投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 9月 6日(火)22時21分47秒   通報
案外おばちゃん様
>池田先生の出世の本懐は何だとお考えですか?<

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師弟の宝冠VOL.6より
「私が会長を辞任した時も、絶頂期にあった学会の発展を妬む、卑劣な反逆者がいた。悪の末路は厳しい。悪を見て見ぬふりをして、戦わない人間は永遠に悔いを残す。悪に誑かされ、慈悲も師弟の精神もなくなれば、もはや仏法の世界ではない。二度とそうなってはならない。未来のために、これだけは言い残しておきたい。」

出世の本懐とは、現代的に分かり易く言うと、「使命」であり、もっと近い表現ならば、「天命」といったところでしょう。師である戸田先生の構想を実現することが、池田先生の使命であることは論を待たない。全世界100ヵ国以上に妙法を弘め、1000万人以上の会員数の大創価学会を創った。創価学園、大学、政党や民音の設立、世界の多くの指導者との対談等、枚挙に暇はない。出世の本懐はすでに果たされているといっても過言ではありません。

その上で、これだけは言い残しておきたいと言われているのが、上記の指導です。戸田先生の75万世帯の成就は、師弟不二の弟子である池田先生がいたからこそ達成された。つまり、出世の本懐とは、師と弟子が一体であってこそ成就するもの。師の本懐とは、弟子によって完結すると言えます。戸田先生には池田先生がいた。では、池田先生には誰がいるのか。ここです。

池田先生には、54年の裏切りの弟子しかいない(54年を総括することもできない段階)。師弟不二どころか、師を軽んじ、足蹴にした面々。弟子が師を護ったのではなく、師が弟子を護り、ここまで盛り返すことができた。弟子の戦いではなく、師の戦いによって何とかなってきた創価学会であることを忘れてはならない。本門の池田門下の真価が問われるのは、権力の魔性が牙をむいた時であり、順調な時ではない。

54年という、大きな過ちを繰り返すことは絶対に許されない。もしも、逆行したら、それこそ不知恩の輩であり、先生の本懐そのものが破壊されてしまう。戸田先生の本懐は池田先生によって完結した。池田先生の本懐もまた、本門の池田門下によって完結する。逆に弟子が破壊することもできてしまう。このことを御書には、「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり」(P900)とあるように、師と弟子は一体なのです。

池田先生は勝利しました。弟子である池田門下も勝利してこそ、師弟不二の出世の本懐の成就です。そして、師の時代から弟子の時代にバトンタッチされており、本懐を成就するも破壊するも、弟子の手に委ねられています。それはとてつもないことなのです。創価学会の永遠性の確立というのは、二度と54年を繰り返さないこと、即ち、54年体質を打ち破ることに他ならない。

先生の、「二度とそうなってはならない」という叫びはあまりにも重い。遺言中の遺言です。本門の池田門下を名乗るのであれば、ここを見逃してはならない。54年を乗り越えるのは弟子の戦いです。学会は順調に勝利を収めていますが、根底には、54年体質が根付いていることを忘れてはならない。54年を二度と繰り返さないことが、師を護り、学会を守ること。54年体質にのまれてしまったら、それはまさに裏切り(ゼロをかければゼロ)である。