投稿者:JACK 投稿日:2016年 5月24日(火)23時35分35秒   通報
※業務多忙により、掲載が遅くなりましたことをお詫びいたします。
次に、学会が、これだけ大きくなり、社会的に占める比重、責任が大きくなった現在、どうしても、私どもが、心していかなければならない問題は、創価学会の体質という問題であります。

学会の体質ということについては、言論問題をめぐる種々の批判のなかでも、論議されてきたことでありますが、私どもとしても、受け入れるべきは冷静に受け入れ、改めるべきは、素直に改めていかなくてはならないと思う。
この体質問題についても、すでに総務会、理事会で何回か検討を重ねてまいりました。
したがって、ここで申し上げる諸点は、全て、その検討のうえ、決定をみたことであり、皆さん方のご賛同をいただければ、今後の基本方針として、決定したいのであります。
《道理を尽くした布教・折伏を》

第一点は、布教・折伏の問題であります。

たしかに、これまでは、建設期であったが故に、また、若さの故に、あせりすぎた面もあった。
そのため、随分、注意したのですが、一部に熱意のあまり、つい行き過ぎて摩擦を生じた例があったことも知っております。
今後は、そうした行き過ぎの絶対にないよう、道理を尽くした布教、折伏でいくよう、これまで以上に、互いに戒め合っていきたいと思いますが、いかがでしょうか。
現在は、たとえていえば、これまでの高速道路から、混雑した都会の道路を車で走っているようなものといえましょう。
したがって、決して数をあせる必要はないし、あせっても絶対にならない。
無理な学会活動をして、社会に迷惑をかけることは、大謗法であり、学会の敵であります。
多少減ってもいいから、立派に整とんしながら、悠々とやっていきましょう。
むしろ、入信するのが、すばらしい名誉であり、栄光なのだという気概でいくのが、本当なのであります。
御本尊を受持するということは、最高の宝をいただくのと同じであります。
これが仏法の原理である、無上宝聚不求自得ということであります。
御本尊をなんでも、いただかせようとして、粗末にするようなことがあっては、大聖人の仰せへの反逆である。
そのためには、入信にさいしては、座談会に原則として三回以上出席することを条件とし、きちんと名簿に登録するようにもしたい。
また、退会したいという人に対しては、道理だけは尽くしても、決して執拗にとめてはならない。
むしろ、本人の意思を尊重し、その意向を認めていくことを、更に強く徹底しておきたい。

これと関連して、第二点として、これまで学会は、紹介者と入信者というつながり、すなわちタテ線を基調として前進してまいりました。
だが、ここに完璧な基盤ができあがりましたので、地域社会と密接なつながりをもつという意味からも、これまでのタテ線を貴重としたのと同じく、これからはブロック、すなわちヨコ線を基調としていきたい。
とりあえず、昭和四十七年十月ぐらいまでを第一段階として、ブロックの体制を基本にしながら、伸びのびと、仲良く、楽しい信心をしていきたいと思いますが、この点もいかがでしょうか。(全員挙手)

ともあれ、今後は社会を大切に、そこで信頼され、尊敬されていくことが大切にであります。
社会に根を張れるか否かで、学会の将来は、決定してしまうのであります。
それができなければ、広宣流布の進展は絶対にありえぬ時代であることも銘記したい。

第三点は、事故を起こした人の問題であります。
仏法は、慈悲が根本精神であり、いかなる社会の片隅の人をも救っていく使命があります。
虚栄であってはならない。
最高に寛容であり、包容性に富んでいかねばならない。
ただし、学会員でありながら、悪いことをしたり、折伏や選挙にさいして事故を起こし、世間を騒がせ、同志にも迷惑をかけた場合には、いかなる幹部であっても、解任または除名処分にしていく以外にない時代であると思う。
この点についても、今後、厳格に臨んでいきたいと思っておりますが、いかがでしょうか。

また、第四点は、大きな問題でありますが、学会の体質として、特に外部からいわれていることの一つとして、学会は上意下達で下意上達がないという点があります。
本当は、そうでもないのですが、とかくそう見られてしまう一面があることも否定できません。
これまでも、なるべく民主的な運営を心がけてきたことは、皆さんが最もよく知っているはずであります。
今後とも、まず会の運営や会合等について、一人一人の意見が、なんとか最大限に吸収できるように改善したい。
そして、こうした具体的な積み重ねのうえに上意下達という傾向を完全に是正していくように努めたいのであります。
ただし、教義の問題は、これは大聖人が定められていることであり、絶対的なものであります。
仏の教えに従うことが、仏弟子の道です。
しかし、教義と関係のない運営面・活動面は時代と状況に応じて、我々が考えていかねばならない。
これは、最高に民主的な方法で、衆知を集めて、推進していくべきであります。