投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月26日(水)07時06分41秒   通報
「池田大作という人 その素顔と愛と生き方」
 五島勉著

第6章 ふきあがる炎

「池田青年とコッペパンの話」

それは1950年ころのことだったらしい。
そのころ、その貧しい工場地帯には、学会の
ささやかな支部が生まれた。

リーダーはとても熱心な中年の活動家で、
仏法の知識も深かった。

彼は最初、何十人もの人を、ファイトと情熱で
ひっぱった。何軒ものアパートの人達を、
残らず説得をして入信させた。

ところが、せっかくそこまでこぎつけたのに、
ある時期から、支部の人数が急に減りだした。
おまけに、支部全体に、なんとなく重っ苦しい
空気がただよいはじめた。

いろいろ原因があったらしいけど、一番の原因は
リーダーのやりかただった。リーダーが熱心さの
あまり、「なにがなんでも大聖人様をあがめろ。
他の事はどうでもいいんだ」と、しゃにむに、
かたくなな信仰をおしつけようとしたためだった。

「あれじゃイヤなっちゃうよなぁ」
「くだらねえよ。あんな話より、今夜のメシを
腹いっぱい食いていよ」支部のメンバーたち
若い工員や女工さんたちは、みじめな当時の
食料配給のもとで、すき腹をかかえてそう
ささやきあってた。

池田青年はそれをきいて心配した。で、彼はある晩、
大きなふろしき包みをかかえて、その支部の座談会
をたずねていった。「ガンばってるかい?

「ほら、おみやげもって来てやったぞ。
みんな、これ食べて元気出してくれよ!」そして、
池田青年がひろげたふろしきの中からは、何個かの

コッペパンと、ふかしたサツマイモとトウモロコシ
の粉で作ったむしパンがいくつかころがりだした。
みんなニコニコ顔になった。この三つは、その頃の
日本の庶民の主食だったんだが、決められた配給量は
ちょっぴり。誰も余分には食べられなかったからだ。

「さては・・・ヤミ(配給外)のおみあげですね?」と
ひとびとが聞くと、池田青年は、「うん、すごいヤミ
だぞ」とまじめくさって答えた。

みんなは夢中でパクついた。久しぶりに満腹したところ
で池田青年はひとりひとりと膝づめで話した。
ある女工さんには、「仏法を疑ってはいけない。
幸福は必ず来る。苦しみは歓喜の前ふれなんだよ」。

ある若い工員には、「まず君自身が生きる目的をつかめ。
そこから毎日少しづつでも前進して行けばいい。
きっとできる。たいした男じゃないけど、ぼくがつ
いてるぞ!」

きいているうちに、みんなの顔からは、なげやりな表情
がいつか消えていた。難しい理論はともかく、この青年
と一緒に進めば道がひらけそうな気がした。

みんなは翌日からの充実した生活を誓いあい、
はりきってわかれて行った。
でも、誰が知っていたろう。みんなと別れたあと、
一人になった池田青年が急に青ざめて歯をくいしばり、
よろめきながら夜の街をかえって行ったことを。

よく倒れなかったと思う。なにしろ、彼は数日間、
水とわずかなパンくずのほかは、なにひとつ口に
していなかったんだから。

つまり、おみあげのコッペパンやサツマイモや
むしパンは、池田青年自身の貴重な食料だった。
かれは自分の数日分の配給をけずり、それをぜんぶ
初対面の仲間にやさしい兄のように
食べさせてやったのだった。

このエピソードのうち、池田青年が「急に青ざめよろ
めいた」というところだけは、書いているわたしの
想像。だれもみてなかったんだから、これは
わからない。

苦しいときほどファイトをもやすかれのことだから、
すきなシューベルトの歌なんかうたいながら、
元気に帰っていったのかもしれない。

しかし、話のほかの部分は、あったことそのままだ。
あとになって、偶然コッペパンの真相を知った、
その支部の会員が、泣きながら思い出話をしてくれた
んだ。その頃若いプレス工だった中村猛さんは、
わたしにこんなふうにいった。

「あのパンのことを知った時、先生(池田さん)の
思いやりに体がふるえた。感激のあまり、その場で
先生のために死にたいと思った。

でも、俺達が死んだところで、先生が喜んでくれる
わけがない。先生に喜んでもらうためには、一生懸命
仏法をひろめて、毎日、全力で生ききって、俺達自身が
幸せになっていくしかないんだ、と思っただから
俺達は、死んだ気で学会活動にとりくんだ。

死んだ気になって生活ともとりくんだ。
それでわかったのは、この世の中には、死んだ気で
ぶつかってやれないことなんか、なにひとつないんだ
ってことだったよ」事実、中村さんは、その後、
何十人もの人を仏法にみちびいた。

ねばりづよく仕事とたたかって、大きな自動車修理工場
の社長さんになった。中村さんだけでなく、その座談会
に参加した十人ほどの仲間達は、そろって頑張りぬいて、
いまではみんな、ひとかどの経営者や技術者、恵まれた

家庭の奥さんになっている。
思えば大きな幸福と希望のタネをまいた、
池田青年の友情のコッペパン。