投稿者:無冠 投稿日:2016年10月26日(水)07時20分42秒   通報
全集未収録の特別文化講座『創立者 ダンテを語る』を掲示します。

2008-4-23 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る④

 君たちの 名前を一生 忘れまじ 私の心に 栄光眩(まばゆ)く

 一、ダンテは、「予め労苦し、後代のものらをして富ましめ」(中山訳『ダンテ全集第8巻』同)と語っています。
 自分自身が苦労して、後に続く人々のために、豊かな精神の遺産を残しゆけというのです。
 そのために、若き君たちは、今日も健康第一で、張り切って、学び抜いていただきたい。

ダンテを勇気づける師ウェルギリウス 「風に動かぬ塔のように立て」
歌え!師弟の栄光の詩

一、ある時、学園生が私に質問をしました。
 「池田先生の夢は何ですか?」
 私は答えました。
 「私の夢は、戸田先生の夢を実現することです」と。
 戸田先生の弟子として私は、恩師の夢を一つ残らず実現してきました。
 師匠の正義と偉大さを叫び抜いてきました。
 歴史上、偉大な仕事を残した多くの人は、若いころから、大きな夢に向かって挑戦しています。
 皆さんも、大きい夢を持つのです。偉大な夢を実現していくのです。

 ● 創価小、万歳!
 一、創価教育の学校をつくることも、戸田先生の夢でした。それは戸田先生の師匠である牧口先生の夢でもあった。
 戸田先生は、若い私に言われました。
 「牧口先生は、創価教育の学校の建設を私に託された。しかし、私の代でできなければ、大作、その時は頼むぞ」と。
 その言葉の通り、私は、創価学園、創価大学、創価女子短大、そしてアメリカ創価大学を創立しました。
 創価一貫教育の”夢の城”として、東京創価小学校と関西創価小学校も光っています。
 牧口先生も戸田先生も、小学校の先生で心たから、創価小学校の現在の大発展を、それはそれは喜んでくださっているでしょう。

 万歳と 皆で叫ばむ 創価小  未来の偉人よ 負けずに育てと

 さらに、札幌創価幼椎園を出発点として、創価の幼児教育のネットワークは、香港、シンガポール、マレーシア、韓国に広がっています。
 ブラジルにも、創価の学舎をつくりました。

 一、今、この創価の師弟の事業は、世界の人々から一段と大きな信頼を寄せられる時代に入りました。
 ダンテが生まれたイタリアでも、牧口・戸田両先生の業績が大きく顕彰されています。
 ”花の都”フィレンツェの郊外に位置するカプライア・リミテ市には、「牧口常三郎平和公園」ができました。
 イタリア中部のペルージャ県には「牧口常三郎通り」があります。
 またイタリア南部のアブルッツォ州には「戸田城聖通り」が誕生。
 フィレンツェの南西にあるチェルタルド市には「戸田城聖庭園」が開園しています。
 戦時中、日本のファシズムと戦い、平和のため、民衆の幸福のために生涯を捧げた創価の師弟への讃嘆は、いよいよ大きくなっています。
 これもイタリアの同志の皆さんが師弟の真実を語り抜き、平和と友情の連帯を広げてくださっているおかげです。心から感謝申し上げたい。
 〈イタリアでは、創立者の池田名誉会長に対し、ボローニャ大学とバレルモ大学から名誉博士号が授与されているほか、44の名誉市民称号、また100を超える都市や団体からの顕彰が贈られている〉

君に正義と勝利の月桂冠を
一人ももれなく幸福博士に

 ● 師匠は太陽!
 一、『神曲』で深く心を打たれるのは、杜絶な「地獄」と「煉獄」を踏破し、「天国」へと向かう、ウェルギリウスとダンテの「師弟の絆」です。
 「師弟」がなければ、破れない壁があります。
 「師弟」でなければ、進めない道があります。
 『神曲』の冒頭、人生の正しい道に迷い苦悩する若きダンテは、大詩人ウェルギリウスと出会いました。そして、師弟の旅に出発しゆく喜びを、弟子ダンテは、こう詠っています。

 夜の寒さにうなだれ しぼむ小さな花が、
 朝日の光を受けると 勢よくおきあがり、
 茎の上に 悉くひらくように、
 私の萎えた力も 生色を取りもどす。
かくて、 怖れを知らぬ勇気、
わが心にみなぎり、自由となった者の ように、私は言い始める
(寿岳文章訳『神曲』集英社)

 さあ行きましょう、 二人とも
 心は一つです、
 あなたが先達、 あなたが主君、 あなたが師です
 (平川祐弘訳『神曲』河出書房新社)

 師匠は、希望の太陽であり、勇気の泉です。
 私が師匠・戸田先生に初めてお会いしたのは、皆さんとほぼ同じ年代の19歳の時でした。
 私も”人生の師匠”と出会えた感動を、その場で即興詩に詠んだことが思い出されます。

 旅びとよ いずこより来り いずこへ 往かんとするか
 月は 沈みぬ 日 いまだ昇らず
 夜明け前の混沌(カオス)に 光 もとめて われ 進みゆく
 心の 暗雲を はらわんと 嵐に動かぬ 大樹求め
 われ 地より 湧き出でんとするか

 ● 何のためを問え
 一、師弟の出会いがあるところ、豊かな「詩」が生まれます。師弟の闘争があるところ、魂の旋律ともいうべき偉大な「歌」が生まれます。
 私もこれまで、わが学園生と、また愛する多くの青年たちと、幾多の歌をつくってきました。一つ一つに忘れ得ぬ歴史があります。

 一、東京の学園校歌「草木は萌ゆる」は、武蔵野の四季を歌い、人生の根本の「問い」と「答え」を示した、本当に素晴らしい歌です。
 一番では、「英知をみがくは 何のため」との問いかけに対し、「次代の世界を 担わんと」と、その目的が明快に記されている。
 さらに「何のため」との問いが続き、”社会の繁栄のため””民衆の幸福のため””世界の平和のため”と高らかに歌われています。この歌は、目先の利害とか、小さな自分を超えて、「大いなる理想」に向かって前進していかんとする、学園生の誓いの歌です。
 世の中には、初心を忘れ、お世話になった人の恩を忘れる人間もいる。それどころか、恩を仇で払す人間さえいる。それは、慢心をおこし、ちっぽけな自分が中心となり、本来の目的を見失っているからだ。それでは堕落の人生だ。
 皆さんは、この学園で「何のため」と、わが胸に問いかけながら、一生涯、崩れることのない、人生の大目的を生命に焼き付けていってください。ここに創価学園の大精神があるからです。

 一、校歌の5番の歌詞は私が贈りました。

 富士が見えるぞ 武蔵野の
 渓流清き 鳳雛の
 平和をめざすは 何のため
 輝く友の 道拓く
 未来に羽ばたけ 君と僕

 私の人生の目的は、後に続く若き君たちの「道を拓く」ことです。
 そのために一切の苦難をはねのけて、平和と文化と教育の大道を全世界に広げてきました。
 創価学園が開校した年である1968年の9月6日、学園のグラウンド開きで、凛々しき1期生500人と初めて校歌(当時は寮歌)を歌って以来、40年が経ちました。今や、東京校の同窓生の集いである「鳳友(ほうゆう)会」「香友(こうゆう)会」の連帯は約1万4000人となりました。
 「未来に羽ばたけ 君と僕」。私の胸には、いつも、君たち学園生がいます。

創価の乙女は世界を舞台に
女性の励ましの声は人類を正しい道へ導く

 ● 師弟一体で!
 「一方、私の提案に応えて、関西学園に新校歌「栄光の旗」が誕生したのは、今から18年前のことでした。
 作成の中心となったのは、関西創価小学校からの”一貫教育1期生”となる高校15期生たちです。
 関西校で新校歌作成の取り組みが本格化した1990年2月、私は自由の天地アメリカで、平和への指揮を執っていました。そして3月4日、アメリカから帰国したばかりの私のもとに届けてくれたのです。
 歌の完成を、私は、本当に楽しみにしていました。
 全力でぶつかってきた学園生の思いに応えたいと、思索を凝縮させ、ペンを走らせました。歌詞に大幅な直しを入れさせてもらいました。
 曲づくりにも、「学園生が庭園の池のほとりで、仲良く語り合っているような、流れるようなメロディーで」等とアドバイスをしました。
 何度も作曲を重ねた末に、最終の案となる曲が完成したのは、15期生の卒業式の3日前、3月13日でした。
 翌14日、それを聴いた私は、「とてもいい」と感動した。限界を打ち破り、何度も何度も挑戦した学園生の心意気が本当にうれしかった。ここに歴史的な師弟共戦の歌が完成したのです。

 一、校歌の3番の歌詞はこうです。

 ああ関西に 父子の詩
 これぞ我らの 誉れの曲
 ともに誓いを 果たさむと
 世界を結べや 朗らかに
 君も王者と 栄光の旗
 君も勝利と 栄光の旗

 東京の校歌には、深く掘り下げられた「学園の原点」があり、関西の校歌には、世界に飛翔しゆく「学園の栄光」が留められています。
 その後も私は、東西の女子学園生の歌として、妻とともに「幸福の乙女」をつくりました。
 また関西校に学園歌「関西創価 わが誇り」、関西学園寮歌「我らの城」を贈った。
 皆、私が学園生と一体となってつくった「師弟の詩(うた)」です。

 ● 「おそれるな!私が導く限り」
 一、師弟の絆ほど、美しく、強いものはない。
 師弟とは、ある意味で、親子以上の関係です。親子は動物にもありますが、師弟は人間にしかない。師弟があってこそ、本当の学問があり、英知があります。
 師弟あればこそ、弟子は困難に飛び込んでいける。師弟がなければ、命を懸けた信念の戦いを貫くことは難しい。
 人格を鍛える根本の力も師弟です。それが、師弟に生き抜いた私の実感です。

 一、今、世界の各地、社会の各界で、学園出身の先輩方の活躍が生き生きと広がっている。
 立派な学園の伝統を築き上げてくださった先生方、また職員の方々、そして陰に陽に学園を護り支えてくださっている、すべての皆様に私は心から感謝申し上げたい。

 堂々と 天にそびゆる 人材を  世界におくりし わが師を讃えむ

 一、『神曲』の師弟も本当に美しい。
 師ウェルギリウスは、罪と罰とが激しく渦巻く「地獄」「煉獄」を進みながら、弟子ダンテを、時に温かく、時に厳しく、励まし続ける。
 思いつくままに、紹介させてもらえば──
 「怖れるな、わたしが君を導くかぎり」「怖れるな。われらの進むを妨げる力は誰にも無し」(前掲寿岳訳)
 「私について来い、勝手にいわせておけ。/風が吹こうがびくとも動ぜぬ塔のように/どっしりとかまえていろ」(前掲平川訳)
 「必ず我等は戦に勝つべきである」(中山昌樹訳『ダンテ全集第1巻』日本図書センター)と。

『ダンテ』 私は命ある限り師の大恩を世に語り示すつもりです!

 ● すべて、そのまま、わが学園生に贈りたい言葉です。
 一方、弟子ダンテは、「慕わしき蹠(あしうら)の跡を追うた」(同、現代表記に改めた)と、師匠の足跡までが慕わしいと感謝を捧げます。
 「先達が希望を与え、光となってくれたのだ」「私がいかほど先生に恩を感じているか、/私は生きている限り、世に語り世に示すつもりです」(前掲平川択)
 敬愛する師の恩に応えたい──このダンテの報恩の心こそが、険しき旅路を歩み抜き、勝利していく力となったのです。
 地獄と煉獄の旅を終えるにあたり、師匠ウェルギリウスは、強く逞しく成長したダンテの頭上に「冠」を授ける。
 弟子の「成長と勝利」こそ、師にとって最高の喜びです。私にとって最高最大の喜びも、学園生一人一人の「成長」であり、「勝利」なのです。

 若獅子よ  おお頭(こうべ)には   月桂冠
  乙女の髪には    英知の風吹け

 ● 女性が主役!
 一、『神曲』の最終部は、罪悪と争いに満ちた地底の「地獄界」や地上の「煉獄界」を見おろす「天国界」──大宇宙の旅でもあります。
 この旅で、ダンテを導く役割を担うのは、高潔な女性のベアトリーチェです。
 「おまえが望み憧れる真実に向かってこの道を私が/どのように進むかをよく見ておきなさい」(前掲平川訳)
 「真理の上に未だ足を重ねずして汝は/依然として身を虚妄に回らしている」 (中山訳『ダンテ全集第3巻』同、現代表記に改めた)
 毅然たる女性の激励に対して、ダンテは心から感謝を述べます。
 「正しい考えと誤った考えを証しながら/美しい真理のやさしい姿を私にしめした」(野上素一駅『筑摩世界文学大系11 ダンテ』筑摩書房)と。
 率先の模範を示しながら、時に凛然と、時に理路整然と、雄弁をもって正邪を語り導く姿は、輝く創価の乙女を思わせる品格があります。
 一、学園出身の女性たちの活躍を讃える声を、私は、社会の各界の方々から、本当によくうかがいます。皆、自分らしく、努力に努力を重ね、「使命の道」で輝いている。
 弁護士や公認会計士、政治家、外交官、医師、ジャーナリスト、通訳・翻訳者、大学や学校の教員など、社会の第一線で光を放っているメンバーもいます。小学校の校長も誕生しました。
 またアメリカの名門カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)など世界の名門大学で博士号を取得した人や、アメリカ創価大学を最優秀の成績で卒業し、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の大学院に進んだ人もいます。
 そして、多くの卒業生が、学園時代の誓いを胸に、信頼厚き地域の女性リーダーとして、全世界で活躍しています。
 強く賢く清らかな心の女性こそが、世界を平和と善の調和の方向へとリードしていく──これがベアトリーチェに託したダンテの信念でした。
 「女性の世紀」は、これからが本番です。皆さんこそ、その先頭に立つリーダーなのです。

 一、さて、「神曲」に登場する女性ベアトリーチェは、ダンテを導きながら、天の高みへ高みへと上昇するにつれて、ますます目が輝き、姿の美しさが増していった。
 それは「善行をおこなう時、心に感じる喜びが/増す」(同)ことを譬えています。
 正義と平和のために戦えば戦うほど、生命が躍動し、歓喜が増していく。心美しき学園出身の女性は、全員が「幸福の博士」であれ! 「歓喜の人生」であれ!──私と妻はいつも、そう祈っています。

 聡明な  私の娘の  香友会  幸福博士と この世勝ち抜け
 三世まで 共に共にと 蛍会   なんと優しく 強き姫らよ

他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない

 ● 人間の変革こそ
 一、わが創価学園は、天文教育が盛んです。
 とくに関西校は、NASA(アメリカ航空宇宙局)の教育プログラム「アースカム」への参加回数で「世界一」を更新し続けています。
 「宇宙」という視点を持ち、「地球民族主義」という信念を持った平和の世界市民を育成する、素晴らしい伝統ができ上がった。
 思えば、関西学園の第1回入学式で、私は、全国から集った乙女たちに一つの提案をしました。
 それは、「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」という絶対平和の信条を、わが学園で身につけてほしいということでした。
 この「自他共の幸福」を願う心こそ、仏法の真髄の心であり、「平和の世紀」の重要な指針です。
 ハーバード大学での1回目の講演でも、私は、この学園の指標を紹介しました。最高峰の知性の方々からも深い共鳴が寄せられました。

 一、「地球の変革」とは、どこまでいっても「人間自身の変革」から始まる。
 自らの過酷な運命に打ち勝ったダンテは、人類の運命もまた変えられることを強く訴えました。
 『神曲』でダンテは、意志の力は暴力よりも強いことを主張しています(天国篇第4歌)。
 また「意志の力が/十分に養成されているならば、すべてに克てるはずだ」 (前掲平川訳)とも言っている。
 そして、地球をはるかに見つめながら──人類が、これまで歩んできた道は争いの絶えない道だった。未来を断じて変えなければならない。未来は変えられる!──と平和の大宣言を放っていくのです(天国篇第27歌)。

 ● 学は正義の土台
 一、世界のために、未来のために、今は学ぶ時です。真剣に力をつける時です。
 私は皆さんに、学問こそ、幸福の土台であり、正義の土台であり、勝利の土台であると強く申し上げたいのです。

 一、ダンテは『神曲』の各篇の最後を、「星々=ステレ」という言葉で結んでいます。
 ダンテにとって「星」は、旅の「目的地」であり、還るべき「故郷」です。そして、「永遠なるもの」「偉大なるもの」の象徴でもある。
 創価学園は、永遠に、皆さんの還るべき魂の金の星なのです。

 一、ダンテが愛読していた古代ローマの哲学者キケロは、こう語った。「困難が大きければ、それだけ誉れも大きい。いかなる場合にも、正義の働きを止めてはならないのである」(高橋宏幸訳「義務について」、『キケロー選集9』所収、岩波書店)
 ダンテは20年の亡命生活のなかで『神曲』を書き続けて、死の少し前に完成させました。
 晩年は、イタリアのラヴェンナの地に、家族を呼び寄せて平穏に暮し、1321年の9月、このラヴェンナの地で生を終えました。
 ダンテは勝った。堂々と勝ちました。
 正義は勝ったのです。
 ダンテを迫害した者は、歴史に汚名を残し、今なお厳しい断罪を受けています。
 詩聖ダンテの名声は、その苦難の足跡ゆえに、ひときわ大きな光彩を人類史に放っております。
 ダンテの頭上には、生前、彼が願っていた通り、月桂冠が冠せられたという。
 月桂冠は、人類史に輝く偉大なる詩人にのみ贈られる「桂冠詩人」の証しでした。
 そしてまた、月桂冠は、誇り高き「勝者」の象徴です。
 わが学園生は、一人も残らず、人生の勝利者となっていただきたい。
 わが学園生の頭(こうべ)に、一人ももれなく、「幸福と正義と勝利の月桂冠」を贈りゆくことこそ、私と妻の夢であり、祈りです。

 ● 勇気で立て!
 「私は、皆さん方.の創立者として、2006年の1月、ダンテの祖国であるイタリア共和国より、「功労勲章 グランデ・ウッフィチャーレ章」を拝受しました。
 その折、私は謝辞をダンテの『神曲』の一節で結びました。
 その言葉を、わが愛する学園生、そして大切な大切なわが弟子に贈り、第1回の特別文化講座とさせていただきます。
 「さあ立ち上りたまえ」「どんな戦いの中でも必ず勝つ確固たる勇気をもって」 (片山敏彦訳『ロマン・ロラン全集4』所収、みすず書房)

 忘るるな  偉大な師弟の 契りかな
 防ち抜けや 正義の星と  学園生

 グラッチェ!(イタリア語で「ありがとうございました!」)

終わり