2016年9月14日 投稿者:案外おばちゃん 投稿日:2016年 9月14日(水)10時36分20秒 通報 池田先生が初めてインドの地に降り立った1960年 1人も学会員が居ませんでした。 今の新 人革の舞台である昭和54年 40名のインドの同志の源流は昨年 111,111の地湧の陣列を達成。 《現地の同志が頑張った結果であり、日本の会長がバンザイしているクリアファイルなんぞ 言語道断!!》 そのインドの同志は皆 口を揃えて こう言います。 「私は、山本 伸一です」と。 まさに 「出でよ! 10万の山本伸一!!」 との先生の叫びに呼応して 出現した弟子達です。 私はこの話を聞いて 感動しました。 日本で 「私は山本伸一です」なんて言ったら・・・・ 先生気取りと悪口を言われるでしょうね。間違いなく。 師弟不二と言いながら それを目指すと 潰される日本の組織。 今日の名字の言。 呼び名は変えてみたけれど 遅々として進まない任用申し込み。 なんとか現場が教学に力が入るようにとのインド広布発展は教学に力を入れたからとの話になっていましたが、発展の源流は 「私は山本伸一です」と戦う同志がインドにはたくさんいるからではないでしょうか? 本日の新 人革 日蓮大聖人の仏法西還の確信を挙げ、 「でも、それは、自然にそうなるということじゃないと思う。誰かが使命を自覚して、行動を起こさなければ、その実現はない。」 Tweet