投稿者:無冠 投稿日:2016年10月 5日(水)07時34分32秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-10-5 【方面長協議会 ①】

■ 一、全国、各方面の代表の皆さん、ご苦労さまです!(大拍手)
勝利への前進のためには、中心の車軸が、しっかりしていなければならない。
根本は、リーダーである皆さん方が、がっちりとスクラムを組むことだ。
そして歴史に残る、兄弟愛、同志愛を広げていくのである。
「わが尊き『広布の友』に栄光あれ!」と深く祈り、念じつつ、スピーチを残させていただきたい(大拍手)。

● 心は青年で!
一、日蓮大聖人は、「年は・わか(若)うなり」(御書1135㌻)と仰せである。
たとえ、年をとっても、心まで老け込んではならない。
妙法という生命の大法を持った我々は、生き生きと若返っていくのである。張り切って進むのである。
大聖人の御生涯は、最後の最後まで、広宣流布の大闘争に貫かれていた。
信心に「引退」はない。心は退《ひ》いてはならない。一生涯、わが使命の旗を高く掲げ、若々しく前進することを誓い合いたい。
イギリスの桂冠詩人ワーズワースは、こう謳った。
「われらは今日を新らしく、一年の初めと定めよう」(田部重治選訳『ワーズワース詩集』岩波文庫)
いついかなる時も、自らの心が、新しい決意で立ち上がったその日から、一切が生まれ変わる。
「本因妙」の日蓮仏法を奉ずる我らには、新生の「今日」という日が、まさしく「久遠元初」である。
先師・牧口常三郎先生、恩師・戸田城聖先生の誓願を受け継ぐ我らには、「今日」という日が峻厳なる「創立の日」なのである。
「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の一念をば、わが生命に元初の旭日の如く、烈々と燃え上がらせながら、創立八〇周年へ、今日のこの集いから勇んで出発したい(大拍手)。

● 宇宙一の幸福者
一、それにはまず、リーダーが、自分自身の生き生きとした「人間革命」から始めることだ。
「人」ではない。「自分」が変わるのだ。「誰かがやるだろう」ではない。「自分がやる」のだ。
たとえ、どんな状況にあっても、頭を使い、知恵を絞り、心を前に向けて、何かを為していくことだ。
ある時は、お題目を唱える。
ある時は、友の激励に走る。
ある時は、仏法対話に打ち込む。
根本は、御本尊に真剣に唱題して、「随縁真如の智」をわき立たせ、最も価値的な行動を起こしていくことである。
仏法とは、「動く」ことだ。仏法とは、「勝つ」ことだ。
ともあれ、わが創価学会は、宇宙の根源の妙法を実践し、弘めゆく、ただ一つの正統の団体である。
この中で、誉れあるリーダーとして戦えることは、全宇宙で最高の幸福者であるといっても決して過言ではない。すごいことなのである。
この偉大な使命を自覚して、「やらせていただきます!」と自ら決然と立ち上がるのが、本当の信仰者の姿である。

一、古代ギリシャの詩人ピンダロスは、戒めた。
「人間のある者は無分別なうぬぼれに/栄誉から遠ざけられ、また ある者は、おのれの力を貶めるあまり/臆する心に手を後ろへ引かれて/得べかりし誉れを逸してしまう」(内田次信訳『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会)
増上慢になって、転落する者もいる。
臆病になって、敗退する者もいる。
どこまでも、「求道」、そして「勇気」を貫き通した人間こそ、真の「栄光」を勝ち得《え》るのだ。

● 打って出よ!
一、私が若くして第3代の会長となり、世界広宣流布の第一歩を踏み出して、この十月二日で満四十九年となる(大拍手)。
当初、「世界広布」といっても、夢のまた夢のように思われていた。しかし、私は、戸田先生の弟子として、勇んで打って出た。
利害の対立や、主義主張の違いを乗り越えて、世界を舞台に対話と友情を広げてきた。

一民間人である。一庶民である。そこから、ただ「勇気」の二字で、尊敬するわが同志とともに、今日に至る「世界広布の時代」の突破口を開いてきたのである。

一、仏法は、慈悲が根本である。しかし、凡夫である我々の実践は、現実には、勇気であり、知恵である。
大切なのは勇気だ。信心とは、最高の勇気なのである。皆も、勇気を持つことだ。
ずるく臆病な幹部ではいけない。私は、仏法を破壊する三類の強敵に対して面と向かって戦ってきた。
勇気!──これが学会精神だ。
三代の師弟の勇気によって、今日の大発展の礎がつくられたのである(大拍手)。

● 師弟不二の道を
一、思えば、「師弟の真髄の道」を歩み抜かれた日興上人の「日興遺誠置文」は、いつの著作とされているのか。
それは、日興上人の師であられる日蓮大聖人の「立宗宣言」から、満80年の折であった。
〈元弘3年(正慶《しょうきょう》2年)=1333年〉
この「日興遺誠置文」で、日興上人は厳命された。
「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書1618㌻)
ただただ「広宣流布」の大願に向かって、どこまでも、師の仰せのままに、身命を惜しまず、戦い進んでいく。
これこそが、師弟の魂である。これこそが、永遠の学会精神である。この一点を、リーダーから銘記し合いたい。

一、若き日より、私は、命懸けで広布を思い、誠心誠意、恩師の戸田先生にお仕えしてきた。
戦後の混乱の中、先生が事業に失敗され、莫大な借金を背負われたときも、私が、そのすべてを返済していった。
朝も晩も、先生をお護りした。わが青春を、師匠と学会のために捧げてきた。
御本尊に誓って、本当に微塵も後悔なく、そう言える。
恩師の戸田先生は、亡くなる前に私に言われた。
「大作、お前は、私が一番大変な時に、よくやってくれた。勝ったよ。私の人生は勝った。いい人生だったよ」と。
先生亡き後も、私はただ、苦しむ民衆を救わんとされた恩師の勇姿を偲び、恩師の心をわが心として戦ってきた。
師弟不ニ──真実の戦いは、ここにしかない。ここにしか、仏法はない。深き人間の道もない。
師匠に応えんとする、その一念、その祈りから、勝利の力が生まれるのだ。

● 真剣勝負で!
一、戸田先生は、厳しく言われた。
「自分が責任を持つのだ。手伝いをしている気持ちの人間が何万人集まろうが、本当の戦いはできない!」
その通りだ。戦いは真剣勝負でなければ勝でない。“死ぬか生きるか”──そのくらいの覚悟がなければ、遊びだ。甘えや油断は、微塵もあってはならない。
私は、どんな戦いでも、全力を注いできた。「不可能」さえも「可能」に!
──その決心で、師匠のため、広宣流布のために戦い抜いた。
経済的に苦しい時もあった。真冬でもオーバーもない。新しい靴が買えず、高下駄を履いて出かけたこともある。
しかし、心は誇り高かった。仏法が真実であるならば、未来の勝利は絶対と確信していたからだ。

一、各地の尊き同志の皆様が、どれほど真剣に戦ってくださっているか。
私は報告書や手紙などでうかがい、よく存じ上げているつもりである。そうした書類は、学会本部で大切に保管している。
皆様が、広宣流布のためにどう行動し、どのような歴史を綴ってくださったのか。大事な記録として、後世のために残している。

● 「幹部が走るから皆もついてくる」
一、人間指導者の真髄は、「率先垂範」にある。
中国・明代の哲人指導者として名高い呂新吾《りょしんご》は述べている。
「聖人は、手足にたこやあかぎれをつくりながら駆けずりまわり、一時も心の安まる暇はない。
そして天下を安泰に導いてから、初めて楽しむのである。言わば、苦しみのなかに楽しみを見出すのが、聖人の楽しみにほかならない」(守屋洋編訳『呻吟語』徳間書店)
いわんや広宣流布の指導者は、師弟の精神をたぎらせて、最前線へ、座談会へ、一軒一軒の家庭訪問へ、一対一の対話へ、徹して走り抜いていくのだ。どこまでも、同志のため、友のために行動し抜くのだ。
この心が脈動している限り、わが学会の前進と拡大、そして勝利の道は永遠である。
私は若き日、自分が責任者となった地域で、隅々まで、自転車に乗って、一軒一軒、同志のお宅を回った。まだ車など持てない時代である。立派な会館もなかった。
家庭訪問の途中で、自転車がパンクしてしまったこともあった。そんな時は、同志に頼んで自転車をお借りし、再び街へと飛び出していった。
そうやって、一人一人を立ち上がらせた。一つ一つ壁を破り、広宣流布の勝利の道を開いていったのである。
人間の力はすごい。いわんや御本尊を持った私たちは、どれほど大きな力を発揮できることか。
本気になって祈り、戦えば、必ず結果が出るのだ。
不思議な信心である。だれもが、深い使命を持っている。
正義が勝たなければ、皆が悲しむ。苦しい思いをする。混迷の社会になる。だからこそ、断じて勝利するのだ。
今の千倍、戦おう!
必死になって同志のもとを訪れ、励ましを贈っていこう!──最高幹部が、なかんずく壮年が、そうした決意で立ち上がることだ。
戸田先生は「幹部が必死に走るから、皆もついてくるんだ」と語っておられた。
皆に「やらせる」のは卑怯だ。自分が動くのだ。自分が先頭に立ってこそ、同志も一緒に戦ってくれる。これが鉄則だ。
幹部が要領ばかりよくなり、陰で楽をするようなことがあれば、皆はついてこない。それでは学会の組織は、崩れてしまう。

● 後輩を大切に人材を育てよ
一、指導者の責務は、後継の人材の育成である。
どれだけ多くの優秀な人材を育て、伸ばしたか。それこそが、指導者の誠の栄光といってよい。
どうか後輩を大切にし、よく面倒を見てあげてほしい。
また一人一人が、後輩の模範となる、立派な指導者であっていただきたい。

一、いよいよ、青年部の時代である。
青年部、頼むよ!
〈「ハイ!」と元気な返事〉
青年部が立ち上がるのだ。日本中で、世界中で、青年部が広宣流布の大行進を開始するのだ。
学会創立八十周年へ、拡大の大目標を掲げて、堂々と進むことだ。
「師弟の精神」を赤々と燃やし、新しい道をどんどん切り開いていくのだ。青年部が立てば、婦人部も、壮年部も喜ぶ。
そして、充実した大座談会運動を全世界で展開していこう。
ともあれ、学会活動は、すべてが自分のためである。広布のためである。
全世界の、全人類の幸福のためである。
どこまでも楽しく、おもしろく、にぎやかに前進しよう!(大拍手)

一、時代を変えるのは、青年だ。
未来は、すべて青年に託す以外にない。後輩たちを励まし、頑張ってもらうのだ。
若い人たちは、ぐんぐん伸びていく。年配の幹部を追い抜いていく面もあるだろう。
先輩は、どんどん力を発揮させてあげるのだ。青年のために、あらゆる手を打つのだ。決して、邪魔したり、押さえつけたりしてはいけない。むしろ、先輩から声をかけ、温かく激励するのだ。
若いからといって、下に見て、あごで使おうとするのは、大間違いだ。そうではなく、信頼し、慈愛をもって「一緒にやろう!」と応援していく。完璧に、バトンタッチしていく。そして、全員が伸び伸びと、楽しく、若々しく動いていく。そこに新たな勝利の突破口が開けるのだ。

● 大願に生き抜け
一、日蓮大聖人は、厳しい「熱原の法難」の渦中に、若き南条時光に仰せになられた。
「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561㌻)
一生成仏、そして広宣流布という、人間として最極の「大願」に若き生命を燃焼させて、いかなる苦難も突破していくことを厳命なされたのである。
この仰せに奮い立った南条青年は、師匠を護り、同志を護り、正義の勝利の旗を打ち立てていった。
これが、広宣流布の方程式である。
戸田先生のもとで、私も、未来永劫に消えない弟子の勝ち戦を刻み残した。
戸田先生は、よく言われた。
「これからの学会を背負っていくのは、青年である。諸君の手で、広宣流布の尊き大使命を達成せよ!」
先生は、決して青年を甘やかされなかった。
「このことは、青年部に任せよう」「この戦いは、青年部にやらせてみよう」と、名誉ある責任を一人一人にもたせ、新展開を託された。これが、先生の薫陶であった。
師匠の期待と信頼に、私を中心に完璧に応えてきたのが、創価学会青年部の栄光である。この伝統を担い立ち、青年部が、すべてを勝ち開いていく時が、学会創立80周年であると、私は強く申し上げたい(大拍手)。
【方面長協議会 ②】へ続く