投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 5月18日(水)16時46分37秒   通報
経典に説かれる三十二相を具えた色相荘厳の仏は、最終的に到達点に達した完成者ですが、
それは現実に存在するものではなく、実際の人間が成し得るものでもありません。

言い換えれば、それは生命の働きを象徴的に示すために方便として説かれた架空の存在であり、
現実世界で実在する仏ではないということです。

実際に存在する仏とは、

妙法を受持した現実の人間――つまり未完成の凡夫の生命の中に仏の完成を秘めた人間以外にはあり得ないということです。

しかも胸中の光り輝く仏界を維持し続けるためには、悪との闘争が必要不可欠なのです。
悪と戦わない人間には仏界の生命は涌現しないと思うし、地涌の菩薩の本質でもないと思います。

事実において、創価三代の師匠は人間を不幸にする権威権力とは「断固戦え!」と叫んでいるし、
何より師匠が先頭に立ってその闘争を展開してきました。

こう考えていくと、今試されているのは弟子の方なのではないかと思います。

後継の弟子がどうするのか――仏はじっと見ています。それが師匠の心だと思う。

ともあれ、涌出品は地涌の菩薩が釈尊の弟子でありながら、
仏よりも尊貴な姿をとっているという「謎」を提示したまま終わっています。

そして、無量無辺の菩薩を教化した仏は今世で初めて成道した仏ではなく、
久遠の昔以来、仏であり続けている存在であることを寿量品で明かしました。

法華経という経典は、法華経が成立してインド・中国で弘められた時代の人々のために
作成されたものではなく、遥かな未来の人々のために作成されたものであることを法華経自体が表明しているのです。

ではその未来とはいつの時代なのかというと、
白法が隠没し、道理が通らず、力の論理が横行する最悪の悪世末法です。

この時代を生き抜いた大聖人の仏眼は「三災七難」が起きる原因を明確に捉え具体的に述べています。

それを最後に記して終わります。

――今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上、悪国・悪王・悪臣・悪民のみ有りて正法を背きて、
邪法・邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入りて三災七難・盛に起れり(御書五〇一頁)――。

おわり