投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月17日(金)17時24分19秒   通報
さて、初代会長牧口先生は、民衆が一人ももれなく幸福になるためには
「日蓮大聖人の仏法を信仰するしかない」と訴え、

学会員が実践すべき信心の基本は「信・行・学」にあると述べました(牧口常三郎全集八巻七四頁)。

この牧口先生の考えは、大聖人の

「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あひかまへて・あひかまへて、
信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし。

行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、
行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書一三六一頁)

の御文が基本になっていると思われます。

御書を注意深く読んでいくと、父母の恩、師匠の恩、国の恩を報ずるためには、

仏法を習い極める「教学研鑽(学)」の重要性が語られ、
不軽菩薩の実践を通して「仏道修行(行)」の模範を示し、
経典の故事を引用して「信仰の在り方(信)」を大聖人は教えています。

前回の論考「創価思想の永遠性と偶像化」「如説修行と不軽菩薩の実践」に引き続き、
今回は信仰の在り方(信)について考えていきたいと思います。

なお、上記二つの論考と今回の論考は「信・行・学」をテーマにした三部作になっています。

初期に作成された原始仏典の一つに、
釈尊の指針的要素の語録を集めた「法句譬喩経」という経典があります。

この法句譬喩経のなかには、釈尊の弟子である〝修利槃特(すりはんどく)〟の故事が記されています。