投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年10月27日(木)01時33分17秒   通報 編集済
ひらがなプロジェクトに投稿しました。
御義口伝別伝の序  御義口伝本文(題目の所) 2編です。

信濃町の人びとさま、レスありがとうございます。

大仏のグリグリのとこ さん【信仰と哲学と三諦論】について。

>末法は「ただ南無妙法蓮華経なるべし」なので、釈迦仏を本尊とすれば謗法です。<

釈迦を本尊としたら、謗法というお答えを頂き、ありがとうございます。

【信仰と哲学と三諦論】2/12 より引用失礼します。

>これは仏法を学んでいくうえで、本質論の基本・前提とも言えるものですが、
釈迦仏法と日蓮仏法の最大の違いは「実体」があるか、ないかということです。

実体とは何かというと「本尊」です。<
引用終わり

信仰と哲学と三諦論は、私がこのような↓乱暴な書き込みを、したことに対しての、お答えだと思いました。

『楊枝本尊』があるとは知りませんでしたが・・・、
≪釈迦・多宝の二仏は略されてもよい派生的なものである≫
私もこの事実を知って、ご本尊様の本質は、南無妙法蓮華経と日蓮の記述であると思います。

とすれば、青年部が折伏と称して、お守りご本尊を配布したのを基準として、ご本尊ケースと称して、
携帯本尊があっても良いということになりませんか。

>グリグリが使う「日蓮本仏」は、ただ単に「釈迦仏や諸仏をも超える宇宙根源の御本仏」という神聖化
され、きらびやかに荘厳されたものではありません。=中略=
 その意味において、須田論文は宮田論文の破折には有効ですが、学会教学の再構築を考えた場合、
物足りなさを感じます<

上記のような、書き込みされましたが、私も同感です。

「物足りなさ」・・・その答えが、【信仰と哲学と三諦論】12/12に
>仰(南無妙法蓮華経)の実践論を構成する「智慧・真理・慈悲」の三つの側面を、

創価思想は現代的に、

価値論は智慧、
生命論は真理、
人間論は慈悲
として展開し、日蓮仏法を主眼とした大乗仏教哲学を、それぞれ違った角度から光を当てたもので、

いずれも「人間と社会と自然」を主体とした創価学会独自の思想的価値です。(中略)

信仰者は確かなる日蓮教学(生命哲学)と、創価思想の研鑽を怠ってはいけないのです。<

上記の書き込みは、新しい、記述だと思いました。
じっくりと、思索し、実践に訳して活動に生かしていかねばなりません。

この宿坊の書き込みで、新しく認定ご本尊様が販売されようとしてるとの書き込みがありました。
大聖人の、お心に反していなければ、良いのになと、心配しています。

私は、日寛教学がこれからも必要だとの考えです。

大御本尊様が、大聖人の弘安2年の出世の本懐でなくても、日寛上人は、日蓮大聖人の教えを、牧口先生、
戸田先生、池田先生につないだ功績は、何物にも代えがたい、中興の祖として尊敬すべきだと思っています。