月1日夜、新年勤行会に参加して、早速、行動開始です。私のいとこが
いる愛知にいく予定でしたが、婦人部の方が神戸の友人を折伏したいとのこ
とで、6人で先ず神戸に向かって車で出発。
2日早朝に、長田文化会館に立ち寄り、勤行・唱題。残念ながら入決まで
いかなかったので、その夜は神戸に一泊。3日朝、愛知へと向かいました。
ところが滋賀県から浜松まで40年ぶりの大雪ということで、道路は通行止
め、愛知にはいくことができず、断念。

翌週の13日には、絶対決めるぞと、再度愛知行き。朝4時に東京を出て、
10時には愛知県津島市のいとこの家に到着。出てきたいとこの姿にビック
リ。なんと完全に失明していたのです。91歳のお母さんが、いっさいの世
話をしていました。母娘二人の暮らしは、昔の栄華からは想像も出来ません。
いとこは、「学会に入りたいが、お母さんが反対で…」とのこと。さっそく
婦人部の幹部と妻がお母さんの説得にかかりました。私はいとこにいろいろ
話すうちに、いとこはついに入会を決意。わずか30分で決まってしまい、
こんなにスムースでいいのかな、と思うほどでした。地元の地区にも連絡し、
20日に入会勤行会をやっていただくことになりました。一週間前と違って
意気揚々と帰ってきました。

ところが、魔は天界に住む、とのことば通り、津島にある40軒の親戚か
ら抗議の電話が次から次へと殺到。毎日電話の応対と、唱題の連続で、睡眠
時間も平均3時間。しかし一歩も引かず、戦いました。いとこの地元の婦人
部もいろいろと手を打ってくださったのですが、御本尊授与は難しいとの返
事を頂きました。それでも私はあきらめませんでした。夫婦で唱題を重ね、
20日の午前2時、意を決して愛知へ向かいました。

いとこの家に着くと、お母さんと言い争っています。母親は、親戚を呼ん
でくれと、私に要求。叔母がやってきて、いとこに再確認、いとこは「絶対
学会に入って信心したい」と言いきり、お母さんも最後には、「本人がここ
まで決意しているのなら、東京にまかせる」と決断。晴れて午後2時からの
入会勤行会に参加できるようになりました。地元の圏長はじめ支部長・地区
部長夫妻、B長・B担さんなどが祝福してくださり、無事、御本尊を頂くこ
とが出来ました。

家に帰り、入仏式の準備をしていると、いとこが、支部長を見て「男の人
がいる、あなた様はどなたですか?」と言うではありませんか。支部長は自
己紹介も忘れ、思わず「見えるんですか」と聞き返しました。「はい見えま
す」といとこ。そして勤行を終えた瞬間、「赤い箱が見える」と言い出しま
した。仏壇のことです。支部長が御本尊に近づいてみてごらん、というと、
読めないけれど、字が見えると言うではありませんか。そして周りを見て、
「お母さんがいる。久子さんがいる。パーマ屋さん(地元の地区婦人部長)
もいる。B担さんも…」と指さしたのです。みんな涙、涙の大感動に包まれ
ました。

このとき、東京では地区部長・地区婦人部長,B長・B担、壮年部の人も
地区一丸となって、唱題してくれていました。本当にありがとうございまし
た。いよいよ本年の目標達成めざし、2月闘争を唱題の渦で頑張り抜きます。