投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年11月18日(金)19時17分48秒   通報
神戸王城圏 三宮本部 旭支部
山本由紀子

まず、私はこの信心を始めるときに、1年、3年、5年、7年という節目があると聞きました。
その時、私は、1年目で生活を安定させ、3年目で日本全国どこにでも行ける境遇に、5年目で世界旅行だと笑いながら言いました。その願いが本当に叶い、入信満5年を迎えて、私はこうして、イタリアに
呼んでいただくことができました。
池田先生のご指導に、「仏法は勝負である。なれば、人生も勝負であり、広宣流布の道もまた勝負である」とあります。私はこのご指導を胸に私自身の蘇生をかけて戦ってきました。
最後まで一生懸命発表させていただきますのでよろしくお願いいたします。

私はキリスト教の裕福な、また厳格な家庭に育ちました。
お茶・お華・ピアノなどいろんな資格を持ち、数億の資産を持つひとつ年上のハンサムな男性と
大恋愛の末、200坪の高級住宅地に新築一戸建て、ヨーロッパ・ギリシャへの新婚旅行、一流ホテルでの豪華な挙式、次男でババ抜きの結婚をし、誰もが羨むような豪勢な生活でスタートしました。
そして、この幸せは永遠に続くものと思っていました。

しかし、実家の父親を亡くし、又、やっと授かった、赤ちゃんも生まれてすぐに病気で亡くしてしまいました。母乳はたくさん出るのに、それを与える赤ちゃんがいなくて、気が狂いそうでした。
妊娠前から、主人は会社の同僚と浮気をしていました。
その相手の女性は姑の凝っていた祈祷師の遠縁で、その占いの結果、また、その女性に赤ちゃんができたため、私は無一文で一方的に離婚させられ、主人は翌日、その女性と結婚式を挙げました。
実家の母親は世間体が悪いと私をなじり、帰る場所もなく、友達、親戚は遠ざかり、勤めていた会計事務所は陰湿なイジメでクビになり、その上、子宮癌になりました。

その頃、理不尽な理由で背負った500万円の借金のため、昼夜問わず働きましたが、
それでもお金が足りなくて、私は一日バナナ1本、またはパンの耳2,3本、あとは空腹を紛らわすために水ばかり飲む毎日で、ついに栄養失調になりました。
不幸のどん底でしたが、誰も助けてくれるどころか、悪者にされ、覚えのない中傷が広まりました。

癌の痛みで、のた打ち回りましたが、お金がなくて病院にも行けず、そこらあたりの道で意識を失って行き倒れると、誰かが救急車を呼んでくれる、だけど、救急車に乗せられ、頬をたたかれて意識が戻ると「降ろしてください、お金がないのです」と泣いて頼む、本当に地獄のような生活でした。
知り合いには、乞食のようだと笑われたこともありました。

生きる希望を全く失い、自殺未遂を4回繰り返しました。
病院のベッドの上で目覚め、死にきれない自分を嘲笑いました。
「世間」を気にして生きてきましたが、一体、「世間」がどんな仕打ちをしたのか。
本当に孤独と不安、悔しさを嫌というほど味わいました。
「幸せ」という言葉を聞くたび、悲しくて、虚しくて、胸が押し潰されるような思いになりました。
自分の居場所はこの世にはないと思っていました。

そんな頃、この仏法の話を初めて聞きましたが、創価学会は大嫌いでした。
誰から勧められようが、キリスト教をやめてまで、ましてや「創価学会」だけには入るつもりはありませんでした。再婚・就職に差し支え、また何より世間体が悪いと思いました。

入会を断るため、創価学会の変なところを指摘してやろうと、創価学会の書籍を何十冊と読みました。
私は哲学、経済学・心理学など一通り「知識」は持っていましたので、どうせ稚拙な宗教哲学だろうと、最初は批判的に読んでいましたが、この創価学会の仏法哲学は科学にも矛盾することなく、また、
その法則を実践することにより、実生活に結果として現れることを認めざるを得なくなりました。
仏法といえば、葬式、法事という暗いイメージしかありませんでしたが、こんなに縦横無尽で、
理路整然とした生命哲学があったのかと新鮮で強烈な印象を覚えました。

私が生まれたときから信仰してきたキリスト教では、現実に生きていく中での苦しみが解決できないことを知り、私は「今」、「現実に」幸せになりたい、人生の蘇生に挑戦したいと強く思いました。
この信仰が最後の砦でした。試してみて何も変わらなければ、もう一度死ねばすむことだと思いました。しかし、「よし、この仏法の信心をやろう」と決意した瞬間、まるでまっ青な大空の下に悠々とそよ風に吹かれながら、凛として立っているような、また自身の中の生命の泉がこんこんと湧いて出てくるような、そんなすがすがしい気持ちになりました。

あれほど孤独で自殺願望の強かった私が、勇気と希望を持つことができるようになったことは、
本当に不思議でした。
「何かの力に依存することなく、自身の幸福は自身で勝ち取る」
「幸・不幸の原因は自身の生命の中にある」
「不可能を可能に」
「最高の価値を創造」
「悲観はいらない」。
目に飛び込んでくる言葉は私の胸に刺さりました。
この仏法とキリスト教を比較し、その哲学の深さの違いに愕然としました。

キリスト教も世界平和を謳っていますが、宗教を利用して戦争を起こしてきた矛盾があります。
でもこの仏法は絶対平和主義です。世界平和の実現に係る具体的な実践があります。
また、戦争に反対したために創価学会初代会長が獄死、2代会長もともに牢獄に入ったことを知り、
信頼することができる宗教だと思いました。

反論の余地がなくなり、「世間を気にしているけど、その世間は一体私にどんな仕打ちをしたのか」
「正しいものを正しいと認識しながら、実践しないのはバカで卑怯だ」と思い、私は平成9年7月3日、この大嫌いだった創価学会に入会させていただきました。

入会前日、母親に「創価学会に入る」と電話をしました。
「離婚して、私に恥をかかせて、苦しめて、最後は創価学会か。親子の縁を切る。自殺してやる」と
勘当されました。複雑な思いがしました。「勝手に死んだらいいではないか」と思いました。

私は世間体ばかりを気にする母親の期待に応えようと、幼い頃から、母親の顔色を気にしながら生きてきました。しかし、母親の理想通りには行かず、冷たい仕打ちを受けた記憶しかなく、家族の中で孤立し、母親を怨んできました。
しかし、私が創価学会に入ることで、母親が自殺した時、変に遺書でも残されて私の悪口を書かれたら困ると思いました。その程度のことしか考えられない、冷たい娘でしたが、お題目をあげるうちに母親の身が案じられてならなくなりました。
私のことを認めてくれなくてもいいから、生きていて欲しいと思えるようになり、何度も生きているかどうかこっそりと確認に行きました。

さて、入会後、もう、「紹介者を変えて欲しい」と思うほどの厳しい「修行」が始まりました。
たとえ何があっても、「あなたに原因がある。あなたの宿業だ。愚痴文句は福運消すから一切言うな。心でも思うな」というのです。
私を一刻も早く幸せにするために、紹介者は生命論の実践を叩き込んでくれたのでしょうが、
周囲の新入会員を見渡すと、そんな厳しい指導をガンガン受けている方は誰もいませんでした。

「あかん。いやや。もうやめよう」と思った頃、子宮癌が完治していることに気づきました。
足の痺れか、子宮の痛みかわからなくなるほど、この紹介者にはお題目を上げさせられたのですが、
ある日ふっと気がつくと足の痺れだけになっていることに気づいたのです。
おなかをギュウギュウ押してみましたが全然痛くならないのです。
治療のためのお金は祈っていましたが、子宮癌が本当に治るとは思っていませんでした。
医者に「誤診」だったのかと問いただしましたが、やはり自然退縮をしているとのことでした。

その頃、別れた主人が私に未だ生命保険を掛け続けていたことが発覚しました。
まだ、私に愛情があり、復縁できるかもと期待しましたが、主人は、私が癌だったことを知っていたのです。そして、「癌が治るなんて」と愕然としていたようです。その時、自身、本当に「癌」だったのだと思いました。
自身の体でこの仏法が正しいことを証明してしまった。
「癌が治るなんてありえない」とばかにしてきた身としては、複雑だったのですが、もう、信じざるを得ない。癌でさえ治る。であるならば、貧乏、人間関係も同じ方程式で必ず「治る」ことを知りました。

その頃の私は平常から、ひどく顔色が悪かったため、創価学会の同志の方が心配をし、お題目を上げて下さっていたと聞きました。
私は何の利害関係もない他人が、社会的地位や名誉もない貧乏な私なんかのことを祈るということが
信じられませんでした。形式だけの偽善だと思っていました。
しかし、いろいろな同志の方と出会ううちに、真剣に友のことを心配し、一緒に苦しむ姿が本物だと
感じるようになり、私は自分の境涯の低さに恥じるようになりました。
他人の不幸は密の味としか捉えられない自分に嫌気がさしたのです。
友人のために真心を尽くしてみようと決意しましたが、平成10年1月25日、私は友人に
「頭でっかちの、心のない冷たい人間だ」と言われました。
その夜、悔しくて泣きながらお題目をあげました。
「ご本尊様、どうか私にこの仏法を頭ではなく、心で教えてください。どうか、友達の幸せを心から
祈れる自分にして下さい」と初めて真剣に祈り続けました。
悔しくてお題目を上げているのに、妙なことに驚くほど嬉しくなってきたのです。
「私が山本由紀子として現在日本に生まれて、離婚して、癌になって、貧乏して、友達に裏切られ、
死にたくなるようなつらい経験は、友を勇気付ける最高の宝物だったのだ」
また、「私にしかできない、自分の使命を果たそう。この仏法の正しさを証明するサンプルになろう。今まで功徳、功徳って自分のことばかり祈ってきた。もう、こんな乞食のような信心はやめよう」と
思いました。

すると同時に悪に対する怒りが吹き上げてきたのです。
自分に対して卑屈になり、いつも何かに束縛され、不自由だと感じ、愚痴ばかり出ていましたが、
それは環境のせいではなく、原因は自身の中にあったことに気づきました。
また、友人の幸せを心から願えないのは、見栄や嫉妬、自己中心、恐怖など、私の中の醜い生命が
原因だとわかったのです。
「自分の中の醜い生命を叩ききろう。宿命転換して人生の上で最高の勝利を勝ち取ってみせる」と
決意しました。
また「私に関わった方たちは決して不幸にさせておくものか。必ず、生きていて最高に楽しかった、
充実していたという勝利の人生を勝ち取ってもらおう」と心から思えることができるようになったのです。

また、この仏法に出逢えたこと、そのものが私の最高の功徳であったと気がつき、生まれて初めて、
自分の生命が大切に思えました。自身の可能性は宇宙大だと気づいたのです。壮大なロマンを感じました。この体験が私の原点となりました。

境涯革命を決意したこの瞬間から、環境に振り回されていた自身から、環境を自由自在に変えることのできる自身に変革することができたのです。

人生の師匠である池田先生と、自身の間に塵ひとつ入れない戦いがしたいと思いました。
「仏法は勝負」、このご指導がしっかりと私の中に焼きつきました。
どのような状態になろうとも、鮮やかに堂々と勝たねばならないと思いました。
今現在、この私がどのように変化したか、功徳の体験を語ればきりがありません。

仕事を通して実証を示させて欲しいと祈り、自分で記帳代行・資金繰管理の会社を始めました。
私は貧乏を経験し、その辛さ・不安は十分にわかりますので、数字だけではない、深い部分で顧客を
理解したいと願い、勝利を勝ち取ってもらいたいとの一念で接し続けました。
するとある銀行の支店長に認められ、また頭取にも評価されたそうで、銀行を通して仕事が入ってくるようになりました。それ以外でも、まるで、磁石に吸い寄せられるように、顧客が増え続けました。
毎月の収入は、100万円を超えました。
創価学会の私が、一度でも関わった会社は決して潰すわけには参りません。
顧客の会社の大成長を祈る中で、いろいろな現証を目のあたりにさせていただきました。
さまざまなドラマが生まれ、私の中で確信が深まりました。