投稿者:無冠 投稿日:2016年10月25日(火)20時56分38秒   通報
全集未収録の特別文化講座『創立者 ダンテを語る』を掲示します。

2008-4-23 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る③

フィレンツェを追放されたダンテ
わが故郷は世界! 善の勝利へ!「神曲」執筆に挑む

 ● 越えられない試練はない!
 一、30年前の夏、学園生の皆が、創大生とともに、「負けじ魂ここにあり」というテーマを掲げて、私を迎えてくれたことがありました。
 〈1978年(昭和53年)7月14日の第11回栄光祭〉
 「『負けじ魂ここにあり』──何と素晴らしいテーマか」
 私は感動しました。
 その後、「負けじ魂」の精神を歌い上げる愛唱歌をつくろうと、学園生は話し合いを重ねたようです。
 その年の秋、皆でつくった歌詞を、私のもとに届けてくれました。
 ちょうど私は、錦秋の関西創価学園にいました。
 ここで歌詞を推敲し、1番から3番までが完成したのです。
?

 桜の舞いゆく 春の陽に 友とかけゆく
 この天地、 世紀を語る
 笑顔には 負けじ魂 かがやけり

 燃ゆる陽ざしに 汗光り 進め 我が君
 この道を 胸うつ響き
 紅顔に 負けじ魂 ここにあり

 烈風りりしく 身にうけて 未来の鼓動は
 この生命(いのち) 喜び踊れ
 丈夫(ますらお)は 負けじ魂 我が胸に

 大いなる期待を込めて、4番の歌詞は、私がつくって贈りました。

 母よ我が師よ 忘れまじ 苦難とロマンを
 この我は いつか登らん
 王者の山を 負けじ魂 いつまでも

 皆さんは、前途に何が起ころうとも、決して焦る必要もなければ、恐れる必要もない。
 「負けじ魂の人」には、乗り越えられない試練など絶対にないのです。
 いつか登らん、王者の山を!──そう歯を食いしばって、今は、耐えに耐えて頑張るのです。
 人生の最後に勝つ人が本当の勝利者です。
 私は、学園生とともに、あらゆる難を勝ち越えて、一点の悔いもない完勝の証しを、全世界に示し切ってきました。そのことは、皆さん方のお父さん、お母さんが、よくご存じの通りです。

 一、苦難と戦うダンテには、先達というべき存在がいました。
 古代ローマの政治指導者であった哲学者ボエティウスです。
 彼は、正義のために断固として戦った。ゆえに俗悪な政治家たちから妬まれ、憎まれた。そして、不当にも投獄され、処刑された。
 この哲人が獄中で書き残した『哲学の慰め』を、ダンテは、若き日から愛読していました。
 そこには、毅然たる正義の魂の叫びが刻まれ、留められていました。
 「悪人どもがどんなにあばれても、賢者の額を飾る月桂冠は、落ちることもしおれることもないでしょう」(渡辺義雄訳「哲学の慰め」、『世界古典文学全集26』所収、筑摩書房)
 知性の勝利の象徴である「月桂冠」は、いかなる悪口罵署にも、汚されることはない。
 否、非難されればされるほど、いやまして光り輝くのです。

 ● 悪に反撃する強さを持て!
 一、祖国を追われたダンテは、多くのものを失いました。社会的地位。名声。財産。故郷……。
 しかし、すべてを奪われたのではなかった。
 どんな権力も、彼から奪えないものがあった。
 追放されたダンテは、「一番大切なもの」を握りしめでいた。
 それは、「正義は我にあり!」という燃えるような「信」です。
 そして、「正義がないというのなら、私が正義を明らかにするのだ!」という執念であったのではないだろうか。
 そのダンテが、全身全霊を捧げて取り組んだ作品が『神曲』だったのです。
 『神曲』をはじめ、ダンテの名著の多くは、20年間の亡命の時期に書かれたものです。そこには、力強い考察と言葉が、ほとばしっています。
 ダンテは「善き事に対して悪しき証言を為すものは、誉れでなくて汚辱を受くべきであろう」(中山訳『ダンテ全集第6巻』同。現代表記に改めた)と綴っています。
 彼は『神曲』の執筆によって、だれが見ても分かるように「正義の基準」を明確に打ち立て、悪い行いを次々と罰していきました。
 そして、自らを不当に陥れた卑怯者たちに、自身の真価を見せつけていったのです。
 正義なればこそ、悪に反撃する強さを持たねばならない。
 ダンテの有名な詩には、こうあります。
 「沈黙することは/その敵にわが身を結びつけるほどの卑しい/下劣さである」(中山訳『ダンテ全集第4巻』同)
 このダンテの炎のペンは、乱世の中で人々が迷うことがないように、歩むべき正しい道を照らしていきました。
 「善人が下賎な侮蔑に置かれ、悪人が崇(あが)められ、高められた」「わたしは、悪しき路を辿(たど)りゆく人々にむかい、正しき径(みち)に向けられ得るよう、叫ぼうと企てた」 (中山訳『ダンテ全集第6巻』同。現代表記に改めた)と。

 ● 傲慢と戦い抜け
 一、「亡命の間、ダンテのもとには、故郷フィレンツェから、「金銭を払う」などの屈辱的な条件に従えば、帰国を許すとの提案がなされました。
 しかしダンテは断固、2度にわたって拒絶したという。
 「汚名を被らされながら、汚名を被らしたものらに対して、おのが(=自分の)金銭を払うこと」は、「正義の宣伝者の思いもよらぬところ」(中山訳『ダンテ全集第8巻』同)であると。
 正義の人ダンテには、自らを迫害した者たちの誘惑に負け、屈服するような卑しい弱さは、微塵もなかった。
 ダンテは語った。
 「太陽や星の光を仰ぐことは私にはどこにいてもできるではないか。
 名誉を奪われた、屈辱的な恰好で、故国の前に、フィレンツェ市民の前に姿を現わさずとも、天下いたるところで甘美な真理について冥想(めいそう)することは私にはできるではないか」(平川祐弘訳『神曲』河出書房新社の訳注から)
 彼はもはや、故郷に戻る、戻らないといった次元を超越していました。
 この大宇宙のいずこにあろうとも、正義を貫く自分自身に変わりはない。
 「故郷」を追放されたダンテは、「世界」をわが故郷としました。

一流の人格の指導者は へこたれない 妬まない

 不当に迫害されたダンテは、大きく境涯を広げ、自由自在の世界市民として飛翔していったのです。
 ダンテが青春時代から深く学んでいた、大詩人ウェルギリウスの詩が思い出されます。
 「傲慢な者とは最後まで戦い抜くことだ」(岡道男・高橋宏幸訳『アエネーイス』京都大学学術出版会)

 苦しくも 勝利の春は  君待たむ

 ● 正邪を明らかに
 一、私が友情を結んできた多くの世界の一流の方々も、過酷な迫害に遭いながら、強い正義の信念で打ち勝ってこられました。
 ”人類の頭脳”といわれるローマクラブの創立者、イタリアのペッチェイ博士は、凶悪なファシズムに囚われ、拷問されても、断じて同志を裏切らなかった。
 南アフリカのマンデラ前大統領は、悪名高きアパルトヘイト(人種隔離政策)と戦い、実に27年半──1万日におよぶ獄中闘争に勝利された。
 アメリカの人権の母パークスさんは、不当な逮捕にも屈せず、人種差別の撤廃のために戦い続けた。
 ロシアの児童劇場の母サーツさんは、独裁者の粛清によって最愛の夫を殺され、自らもシベリアの収容所に囚われた。その極寒の牢獄の中で、子どもたちのための劇場の建設を決意されました。
 さらに、軍事政権と戦い、外国への亡命生活の中でも正義のペンの闘争を貫いた、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁。
 多くの民衆の命を奪った軍事政権と戦い、残酷な仕打ちに耐え抜いた、アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士。
 中国の文豪・巴金(ぱきん)先生は、文化大革命の渦中、「牛小屋」と呼ばれる監獄に入れられ、責め抜かれた。しかし、その獄中で、ダンテの『神曲』を筆写しながら、歯を食いしばって、一切を耐え忍ばれたのです。
 巴金先生の胸奥には、ダンテのごとく、いつの日か正邪を必ず明らかにしてみせるとの闘魂が燃え上がっていた。そのことを、私は血涙を流す思いで、うかがったことがあります。

 一、皆、「自分との闘い」に勝った人です。たとえ悪口され、圧迫されても、何度でも立ち上がって、一生涯、挑戦し続けた人です。
 一流の人格の指導者は、決して「へこたれない」。また、「人を妬まない」。
 前へ進む人、成長し続ける人には、他人を妬んでいる暇などありません。人を嫉妬するのは、自分が前に進んでいない証拠です。成長していない証拠なのです。
 ダンテは、苦難をバネにして、「汝自身」を大きく育てていきました。「わが道」を前へ前へ進んでいきました。
 きっとダンテは、「あの嫉妬深い悪人どものおかげで、わが使命の執筆ができるのだ!」と、敵を悠然と見おろしながら、「大きな心」で前進していったに違いありません。

 一、大難に遭い、大難に勝つ正義の人生は、不滅の歴史を刻み、人類から永遠の喝采を受ける。一方、正義の人を迫害した悪人どもは、永久に消えない汚名を残すのである。
 わが学園生には、正義の「勝利の旗」を未来永遠に打ち立てゆく、「栄光の使命」があると申し上げたい。

私は叫ぶ!人々の幸福のため
神曲は教える 名声や財産は はかない風の一吹き
友に尽くす行動は永遠に朽ちない

 一、天空を真っ赤に染め上げていく夕日。
 「君よ、あなたよ、わが命を燃やし、一日一日を悔いなく学び、生きよ!」と語りかけているようです。
 1991年(平成3年)の10月18日。
 私は、関西創価学園での友好交歓会に出席しました。
 夕方には、通学生・寮生・下宿生の代表と懇親会を行いました。
 この時です。
 それはそれは素晴らしい夕日が会場の外を照らしました。私は窓際に立って、その光彩をカメラに収めました。
 荘厳な夕日は、明日の晴天を約束するとも言われる。関西の交野(かたの)も枚方(ひらかた)も、東京の武蔵野も八王子も、本当に夕焼けが美しい。
 仏典には「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」とあります。わが学園生、創大生、短大生の現在の努力が、未来の栄光を開くのです。

 ● 民衆の言葉で!
 一、私にとって、『神曲』は、青春の座右の一書でした。

 若き日に 最初に読みし  ダンテかな  おお 神曲の 正義の戦よ

 ダンテは自ら『神曲』について語りました。
 「作品の目的は、人びとを今陥っている悲惨な状況から遠ざけ、幸福な状態へと導くことにあるのです」(マリーナ・マリエッティ著、藤谷道夫訳『ダンテ』白水社)と。
 目的は明快です。
 「人間の幸福」です。
 だからこそ一人でも多くの人に伝えたい──。
 ゆえにダンテは、当時のエリートの言葉である「ラテン語」ではなく、民衆の日常の話し言葉である「イタリア語(トスカナ語)」で、『神曲』を書きました。
 すべては「人間の幸福」のためにある。
 このことを、狂った軍国主義の時代に勇敢に叫び切った師子王が、牧口先生であり、戸田先生でした。
 ここに創価教育の原点があります。

 一、人々の幸福を願って書かれた『神曲』は、一体、どのようにして物語が進んでいくのか。
 実は、『神曲』は、その多くが「師弟の旅」として描かれています。
 師とは、古代ローマの大詩人ウェルギリウス。
 弟子とは、イタリアの青年詩人ダンテ。
 時を超えて結ばれた、この師弟が、まず地中にある「地獄」の世界を下へ下へと降りていきます。
 次に、地上に出て、そびえ立つ「煉獄」という世界を見聞します。
 さらにダンテは、天上の「天国」の世界にも飛翔して、旅を続けるという構成になっています。
 大宇宙の高みに至ったダンテは、地上の一切の権力を悠然と見おろしていました。
 彼にとっては、この世の名聞名利など、はかない「風の一吹き」(平川祐弘訳『神曲』河出書房新社)に過ぎなかった。
 だから逆風も恐れませんでした。

 君と僕 富士を仰ぎて 堂々と 正義の大道 愉快に歩めや

 ● いかに生きたか何を為したのか
 一、『神曲』に描かれた世界は、いずれも、亡くなった人々が行く「死後の世界」です。
 そこでは、生前のいかなる権力も、財産も、名声も、まったく関係ない。
 身を飾る「虚飾」は、ことごとく剥がされて、人間としての「真実」「本質」が明らかにされていく。
 「いかに生きてきたのか」「何を為してきたのか」──ただそれだけが、ダンテの考える「正義」に則って、厳格に裁かれます。そして、次の三つの場所にふるい分けられるのです。
 地獄界は、永劫に罪悪を罰せられる世界です。
 煉獄界(=浄罪界)は、過酷な責め苦を経て、罪を浄化する世界です。
 天国界(=天堂界)は、光と音楽に満ちた、正義と慈悲の世界です。
 ダンテは、この三つの世界の旅を終えて、生の世界に戻り、死後の世界の実像を人類に伝えるために『神曲』を言いた。そういう設定になっているのです。

ダンテの火の筆は描く
生命の因果律は峻厳 「中傷」「暴力」「偽善」「忘恩」を断罪

 一、ダンテが描き出した「地獄」の様相が、どれほど凄まじいか。
 日本の歌人として有名な与謝野晶子は、こんな一首を残しました。
 「一人居て ほと息つきぬ 神曲の 地獄の巻に われを見出でず」(『輿謝野晶子全集第3巻』文泉堂出版)
 少し難しい表現かもしれませんが、歌の意味は、こうです。
 『神曲』の地獄篇を読み通して、その地獄の中に”自分がいなかった”ことに、ほっと安堵の息をついたというのです。
 いわんや、仏典には、「もし仏が、無間地獄の苦しみを詳しく説いたならば、人はこれを聞いて、血を吐いて死んでしまうだろう」とあります。
 それほど生命を貫く因果は厳しいのです。

 一、『神曲』では、さまざまな罪悪が罰せられています。
 例えば、「傍観」の罪があります。
 「地獄の門」を入ると、絶え間なく虻などに刺されて、泣きながら走り回る者たちがいます。
 それは、生きている間、中途半端で生ぬるい生き方をしたため、死後、絶え間なく苦痛の刺激を受け、動き続けなければいけないという象徴なのです。
 彼らには、あえて厳しい断罪の言葉が投げつけられる。
 「これこそ、恥もなく、誉もなく、凡凡と世に生きた者たちの、なさけない魂のみじめな姿」(寿岳文章訳『神曲』集英社文庫)
 「本当に人生を生きたことのない馬鹿者ども」(前掲平川訳)
 「慈悲も正義も奴らを馬鹿にする」(同)と。

 「冷酷さ」を「氷」で表現
 「さらに、「貪欲」の罪、「暴力」の罪、「偽善」の罪、「中傷分裂」の罪などが罰せられている。
 では、ダンテが描いた地獄の最も底で、厳しく罰せられている罪悪は何か。
 それは「裏切り」です。なかでも、「恩人に対する裏切り」は最も罪が重い。
 地獄の底──「わずかの熱」も「救いの光」もない暗黒の絶望の世界で、「氷漬け」にされている。
 ダンテは、恩人を裏切る卑劣な「冷酷さ」を何よりも憎み、「氷」の冷たさで表現したのです。
 そして、悪魔の大王に、裏切り者が全身を噛み砕かれている姿を描いています。
 ダンテは綴ります。
 「裏切者はみな未来永劫にわたり/呵責にさいなまれている」(同)
 忘恩の裏切りは、人間として最悪の罪の一つである。これは、古今東西を問わず、一致する結論であることを、聡明な皆さんは心に留めておいてください。

 一、『神曲』の世界では、さまざまな登場人物が、自分自身の振る舞いに応じて、居場所を定められています。
 卑劣な悪行があれば、それに見合った罰が下っている。ダンテは、峻厳な「因果の法則」を見つめていたのです。
 自分が行ったこと(=原因)は、良きにつけ、悪しきにつけ、必ず自分自身に返る(=結果)。
 「悪人は必ず厳しく裁かれる」

『ダンテ』
最も愚かなことはこのせの後に他の世がないと信ずることです

 「善人は絶対に正しく報われる」
 生死を貫く、そうした「因果の法則」から、いかなる人も逃れることはできない。
 これが、ダンテの達観でした。
 その因果の実像を、文学の世界で表現したのが、『神曲』なのです。

 一、『神曲』では、有名か無名かにかかわらず、善い行いをした人間は、高い位に位置付けています。
 一方、地位の高い政治家や坊主で、その立場を乱用して、悪事をなした者は、容赦なく裁かれています。
 「上に立つ人の行ないの悪さこそが/世界が陰険邪悪となったことの原因なのだ」(同)と。
 ゆえに『神曲』は、邪悪な権力者を厳しく責めている。
 例えば、天国界で記されている「罪科帳」には、「王たちの悪業の数々がすべて― 記入されてある」(同)という。
 また、腐敗の坊主の悪行に対しては、「いま一度怒りを心頭に発していただきたいのだ」(同)と、広大な天国界が、真っ赤に染まるほど、激烈な怒りに燃える。
 『神曲』の「天国」も、俗にいう「楽園」ではない。それは凄まじい「正義の怒り」のみなぎる世界なのです。

 ● ケネディも愛読
 一、アメリカの若き指導者ケネディ第35代大統領も、ダンテの文学を好んでいました。
 大統領は、ダンテの信条を通して、こう語っています。
 「地獄で最も熱いところは、道徳にとって大変な危機の時代に臨んで優柔不断な姿勢をとる人間のためにあけてある」(宮本喜一訳『勇気ある人々』英治出版)と。
 であるならば、正義が貶められている時に、戦いもせずに傍観している者は、地獄の最も熱いところに行くということです。正義の戦いは、絶対に中途半端であってはならない。
 ダンテの正義のペンは「火の筆」といわれるほど、徹底したものでした。
 『神曲』では、先人がダンテを、こう戒めています。
 「おまえの叫びは、さながら疾風のごとく鋭く、― 梢が高ければ高いほど激しく撃つがよい」(前掲平川訳)
 邪悪を諌め、正すためには、相手の位(=梢)が高ければ高いほど、強く鋭く撃て!

 ● これが『神曲』に込められた正義の魂なのです。
 一、実は、私は、ケネディ大統領からの要請もいただき、お会いする予定がありました。
 しかし、日本の政治家から邪魔が入って、会見は中止になった。その後、大統領が亡くなってしまったのです。
 もしも会見が実現していれば、ダンテの文学についても語り合えたかもしれません。
 後に、弟であるエドワード・ケネディ上院議員が、お兄さんに代わって、わざわざ東京まで会いに来てくれました。
 また、私が対談集を発刊した、世界的な経済学者のガルブレイス博士も、ケネディ大統領を支えた一人でした。
 共に敬愛する大統領の信念を偲び、対談にも収めました。
 ガルブレイス博士は、私がハーバード大学で2度目の講演を行った時にも、深い共鳴の講評を寄せてくださった方です。

 一、私は、このハーバード大学の講演で、人間の「生」と「死」を一つのテーマに据えました。
 それは、なぜか。
 「生」と「死」を正しく見つめることを忘れ、「生命の尊厳」を見失ってしまえば、社会は混乱するからです。
 正しい生命観の上にこそ、平和も築かれる。「死」を見つめてこそ「生」もまた輝く──そのことを私は、現代文明の最先端のハーバード大学で訴えたのです。
 幸い講演には、大学関係者や研究者の方々から予想を超えた反響をいただきました。

 ● 悔いなき青春を
 一、ダンテもまた、自らの哲学書『饗宴』の中でこう述べています。
 「すべての非道のうち、最も愚かにして、最も賎しむべく、また最も有害なものは、この世の後に他の世がないと信ずるものである」(中山昌樹訳『ダンテ全集第5巻』日本図書センター)と。
 つまり、死ねばすべて終わりで、何も無くなると信じることはど、愚かで、賎しく、有害なものはないというのです。
 これが、さまざまな書物をひもとき、思索し、探究したダンテの一つの結論でした。
 ダンテは、何よりも、「この現実の世界で、よりよく生き抜くため」に、生死を見つめ、『神曲』を書いたのです。

 一、『神曲』の中で、師匠のウェルギリウスがダンテに繰り返し教えたことは何であったか。
 それは「時を惜しめ」ということでした。
 「いいか、今日という日はもう二度とないのだぞ!」(前掲平川訳)と。
 この師弟の心が、私にはよく分かります。
 終戦後、私は、戸田先生のもとで学び、働き始めました。
 肺病で、いっ死ぬかも分からない体でした。
 30歳までは生きられないと医者から言われたこともあります。
 だからこそ一日一日を、一瞬一瞬を、悔いなく懸命に生きました。
 たとえ今日倒れても、もしも明日死んでも、かまわない──その決心で、戸田先生のため、人々のため、社会のために、死にものぐるいで働きました。
 限りある人生の時間の中で、友に尽くし、わが命を磨きに磨き、死によっても壊されない「永遠に価値あるもの」を求め抜いていきました。
 こうして、戸田先生に薫陶いただいた青春の10年間は、私の人生のすべての土台となる「黄金の10年」となったのです。
 皆さんも、わが学園で断じて学び抜き、体も心も鍛え抜いて、悔いなき黄金の一日一日を勝ち取っていただきたいのです。

 青春を  我も勝ちたり  君も勝て

学園生は一生涯私の胸に
若き創価の英雄の誓い
「先生!私は絶対に勝利します」

 一、完全燃焼の「生」──わが学園生の中には、荘厳な生死のドラマを刻んで、「生きる」とは「戦う」ことであると、鮮やかに教え残してくれた若き英雄たちがいます。
 それは1989年(平成元年)の10月のことでした。
 私もよく知る東京校の一人の学園生が、「骨肉腫(こつにくしゅ)」と宣告されました。当時、高校1年生でした。
 骨肉腫とは、骨の悪性腫瘍です。
 「骨肉腫」との診断から5カ月後でした。彼は、右足を太ももから切断しました。
 それでも、弱音なんか吐かなかった。松葉杖で通学も再開しました。
 夢は文学者になることでした。世界一の文学者に。そのために真剣に読書し、学びました。
 肺に「転移」した後は、左肺を3度も切除手術。まさに死闘でした。
 彼は、未来を見つめて頑張った。
 ──偉大な人は皆、大きな難に遭っていると、池田先生がおっしゃっている。僕は世界一の文学者になるのだから、今までの苦労なんて、先のことを考えたら、どうってことない──と。
 私は闘病中の彼に、何度も励ましを伝え、次の揮宅を贈りました。

 生涯 希望
 生涯 勇気
 生涯 文学

 ● 希望とは未来の栄光に生きる心
 一、卒業を4カ月後に控えた1991年(平成3年)の11月。
 創価女子短期大学の白鳥(はくちょう)体育館で、卒業記念の撮影会が行われました。
 「絶対に一緒に参加したい」という同期の二十二期生たちの祈りに包まれて、彼は、勇んで入院先の病院から会場に駆けつけてくれた。
 私は撮影会場で彼の姿を見つけると、まっすぐに、車椅子の彼のもとへ向かいました。
 「よく来たね」
 「はい、どうもありがとうございます」
 がっちりと握手を交わしました。
 彼の両目から、大粒の涙があふれました。
 きりっと胸を張った、学園生らしい立派な姿でした。
 病魔から一歩も逃げないで戦い抜いた、美しい「勝利の涙」でした。
 それから2週間後の十一月二十五日、彼は、安らかに息を引き取りました。
 約2年間の闘病を越えて、霊山浄土へ旅立っていったのです。

 一、希望とは何か?
 ダンテは答えます。
 「希望は未来の栄光を/疑念をさしはさまずに待つこと」(前掲平川訳)と。
 未来永遠の栄光に生きる者にとって、「絶望」の二字はありません。
 わが友は、断じて負けなかった。
 周囲に無限の「勇気」と「希望」と「決意」の炎を灯してくれた。不屈の青春の大叙事詩を綴ってくれたのです。
 彼とともに学園生活を過ごしたクラスメートは、彼の姿を大切に胸に収めて、それぞれの立場で、立派な結果を示し始めています。
 私の胸には、今も、「先生! 僕、絶対に勝利します!」という彼の生命の叫びが、生き生きと、こだましています。

 一、これまで人生の途上で逝かれた、東西の学園生、創大生、短大生の皆さん方は、一人ももれなく私の胸の中に生きています。何があっても絶対に忘れません。
 それが、創立者の心であることを皆さんに語っておきます。

 ● 健康第一で!
 一、大切な大切な創価の友の健康を、無事故を、私は妻とともに、いつも真剣に祈っています。
 今は病気の人も、決して弱気になってはいけない。何があっても強気で! すべてに意味があるのです。
 どんなことがあっても、微動だにしてはいけない。悠然と進むのだ。生命は永遠なんだから!
 私とともに、断じて生き抜いて、勝ち抜いていただきたい。
 だれ人にも、自分にしかない、大きい使命があるのです。また元気になって、一緒に戦おう!
 皆さんと私は、永遠の絆で結ばれた三世の同志なのです。

④に続く