投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 5月14日(土)06時10分34秒   通報 編集済
■グラフSGI:2003年5月号より

【随筆 新・人間革命 昭和54年5月3日】

一九七九年すなわち昭和五十四年の五月三日――。

間もなく、創価大学の体育館で、″七つの鐘″の総仕上げを記念する、第四十回の本部総会が行われることになっていた。

本来ならば、その日は、
私は、偉大なる広宣流布のメッセージを携えて、
創価の栄光を祝賀する日であった。

すべての同志が熱意に燃えて、楽しき次の目標をもち、至高の光を胸に抱きながら迎えゆく、歓喜の日であった。
尊い広布の英雄たちが微笑をたたえ、共々に、珠玉の杯を交わしながら祝うべき日であり、大勝利の鐘を自由に打ち鳴らす日であった。

しかし、嫉妬に狂った宗門をはじめ、邪悪な退転者等の闇の阿修羅が、この祝賀の集いを奪い去っていったのである。

午後二時から始まる総会の開会前であった。
妬みと滅びゆく瞋恚の魂をもった坊主を乗せたバスが、大学に到着すると、私は、ドアの前に立ち、礼儀を尽くして、彼らに挨拶した。

ところが、坊主たちは、挨拶一つ、会釈一つ返すわけでもなく、冷酷な無表情で、傲然と通り過ぎていった。

学会伝統の総会も、いつものように、学会らしい弾けるような喜びも、勢いもなく、宗門の″衣の権威″の監視下、管理下に置かれたような、異様な雰囲気であった。

「冷たい墓石の上に座らされたような会合であった」と、ある幹部が後で言っていた。

激怒した声が多々あった。
会場からの私への拍手も、遠慮がちであった。
また、登壇した最高幹部は、ほんの数日前の会合まで、私を普通に「池田先生」と言っていたのが、宗門を恐れてか、ただの一言も口にできない。

私をどうこうではない。それは、強き三世の絆で結ばれた、会員同志の心への裏切りであった。

婦人部の方が怒っていた。
「どうして、堂々と、『今日の広宣流布の大発展は、池田先生のおかげです』と言えないのでしょうか!」と。

私が退場する時も、戸惑いがちの拍手。

「宗門がうるさいから、今日は、あまり拍手をするな。特に、先生の時は、拍手は絶対にするな」と、ある青年部の最高幹部が言っていたと、私は耳にした。

恐ろしき宗門の魔性に毒されてしまったのである。言うなれば、修羅に怯えた臆病者になってしまったのである。

しかし、私を見つめる同志の目は真剣であった。声に出して叫びたい思いさえ、抑えに抑えた心が、痛いほど感じられた。

体育館を出た直後、渡り廊下を歩いている私のもとに駆け寄って来られた、けなげな婦人部の皆様との出会いは、今も、私の胸に深く、くい込んで離れない。
(全文)
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