投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月28日(金)18時38分58秒   通報
「池田大作という人 その素顔と
愛と生き方」 五島勉著

第6章 ふきあがる炎

「おれにできるだろうか」

戸田さんのこの言葉を聞いた途端、池田青年は
(ああ、先生はとうとう・・・・それを言って
しまった!)
そう思って体が震えたという。

彼は、自分がいつか、戸田さんの後をつながな
ければならないだろう、ということは感じていた。
どん底の中で、戸田さんと二人きりで戦い、
戸田さんのすべてを吸収したのだから、
自分以外にうけ継ぐ者はいない、とも思っていた。

ても、師の口から、はっきり、第3代会長と
いう言葉でそれを云い出されてみると、
それまでの自信はいっぺんに吹っ飛んだ。
そして、何もかもなげ捨てて逃げ出したい
ような重責感が全身をいき苦しく締めつける
のを覚えた。

無理もなかった。これは政党や大会社の後継者の
使命とはまるで違うのだ。出来上がった組織を
受け継ぐのではなく、生まれたばかりの組織を
これから発展させて、世界中に仏法を広めて
いかなければならないのだ。

その長い道の途中には、どんな障害や弾圧、危険
や攻撃が待ち構えているかわかったもんじゃない。
しかし、何度も言うように、会の会長という地位は、
教祖でも権力のトップでもない。「日蓮正宗」その
ものを受け継ぐ代々の上人、僧侶たちは、富士の
大石寺にちゃんといる。それを外から守っていく
信徒・民衆の団体が学会だ。だから、その会長には、

宗門への権限は何もなく、それを守り抜く責任が
あるだけなのだ。
(おれはそれに耐えられるだろうか、会長になって
学会活動の先頭に立つなんて、このおれに
できるだろうか?おれは早いところうまく辞退して、
もっと年上の経歴の古い先輩を推薦した
方がよくはないだろうか?)

彼は周りを見回した。しかし、その時、彼は周りの
同志たちがみんな、すがるような眼でかれをみつめ
ているのに気づいた。戸田さんが「次の会長」と
いったときから、みんなは、期せずして池田青年
一人を見つめ続けていたのだ。

「私なんか、彼よりも信心の経歴は長かったが、
指導力、情熱、人を引き付ける魅力、どれをとっても
彼には及ばなかった。大変なのはわかっていたが、
戸田先生のあとは彼にやってもらうより仕方ないと
思った。水が流れるべきところに流れるように、
ごく自然にそう思いました」

出席していた先輩の一人は、その時の気持ちをこう
言っている。これがほかの団体や会社だったら、
社長の息子とか、一番古株の幹部とかが後継者に
選ばれたろう。でなければ、策謀や金力や票数の
力を持った人が、味方同士、必死に戦って後継者に
選ばれたろう。

ぼんくらな 2代目、3代目ができたり、お家騒動の
種がまかれたりするのはそのためだ。創価学会は、
そういうよどんだ慣習を、ここできっぱり断ち切った。
年齢・学歴・毛並みと関係なく、最もリーダーに
ふさわしい人物を選ぶルールも、ここで確立した。

しかもそれは、できるだけ早めにその人を選び、
十分な準備期間を与え、その間にその人の一層の
成長を待つ、という新しい生き方だった。

戸田さん独特の、完ぺきな後継者育成法。
先輩たちの期待のまなざしを受け止めているうち、
池田青年のこころには、この師の気持ちがふかく
沁みとおった。同時に、「次の会長」という、
言葉は、決してえこひいきや思いつきじゃなく、
途方もない努力と成長を求める、厳しいムチ
だったことも分かった。

(とすると、避けるのは卑怯だ。おれはやって
みるほかない。これから、リーダーにふさわしい
人間になれるように、全力で励んで・・・辞退する
ならそのあとでもいい。ためらうよりまずぶつ
かってみることだ。たとええらい会長になれなく
とも、皆のためのゾーキンみたいな働きはできる
だろう)彼はようやくこう決心した。

血を吐きながら、コッペパンと水だけで戦った
つらい経験があるだけに、どんな苦しみでも
耐えられる確信はあった。それだけの力に、
池田青年は戸田さんの期待にこたえる道を
ともかくよじ登ってみようと思った。

だけど、ほんというと、「それだけを力に」
っていい方はあまり正確じゃない。
もう一つ、彼の決意を支えてくれるものがある。
それは当時、彼が知りあってまもない、19歳の
可憐な女性との激しい恋愛だった。