投稿者:無冠 投稿日:2016年10月10日(月)06時02分43秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2010-1-19 【全国各部協議会】

■ 一、きょうは、広宣流布の指導者が集まってくださった。遠方からも、本当にご苦労さま!
皆様方が、どれほど大切な方々か。
御聖訓に「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(御書856ページ)と仰せの通りである。
リーダーが、自らの「使命」と「責任」を、どこまで自覚できるのか。
広布に戦うことを、喜びとし、誇りとし、福徳と感じて、本気になって勇猛精進していけるのかどうか。
この一点が大事だ。この一点を訴えたい。
全人類の幸福を目指しゆく、広宣流布の人生こそ、最高峰の人生である。
信心のリーダーには、苦労も多い。その分、喜びも成長も大きい。
その境涯は、どんな富豪や帝王も、かなわない。何百倍、何千倍も上である。
皆様こそ、心の王者なのである。
アメリカ公民権運動の英雄キング博士は語っている。
「 (われわれの運動の内部に、かもし出されていた雰囲気は)前進への誇りであり、われわれは勝つぞという確信であった」(クレイボーン・カーソン編・梶原寿訳『マーテイン・ルーサー・キング自伝一日本基督教団出版局)
キング博士は、いつも行進の先頭に立った。
あらゆる攻撃の矢面に立った。
リーダーの一人立つ姿に、皆が奮い立ち、前へ前へ進んだ。
わが身も顧みず、喜び勇んで、自由のための闘争に飛び込んでいった。
その率先の行動によって、時代は、音を立てて変わっていったのである。
まず自分が戦う。まず自分が見本を示すー私も青年部時代から、その決心でやってきた。
当時は、学会員も少なかった。自分がやるしかなかった。
その中で歴史をつくってきた。
今は人数もたくさんいる。だが、「一人立つ精神」は断じて変わってはならない。
それが勝利を開くリーダーの鉄則だからである。

● 苦労は自分が 友には感謝を
一、ゲーテは、ある時、友への手紙にこう綴った。
「君がとかく苦労しまいとする事は、悪いことである」(木村譲二訳『ゲーテ全集第29巻』改造社)
苦労は、自分が背負う。後輩は、ほめて伸ばしていく。
それが、妙法のリーダーだ。
誠実にやるのだ。
自らが打って出て、人と会い、人と語り、熱い握手を交わし、心を通わせていく。
陰で苦労を惜しまぬ友、最前線で真剣に戦う友に、最敬礼して心から感謝していくのだ。
ゲーテは「苦きウエルテルの悩み』の中で、こう綴っている。
「人間がお互いに苦しめあうほど、いやなことはない」
「自分をも身近の者をも傷つけるようなことは、当然悪徳と呼ばれるべきですよ」 (竹山道雄訳、岩波文庫)

◆我らは心の王者なり
◆戸田先生「男らしくやろうじゃないか!」
◆君よ一人立て!千波万波を起こせ

その通りである。
ましてや、信心の世界は、全員が尊敬し合い、幸福になるためにある。
幹部の傲慢さや無責任によって、大切な同志が苦しむようなことは、絶対にあってはならない。
それは信心の世界ではないからだ。
仏法の因果は厳格である。
同志をいじめた人間は、必ず諸天善神に叱られる。
同志を大事にした分だけ、必ず諸天善神から護られる。
先輩幹部は、たとえ自分が犠牲になってでも、後輩が楽しく、伸び伸びと広布に戦える舞台をつくってあげることだ。それが先輩の役目である。

● 前進する人は すがすがしい
一、さらにゲーテは「苦きウェルテルの悩み』の中で記している。
「不機嫌は怠惰と似たものです」(同)
確かに、怠け者の人間にかぎって、何かあるとすぐに不機嫌になるものだ。
反対に、常に前進している人は、すがすがしい。
快活である。弾むような勢いがある。
ゲーテは、こうも言う。
「いったん自分の気持をひきたてて奮起する力をもちさえすれば、仕事もさっさとはかどるし、活動がほんとうの喜びにもなります」(同)
私たちは、自分の気持ちを奮起させる「力」を持っている。絶対勝利の題目がある。
ゆえに、何があっても生き生きと、仲良く、賢く、迅速に、団結第一で進もう!
「活動」の中にこそ、「喜び」がある。
学会活動には、最高の充実があり、無量の福徳が輝くのである。

一、ここで戸田先生の指導を紹介したい。
私の心には、いつも先生がいる。
弱い立場の人、正直な人、苦しんでいる人には、優しく温かく、大慈悲をもって励ましてくださった。慈父のような先生であった。
強い立場の者、傲慢な者、闘魂を忘れた者、庶民を見下すような者には、師子が吼えるがごとく叱咤の声を発せられた。周りも震え上がるほどであった。
戦時中、師匠の牧口先生にお供して牢獄に捕らわれた戸田先生は、出獄後、獄死された牧口先生を偲ばれ、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と感謝を捧げられた。
どれほど「崇高な師弟」であったか。
その方に、早朝から夜中まで365日、お仕えしたことは、私の誉れである。

● 勝つために祈れ
一、戸田先生は、婦人部の友に指導された。
「あなたが信心に立ち上がれば、必ず、すべてが軌道に乗ります。信心が強ければ、周囲が、あなたの幸福の力となる。本当に不思議なものだ。
法華経には『魔及び魔民有りと雖も、皆な仏法を護らん』とさえある。
周りの人が信心をしていなくとも(広宣流布のために驚くほど働いてくれるのである。
ゆえに自分自身の信心を強くしなさい」
要するに、「自分」である。わが一念で決まる。
状況を嘆いたり、人のせいにしても、何も変わらない。
自分が変わることだ。自分自身の信心を強くすることだ。

◆戸田先生 「下種」にこそ「大功徳」が。
ありのままに真実を語れ

その人を、諸天・諸仏も護り支えるのである。
仏典に「必ず心の固きに仮って神の守り則ち強し」(御書1186ページ)と記されている通りだ。
さらに戸田先生は語っている。
「魔が強いからこそ、勝てるのだ。信心が毅然として、そのうえで、魔が強いということは、必ず勝てるという証拠なのである。要は自分自身の信心の決心にかかっている」
魔が競い起こったときこそ、もう一歩も二歩も、大きく成長していくチャンスなのである。
大聖人は、大事な破邪顕正の戦いに挑む弟子に言われた。
「但偏に思い切るべし(同1451ページ)と。
そして、「『釈迦・多宝・十方の仏よ!来り集まって、わが身に入りかわり、我を助け給え!』と祈念しなさい」(同ページ、通解)と。
大事なのは「勝つための祈り」だ。真剣勝負の強盛なる祈りだ。
今こそ一人一人が、わが生命に、仏菩薩も、梵天・帝釈も、「入其身(其の身に入る)」させるのだ。そして仏の力、仏の智慧を思う存分に発揮していくのだ。

● 「私は絶対にひるまない!」
一、戸田先生は言われた。
「相手が聞いても聞かなくても、ともに仏縁を結んでいることは、絶対に間違いない。この『下種』にこそ大功徳があるというのが、大聖人の絶対の保証なのである。我々は、最も正しい実践をしている。
ありのままに、真実を語っていけばよいのだ」

一人のために祈り、一人のために語る。
この「一人」から始まり、やがては千波、万波の幸福と共感の波動を広げていく。
それが広言流布の方程式である。
やろう! 頭を使い、口を使い、手を使い、足を使い、すべてをフル回転させよう。
皆、戦い勝つ指導者たれ!
ひとたび戦いを起こしたならば、断じて勝たねばならない。
真剣に活動してくれた同志が勝って喜び、「どうだ!」と胸を張れるようにしてあげるのが、幹部の責務である。
自分が戦って勝つ。
自分が動かずして、「人を使おう」「人を動かそう」という考えは卑怯だ。
自分が動いてこそ、周りも動いてくれる。
自分が動けば、周りは10倍、20倍の力を発揮してくれるものだ。
19・20世紀のポーランド出島の女性革命家ローザ・ルクセンブルクの言葉を贈りたい。
「なすべき闘い、なすべき仕事が、たくさんたくさんあることでしょう。けれども私は絶対にひるみません」(伊藤成彦訳『友への手紙』諭剣社)
我らにも、「なすべき闘い」がたくさん語る。
何があっても恐れなく、「師子王の心」を取り出して、勇気、勇気で前進しよう!(大拍手)
● 宇宙も己の中に
一、この「猫」(夏目漱石の長編小説『吾輩は猫である』の猫)が住む家の主人は、東京の中学校で英語教師をする珍野《ちんの》苦沙弥《くしゃみ》先生。家族からは勉強家と見られているが、自分の部屋では、居眠りばかりしている。
苦沙弥先生や周囲を取り巻く人間たちは、負けず劣らずの変わり者ぞろい。次々と苦沙弥の家を訪れては、滑稽な話を取り交わす。
たたみかけるようなやりとりのなかで、世情を風刺し、権威を笑い飛ばし、文明のあり方まで自在に論じる。
猫は言う。
「元来人間というものは自己の力量に慢じて皆んな増長している。少し人間より強いものが出て来て窘《いじ》めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない」
人間の本質の一端を鋭くえぐった言葉といえよう。
人間は、誰からも厳しく言われなくなると、増上慢になって、駄目になる。堕落してしまう。だからこそ、謙虚に自分を律していかねばならない。
また猫は、主人の様子を観察しながら、こう語る。
「熱心は成効の度に応じて鼓舞せられるものである」
一つの真理である。
何かを成し遂げ、人々から賞讃されれば、喜びは何倍にもなる。
「よかったな」「もっと頑張ろう」と思う。
私たちも学会活動において、同志の健闘に対しては最大の賞讃を送りたい。「すごいですね!」「頑張りましたね!」と声も惜しまずに、ほめ、讃えていくことだ。
そういう温かな心が脈打っている組織は、生き生きと前進できる。どんどん発展していける。

一、漱石は猫に次のように語らせている。
「凡《すべ》て人間の研究というものは自己を研究するのである。天地といい山川《さんせん》といい日月《じつげつ》といい星辰というも皆自己の異名に過ぎぬ」
自分自身を知ることから、すべては始まる。また、さまざまな研究も、結局は人間自身の探究へと帰着していくといえる。
御書には「日月《にちがつ》・衆星《しゅうせい》も己心にあり」(御書1473㌻)と仰せである。
わが生命に全宇宙が収まっている。この自己の生命を、あますところなく説き明かしているのが妙法である。
妙法を持った人こそ、最高の大哲学者なのである。

● 信心で決まる
一、世をごまかし、うまく立ち回る者について、「人から珍重される人間ほど怪しいものはない。試して見ればすぐ分る」と、猫が言う。
皆さんも、ありのままの実像で、偉い人物となるのだ。
仏法の眼から見れば、どんな立派な大学を出た人よりも、広布のため、妙法のために行動しゆく人のほうが、何千倍も尊い。
学会においては、学歴があるからといって特別扱いしたり、威張らせるようなことがあってはならない。
大学で学ぶのは、社会に尽くし、人々に尽くすためである。
庶民を護り、正しい人を護っていく。そのための学問である。それができる人が、本当に偉い人だ。
学歴や地位ではない。その人の本当の偉さを決めるのは、信心だ。行動だ。人格だ。
学会は、不屈の信心をもった庶民の力で、ここまで発展してきた。このことを決して忘れてはならない。

一、小説の最後のほうで、猫は言う。
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
他人には分からない悲しみもある。気楽な暮らしも、いつまでも続かない。
人生は変化の連続だ。人間は、やがて年を取る。病気にもなる。そして最後は死んでいく──。
それが人生の実相である。だからこそ確固たる哲学を持ち、真に価値ある日々を築いていかねばならない。

● 後輩に励ましを
一、夏目漱石は、文筆家を志す青年に宛てた手紙で綴っている。
「自分で自分の価値は容易に分るものではない」
「君抔《など》も死ぬ迄進歩する積りでやればいいではないか。作《さく》に対したら一生懸命に自分の有らん限りの力をつくしてやればいいではないか」(『漱石人生論集』講談社)
私だって、君くらいの年齢の時は、たいした作品は書けなかったよ。自分を信じて頑張り抜くのだ──。
手紙には、漱石の後輩に対する温かな励ましの心が光っている。
別の青年には、こう綴っている。
「余は君にもっと大胆なれと勧む。世の中を恐るるなとすすむ」(同)
「大《おおい》に勇猛心を起して進まなければならない」「世の中は苦にすると何でも苦になる苦にせぬと大概な事は平気で居られる」(同)
また、別の手紙では、こう励ました。
「男子堂々たり」「君が生涯は是《これ》からである。功業は百歳の後に価値が定まる」(同)
今の苦悩は、小さなことにすぎない。大業をなした後には、かえって君に光彩をもたらすだろう──。
漱石自身の経験に基づいた言葉であろう。
青年には無限の力がある。可能性がある。
青年よ大胆に進め!
何ものも恐れるな!
そして、わが勝利の歴史を綴りゆけ!──私は、そう申し上げたい。
また漱石が、俳人で小説家の高浜虚子に宛てた手紙には、こう綴られている。
「機会は何でも避けないで、其儘《そのまま》に自分の力量を試験するのが一番かと存候《ぞんじそうろう》」(同)
大事なのは挑戦だ。行動だ。私たちは、この気概で壁を破りたい(大拍手)。

一、私は青年時代、苦境にあった戸田先生を護り抜いた。先生や学会を中傷する人間がいれば、断固として抗議した。誠意を尽くして対話し、認識を改めさせた。
最後には「学会には、こんな立派な青年がいるのか」と感心してくれる相手もいた。
私は、嘘や不正義は許さなかった。師匠に仇をなす人間とは戦い抜いた。
悪い人間と戦えない。悪を見て見ぬふりをする。そんな意気地なしの弟子であってはならない。私は、この信念で戦ってきた。そして勝ってきた。
これが私の最大の誇りである。

■ 今、この時に戦わずして、いつ戦うのか。
栄光のゴールを目指して走ろう!
飛び出そう! きょうも最前線へ! きょうも友のもとへ!
「昔の先輩たちは、このように歴史を綴ってきたのか」と、後世の人々から仰がれゆく、模範の金字塔を打ち立ててもらいたい。
信心の世界は「真実の心の世界」である。嘘偽りは最後に敗北する。どこまでも誠実に戦い抜くのだ。
皆さんには、広宣流布の血脈を流れ通わせ、師弟の大精神を脈々と伝えていく使命がある。
頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

●師弟に生き抜け
一、日蓮大聖人は厳然と仰せである.
「日蓮が末法の初めの五百年に生を日本に受け、如来の予言の通り、三類の強敵による迫害を受け、種々の災難にあって、身命を惜しまずに南無妙法蓮華経と唱えているのは、正師であるか邪師であるか、よくよくお考えいただきたい」(御書1341㌻、通解)
法のために大難を受けているのは誰か。
三類の強敵と戦っている人は誰なのか。
その人こそを、正しき師と仰げ!──
これが仏法の教えである。
どんなに偉ぶって見せても、難を避け、虚栄を貪る人間は、真実の仏法者ではない。
正しい法を広め、難と戦う人こそが、偉大なのである。
正義に生きる我らには、難こそ誉れだ。最高の勲章である。
思えば、恩師・戸田先生と私は、28歳の開きがあった。
大難と戦う師匠を護る。それが大仏法をお護りすることに通じていく──そう決心し、私は恩師・戸田先生に仕え抜いた。
広布の大将軍は、戸田先生しかいない。断じて指揮を執っていただきたい──そう確信し、逆境の中、第2代会長就任への道を、命がけで開いた。
「先生! 時が来ました。舞台は整いました!」。そう申し上げた時の、恩師のうれしそうな笑顔。私は忘れることができない。
信心とは、役職や立場ではない。師弟に生き抜く人に、無量の功徳と栄光が輝くのだ。
そのことを知り、学会を護り、同志を護り抜く人間が、本当の指導者なのである。

一、御聖訓には、こうも仰せである。
「世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫(人の道に適った人間)と名づけ、知らない者を畜生というのである」(同491㌻、通解)
人の心は恐ろしい。
いざとなると、臆病になり、保身に走る。手のひらを返して、傲慢になる。卑劣にも、裏切る。そうした者たちが、どれほど多くの民衆を苦しめたか。ここに、重大なる歴史の教訓がある。
恩を知る。恩に報いる。これが人間の道である。
いかなる時代になろうとも、たとえ誰一人、立ち上がらなくとも、自分は戦う。師匠が見ていないところでこそ、命がけで歴史を開く。正義を叫び抜く。
それが真正の弟子だ。
皆さんは、そうした一人一人であっていただきたいのだ。

● 楽しく前進!
一、信心で乗り越えられない山はない。
「絶対に勝てない」と言われた、あの大阪の戦いで、私は「まさか」を実現した。
戸田先生に勝利をご報告し、「先生のおかげです。学会員の力です」と申し上げると、先生は、にっこりと微笑まれた。忘れ得ぬ思い出だ。
「大切なのは始めることであり、目を開くことなのだ」とは、ドイツの文豪ヘッセの言葉である(高橋修訳「小さな喜び」、『ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集第4巻』所収、臨川書店)。
まず祈る。そして、勇敢なる一歩を踏み出すことだ。
必ずや、勝利の未来は開かれる。
我らの信心は「不可能を可能にする」原動力である。
皆が勇気凛々と前へ進めるよう、リーダーは賢明な指揮をお願いしたい。
きょうは、全国の青年部の代表も参加している。
私たちの友人であった、アメリカの人権の母、ローザ・パークスさんは「若者たちが、自分の持っている最高の可能性に目覚められるように」手助けしたい。そう願って、青年の育成に力を注がれた(高橋朋子訳『ローザ・パークス自伝』潮出版社)。
私と妻もまた、同じ思いである。
青年の時代だ。青年部、頑張れ!
最後に、皆さんと一緒に「広宣流布の大勝利、万歳!」と声を大にして叫びたい。
長時間ありがとう!
またお会いしよう!
楽しく前進しよう!
遠くから来られた皆さんも、本当にありがとう!
お帰りになりましたら、大切な同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。
皆、お元気で!(大拍手)