投稿者:斎藤正二 投稿日:2015年 3月 3日(火)11時51分49秒  

遠藤文書は事実である。聖教新聞社内では、かねてよりこの執行部の対応について疑義を抱いている人が少なくない。特に、長谷川重夫本部長には不信感を抱く者が多い。
1990年代後半、第一庶務の長谷川重夫は師匠池田先生の同行から外された。が、その後も外されたことを知らない幹部や会員からは、さも先生に報告できる立場であると自らの権力の立場を堅持していた。関西の西口副理事長などからはその姿を「長谷川は権力の衣を着たがる小さい男や」と酷評されるほどであった。

長谷川重夫は池田先生同行当時より、師匠のご伝言の引用に自ら勝手につけ加えたり削除するなど、御指導のカギかっこが曖昧であることを聖教新聞社報道部では何ども指摘される話題となっていた。それだけ師匠の言について不誠実な男なのである。

その師匠利用の不誠実さが韓国SGI分裂問題の一因へとなったことを知る人は少ない。
1999年8月、韓国SGI執行部を批判するインターネットサイト「無窮花」が開設。朴理事長による金銭面等の不正疑惑等が告発された。が、2000年5月朴理事長再任を韓国SGI評議会に上程。強硬採決。これを契機に韓国全土で「善の連帯」が決起。秋谷会長(当時)の範囲内では収拾つかず、同年5月15日に池田大作先生自ら事の解決をはかるために首脳会議に参加されることに。

その会議の中で明らかになったのだが、当時韓国SGIを担当していた故・和泉議長が池田先生に事の経過を報告するべく第一庶務の長谷川重夫に伝えていたことが先生には一切伝わっていなかったことが発覚したのである。以下会議記録より。

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和泉議長(以下、和泉)「それで、第一(庶務)とかにあいさつに来ないから生意気だとか……」
原田事務総長(以下、原田) 「和泉先生、そうじゃない。決してそういうことではありません」
CP「そうだよ。こっちは何も聞いていないもの」
和泉「そんなこと言ったって、この前、長谷川君がそう言ったのを聞いたんだからしょうがないじゃない」
CP「だれが?」
和泉「長谷川君です」
CP「長谷川?長谷川だれ?」
秋谷会長(以下、秋谷)「第一庶務の」
和泉「長谷川君が、(原田)総長とかもいる前で、そう言ったんです」
原田「それは、あの時の話の流れでそう言ったんです。和泉先生、そのことと先生が今日ご指導くださった増上慢であるということは、まったく別の問題であると私は思います」
和泉「4、5年前の話に遡りますけれども、あの時、朴理事長をこっそりSGIに呼んで、謝れと、二人で韓国に帰って謝れと指導したんです」
CP「何を言っているのか、分からない。どういうことなんだ?」
秋谷「4年前に韓国で一度事件がありまして、その折りに、彼(朴理事長)が拉致されたとか、いなくなったとか言われた問題がありまして……」
CP「あったあった、あの時は心配した。みんな心配した。あったよ」
秋谷「その時に、和田さんたちか朴さんたちに、真相はどうなんだ、といろいろと聞いたり調べたりしたことをやりました。それで、いろいろSGIはSGIとして心配したわけです」
CP「私だって心配したよ」
秋谷「で、そのことで少し行き違いができたものですから、会食の時に、その後はしばらく和泉さんが直接指導して、SGIは手を引くように、というご指導をいただいたものですから、そうしているうちに、SGIの方へはあまり報告が来なくなった。そういう経過を含めて、何となく」
CP「疎遠になった?」
秋谷「こちら(日本)が分断されたような格好になって、目に見えないところで、みんなが利用し合うような隙を作っちゃった、ということが、今日の問題の背景にあると思います」
CP「そうだ。そうだな」
秋谷「私どもの方にも、反省しなければならない点もありますし、長谷川君の名前も出ましたけれども、第一庶務のところに来るとどうしても長谷川のところへ来ますし、それで彼は仕事が終わると帰らなければならない、SGIの方とも連絡がつかないという状況が続いておりまして……」

CP「長谷川からは話は聞いていないんだ、私は。いるけどね、全然話していない。全然会っていない。飛ばそうと思っているんだよ。いるけども。かわいそうだから」
和泉「その問題ではなくして……今回、石さんが、済州島の件も本部棟の件も先生からお話があったんですか、って長谷川君に電話して先生はご存じないと聞いて、先生の意に反しているんだ、勝手にやったんだと騒いでそれから抗議が始まったんです」
CP「石さんが? 全然知らないよ」
秋谷「これも食い違いがありまして、石さんのところから長谷川のところに問い合わせがあった、長谷川は“先生が直接決められることではなくて、韓国に全部任せている” “先生が指示したということはありません”と答えた。それに対して、石南秀さんが“先生の指示したことではないものを朴さんがやった”という食い違いでもって」
CP「長谷川を呼べ。ここへ。長谷川を切っちゃおう。(はい)全然、会っていないんですよ。
 あれはまたいい気になって、会長になろうと思っていたんだよ、会長に」
和泉「(長谷川がいった)先生はご存じないということは、それは当然なんですけれども、それを利用しちゃって、朴が勝手なことをやった、だから4月2日に首になる、4月6日に首になる、5月3日には首になる――散々デマを飛ばされて」
CP「そうなの?」
秋谷「それは、韓国内のお互いの言い合いの中で」
CP「うん。分かった。もしくは、もしそんなことがあったんなら、和泉先生、私にね、こういうふうに韓国なっていますよ、と」
和泉「それは秋谷会長に全部申し上げてあります」
CP「だから、私に」
和泉「いや、直接お会いする機会もあまりなかったものですから」
CP「君(会長)も、分かったらちゃんと手を打たなければならないよ。みんなずるいんだよ。こっちも。みんな責任回避してるんだよ。長谷川も余計なこといって。そうなっちゃったもとは、和泉先生が係りだったんだから、たとえどうあれ、秋谷君が聞いてくれなくても、私が先生のところにいって話そうと」
和泉「その時もですね、私は第一庶務に来て長谷川君に詳しいことを話をしたんですけどね、その話を逆に、和泉も第一庶務に指導を受けている、第一庶務の方が上なんだといって向こうに流れてですね。石さんグループがですね。向こうはそれを利用して、和泉も伊藤さんも首になるって」
(中略)

和泉「問題がいろいろごたごたしたことも、問題もありませんからご心配しないで結構ですということを長谷川副会長から先生に言ってもらおうと思っていたのですが、第一庶務から向こうの方に対しては、長谷川副会長が年中指導を受けているようなことが第一庶務から」

CP「長谷川はいないのか。(はい。)ここに座れ。おまえもなんだか余計なことをやっていたらしいな。えばりくさって。会長に、そばにいたからね、まるで私を利用してよ。
(和泉さんに)言ってよ」

和泉「創価大学出身者が、中国の場合、代々本当に良くなっているんですけれども、韓国の場合創価大学は良くないわけですね。それがだめになったのは、朴政権なんだと言われているわけです」

CP「長谷川は何といったの」

和泉「そうであるとか、ないとかいいませんから。あのときもう一つ4年前に問題になったのは、国際センターにいた金という通訳がいる韓国人で。この通訳と伊藤さんを交換するのしないのと話がでたのが4年前なわけです」

伊藤「4年前の話なんです」

CP「全然わからないな」

和泉「そのとき伊藤さんは先生の通訳だと。金セイケンは国際センターにいたあれと交換できないといったことが、そういうことから始まっているわけです」

CP「長谷川は一切関係ありませんから。これは明快にして下さい。絶対に信じちゃいけません。おまえもやめろ。
長谷川(はい。)
CP「何を知っているの」

(中略)
和泉「はい。先生にわかっていただければ、それでいいと思います。でも全部話が通っていないことがちょっと心配しておりまして」

CP「あっ 通ってない、全然私のところへ、こない。全然知らない。全然といっていいくらい。長谷川だってしてない、そんなことは。韓国の問題で私のところに報告したことないよな」
長谷川「はい」

CP「私はね。今度はね。秋谷から聞いて、これは両者の話を聞いて、早くありのままに話し合って、解決していかなければ損をすると。韓国の学会員に対して申しわけないと。ここから始まったんです。皆さんは、違うとか、どうのこうのではないんです」
(以下長時間のため略)
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遠藤文書には今の執行部の体質が如実にあらわれているが、かねてよりこうした実態はあった。丹治正弘が編集総局を支配しようとしていた折にも、報道部の相島が長谷川に相談したが、「私はね彼を信頼しているんだよ」と門前払い。韓国問題の時からまったく成長していなかった。遠藤さん斬りや宮地を異動させた執行部の体質は遠藤文書に綴られた通りである。この一連の流れから、聖教新聞社内では、長谷川は悪を擁護するが、正義の声には相手にしないことで有名となった。ちなみに、相島は第一庶務の中野富美雄にも丹治問題を相談したが「丹治は正義だ。お前が題目をあげて成長しろ」とつっぱねられたこともあわせて記しておこう。