投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 9月 2日(金)14時24分12秒   通報
長者の子様

新・人間革命2巻より
「最も大変な組織を盤石にすることができれば、三世永遠にわたる大福運を積むことができる、」

組織のことで悩むこと自体が使命であり、それは、三世永遠にわたる大福運を積む資格があるとも言えます。大いに悩み、祈り抜き、一歩一歩変革していってください。長者の子様は、仏法の眼からみたら、とてつもない福運がある人です。三世永遠に消えない大功徳を頂戴する、ビックチャンス到来の今世なのです。そのことに感謝できれば、組織はガラッと変わります。

新・人間革命6巻より
「幹部というのは、常に、一番苦しんでいる人、大変な思いをしている人の事を念頭において、物事を考えなくてはならない。」

これが創価学会です。人間主義の世界です。先生の指導という芽は必ず出て、開花します。一番悩み、苦しんでいる人が中心であってこそ、慈悲の団体です。そしてそれが池田門下です。ここがわからなくなっている傲慢な勘違い幹部は、まだまだ多い。

新・人間革命8巻より
「会合に集って来る人だけを相手に、活動を進めることは楽ではあるが、そこには本当の広宣流布の広がりはない。」

色々な立場の会員の声に耳を傾けることが、何よりも大事な時代に入りました。活動家には「活動家の傲り」という落とし穴があります。活動をやっているという自負心があればあるほど、未活動家や、事情があって活動できていない会員を、甘くみてしまう傾向にあります。それでは、活動家本位の創価学会となり、「活動家の活動による活動家のための活動」に堕してしまう。これでは魅力はなく、ますます人が離れてしまう。

新・人間革命12巻より
「『私がいる限り、たとえ自分一人になっても、絶対に広宣流布をしてみせる。必ず勝つ』と、獅子となって戦い続ける人が、何人いるかです。」

中枢が腐ろうと、組織悪が蔓延しようと、「広宣流布は私がやります」との大誓願があれば、そこから拓いていける。大誓願さえあれば、それ以外にどうなろうと、風の前の塵に等しい。ともあれ、何があっても広宣流布は成し遂げなくてはなりません。中枢や組織が狂おうとも、広宣流布というゴールは揺らぐことはない。広宣流布は私がやりますとの大誓願こそが、法華経の行者の一念です。

法華経の行者として生きるか、それとも、現状を歎き、諦めの行者となるか。混沌の中に光はあり、法華経の行者もまた、混沌の中から生まれる。いままさに、法華経の行者である、創価の英雄が、陸続と出現する時なのである。