投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月28日(日)19時54分49秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2008-1-2 【各部最高協議会】

■ 一、「人材・拡大の年」の開幕、大変におめでとう!(大拍手)
 きょうは、お正月の休みの中、また寒い中、本当にご苦労さまです。
 全国、全世界の尊き同志、また大切な友人の皆様方にも、新年のごあいさつを申し上げたい。
 年末から年始にかけて、学会本部には、各地から多くの方々がお見えになり、深き真心から新春を祝賀してくださいました。
 特に今年は、世界中で、私の80歳の誕生日を祝ってくださった。世界の各地からいただいた祝電や新年状も、過去最高の数となりました。
 この席をお借りして厚く御礼を申し上げます。
 さらに、年頭から日本一の新年の勤行会等の運営に当たってくださった創価班、牙城会、白蓮グループ、白樺グループなど、すべての役員の皆様方、本当にありがとうございました(大拍手)。
 心からの感謝を込めて、晴れわたる元日に詠んだ一首を捧げたい。

  創価山  朝日に輝く  三色旗
      君も私も  勝利に輝け

 この一年もまた、元気で、健康で、新たな黄金の歴史を築いてまいりたい(大拍手)。

■ 新年の始まった直後は世界中が、時の流れ、生命、そして生命の意味といったものに対して深遠でかつ強烈な意識を持つように思われる。更に、たとえどんなに小さな決意でさえも、宇宙大の確固たる確信となりうる。
 このように新年の決意というものは重要な意義を持つゆえに、軽視されるべきものではない。
 事実、新年に際して新しく変わろうとする努力は、生命の深くに根差した生まれ変わるという原初的な衝動に発していると主張する人もいる」
 「どんなに些細に思われる目標であっても、それはより大きな、人間の蘇生への欲求の一部とみなすことができる。
 それは一人一人の中にある、どんなに苦しい人生を歩んできても、どんなに自分自身の行動に失望しても、新年にはまた新しくスタートすることができる、自己変革ができるという実感である。
 このように、新年は自己の変革に挑戦する決意をする、またとないチャンスである」
 こうした観点からも、新たな前進を誓い合う学会の新年勤行会は、重要な意義をもっているといえよう。

■ ともあれ、南無妙法蓮華経は「久遠元初の法」である。それを唱え行じゆく、私たちの胸中には、久遠元初の仏の生命が赫々と輝いていく。
 御書には「久遠一念元初の妙法」を受け持つことは、「最極無上」の法を授かるということである、と示されている(867ページ)。
 妙法を受持し、広宣流布に生きゆく私たちにとっては、毎日が「久遠元初」であり、毎日が「元旦」である。ゆえに、常に元朝の旭日のごとく、清新な蘇生の光を放ちながら、日の出の勢いをもって向上していくことができるのだ。

●学会を護り抜け
 一、我らが目指す広宣流布の山の登はん。
 それは人類未到の壮大なる挑戦である。
 それはまた、一次元から言えば、仏と魔との熾烈な闘争にほかならない。
ゆえに楽をして勝てるわけがない。
 人類の平和と幸福のために、広宣流布の団体である学会は、断じて負けてはならないのだ。
 そのためにリーダーの要諦を語っておきたい。
 学会のリーダーは、学会を護るために、命がけで戦うのだ。
 学会員に命がけで尽くすことだ。
 口先ではない。責任である。行動である。決意である。
 要するに、最高幹部が犠牲になって、苦労していく以外にない。
 これが栄えていく根本だ。
 どんなことがあっても、学会を護り、師匠の精神を護り抜く。
 それが創価三代に流れる師弟の心である。
 この一点があるかどうか。この一点を確立していかなければ、永続はできない。
 重要なことを、最高幹部の皆さんには申し上げておく。

●幹部はいたが…
 一、恩師の戸田先生も、青年である私に、すべてを託された。
 戸田先生の時代にも、幹部は大勢いた。
 しかし、戸田先生が事業に失敗され、窮地に陥ると、周りは一変した。
 そそくさと逃げ出す者。
 「戸田のバカ野郎!」と文句を言う者。
 戸田先生が誹謗中傷されるのを見て、卑劣な笑いを浮かべる者すらいた。
 その根底は、偉大な先生への焼きもちであり、醜い保身と畜生根性であった。
 仏法は「不惜身命」ではないか。
 法華経の行者に、難や迫害は当然ではないか。
 それなのに、なぜ幹部は先生を護らないのか。戦わないのか。何を甘えているのか。
 「沈黙することはその敵にわが身を結びつけるほどの卑しい下劣さである」
(中山昌樹訳『ダンテ全集第4巻』日本図書センター)との詩聖ダンテの叫びが、若き私の胸に、こだましていた。
 戸田先生は、常々、「怖いのは内部だ」と言われていたが、その通りの無慈悲な情けない姿であった。
 私は戦った。
 青年らしく、弟子らしく、先生を厳然とお護りした。
 月給もなく、真冬でもシャツ一校で、借金の返済に駆けずり回った。
 嘘八百の人間には、どこへでも出かけていって抗議をした。
 早朝でも深夜でも、何かあれば、隼のごとく、先生のもとに飛んで行った。
 そんな弟子は、だれ一人いなかった。
 この嵐の中で、戸田先生は、二十八歳も年下の私に全幅の信頼を寄せてくださったのである。
 「だれも信用できない。信用できるのはお前だけだよ」と。
 大難と戦う師匠を支えたのは、名のある幹部や名士ではなかった。無名の一青年であった。
 一番信頼できるのは、いつも純粋な会員の方々である。それが広布の歴史の真実である。

■ 一、ここで御聖訓を拝したい。
 「一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわ(破)る」(御書1316ページ)と仰せである。
 一年また一年、一日また一日、師子王の心をみなぎらせて、妙法を朗々と唱え、そして新鮮な音声を発しゆくことだ。
 その師子吼こそが、わが正義の陣列を勇気づけ、邪悪の魔軍を退散させていくからである。
 ともあれ、かの大教育者ぺスタロッチも、元日より、さっそうと、声高らかに青年を励ましていった。
 リーダーは、声を惜しんではならない。
 語って語って語りまくることだ。
 しゃべって、しやべって、しやべりまくることだ。
リーダーの「確信の声」「安心の声」「正義の声」が新たな時代を開くのである(大拍手)。

■この1月、全国の津々浦々で賑やかに朗らかに行われる、世界一の婦人部の総会を、壮年部、青年部も、最大の感謝を込めて応援してまいりたい(大拍手)。
 ウルストンクラフト(イギリスの女性の思想家)は強調してやまなかった。
 「人間というものは、能力を使わなければその能力が伸びないように造られている」
 人生は、行動したほうが勝ちである。
 日々、人々を励まし、希望を贈るために、わが生命を使うことは、「幸福博士」の天賦の才を、最大最高に伸ばしていく道である。
 彼女は厳しく戒めた。
 「気取りは誠実さに反するであろう」
 「虚栄心の強い人間は傲慢である」
 「権力というものは、すべて、愚かな人間を酔わせる」
 聡明な女性の眼に、見破れない悪などない。
 信念の女性の声に、打ち破れない悪などない。

●不正や侮辱に沈黙するな!
 一、ウルストンクラフトは喝破した。
 「忍耐強く不正に耐え、また侮辱されても黙ったままでいるような人は、やがて自分も不正な人間になるか、あるいは善悪を見分けることができなくなるであろう」
 まったく正しい。これが、人間の精神の法則である。ゆえに、黙っていてはいけない。
 悪と戦い、正義を叫び切っていくなかにこそ、真実の心の健康がある。創造の炎が燃え上がる。
 一般に、年配になると、詩が書けなくなるとも言われる。
 しかし、私が「世界民衆詩人」などの称号にお応えして、多くの詩を詠み残していけるのも、戸田先生の弟子として、破邪顕正の学会精神で、邪悪と戦い続けているからだと実感している。
 〈名誉会長とトインビー博士の対談集などを翻訳した、スリランカの名門・ケラニヤ大学のバッリヤグル博士は、こう語っている。
 「人は若い時には勇気があり、決意があり、詩を書く。しかし、人生の苦難を経験し、詩を書かなくなる。70代で詩を書き続ける人は、まれである。ところが、池田博士は、青年を励まされる詩を、今も生き生きと書き続けておられる。このような方は、見たことがありません。希有の偉人です。
 現代の詩人は、読者に悲観を与えるようなことばかりを書いています。そのなかで池田博士は、勇気と希望を与える詩を書き続けておられます」〉
 ウルストンクラフトの箴言を、創価の母たちに贈りたい。
 「友よ、ささいな出来事の一つ一つにくよくよしないように注意せよ。微風にそよぐ葦は一年で枯れてしまうが、がっしりとそびえる樫の木は、長年の間、嵐にも立ち向かうのだ!」
 どうか、嵐に揺るがぬ大樹のごとく、強く悠然と充実と勝利の年輪を刻んでいただきたい(大拍手)。

●「声もをしまず唱うるなり」
 一、日蓮大聖人は「報恩抄」において、こう仰せになられた。
 「一間浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(御書328ページ)
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながる(流布)べし」(同329ページ)
 いずれも、私たちが生命に刻んできた一節だ。
 南無妙法蓮華経こそ、全人類の仏性を目覚めさせゆく音律である。究極の希望の大法である。
 大聖人が、この題目の弘通を始められたのは、今から755年前の建長5年(1253年)4月28日。故郷・安房国(現在の千葉県の南部)の清澄寺で行われた「立宗宣言」である。32歳の時であった。
 その際の御心境を、「関目抄」に綴られている。
 末法の衆生が悪道に堕ちる所以は、ひとえに邪法・邪義にある。このことを一言でも言えば、必ず難が競い起こる。もしも難を恐れて言わなければ、民衆の苦悩を放置することになり、無慈悲の誇りを免れない──。
 「法華経・涅槃経等の文に照らして、言うか言わないかの二つを考えてみるに、言わないならば、今生では何事も起こらないにしても、後生は必ず無間地獄へ堕ちるであろう。言うならば、三障四魔が必ず競い起こるということがわかった」(同200ページ、通解)
 そして大聖人は、「二辺の中には・いうべし」(同ページ)と決意されたのである。
 立宗宣言以降、大聖人の御生涯は、襲撃や流罪など、大難との戦いの連続となる。
 それは、「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」(同202ページ)等と記されているように、過酷なものであった。
 きょうは、大聖人の忍難弘通の御生涯の出発点となった「立宗宣言」をめぐって、若干の事柄を確認しておきたい。

●「破邪顕正」は日蓮仏法の魂
 一、立宗宣言をされた場所は、清澄寺における師・道善房の持仏堂である。時間は「午の時」(正午ごろ)。
 大聖人は、厳しく邪義を破折され、南無妙法蓮華経の大法を説き明かされた。「破邪顕正」は、日蓮仏法の魂である。
 そして、若き日に学んだ地で正法を打ち立て、師である道善房を正法に導かんとする、深き報恩の心を込めておられた。
 大聖人は立宗宣言のころに、それまで名乗られていた「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう
)」という名前を、「日蓮」に改められたと伝えられている。
 「太陽」は、一切を照らす。「蓮華」は、汚泥の中で清浄無比の華を咲かせる。
 この「日蓮」という御名前そのものが、末法の御本仏であることを明確に示されていると、拝することができよう。
 「清澄寺大衆中」には立宗宣言の様子が詳しく記されている。
 「これを言えば、必ず、日蓮の命にかかわることになるであろうと承知していたけれども、虚空蔵菩薩の御恩を報ずるために、建長5年4月28日、安房の国・東条の郷にある清澄寺の道善房(どうぜんぼう)の持仏望の南面において、浄円(じょうえん)房という者、ならびに少々の大衆に、これを言い始めた」(同894ページ、通解)
 ここで大聖人は、立宗宣言の場に集った人々を「少少の大衆」と仰せである。つまり、清澄寺の僧などが集まった、少人数の会座であった。実際に何人が集まったか、具体的な記録はない。

 一切衆生の境涯を開き、末法万年尽未来際まで轟きわたる南無妙法蓮華経の法理は、ごく少人数の会座から説き明かされていった。大人数ではなかった。
 ここに、我らが進める広宣流布の、原点の実像があるととらえたい。
 創価学会の活動の根幹である「座談会」もまた、少人数の対話で進めている。
 なかんずく、婦人部の皆様方によって行われる「婦人部総会」から、本年も対話の輪が広がっていく。その様子を、大聖人がどれほど喜び、讃えておられるか。その意義も福徳も、計り知れない(大拍手)。

●「日蓮一人」から190の国々へ
 一、大聖人は仰せである。
 「去る建長5年の4月28日より、今の弘安2年11月に至る27年の間というもの、退転なく、強盛に南無妙法蓮華経の弘通に努めてきたことは、月が満ち、潮が満ちていくごとくであった。
 はじめは日蓮ただ一人、題目を唱えていたが、見る人、会う人、聞く人、いずれも耳をふさぎ、眼を怒らせ、口をゆがめ、手を握りしめ、歯がみをして、父母、兄弟、師匠、同僚までも、敵対した。
 後には故郷の地頭や領家も敵対し、ついには、一国をあげて騒ぎ、万民が驚くありさまになった。
 そうしたなかで、人の口まねをして南無妙法蓮華経と唱える者がいたり、あるいは悪口のために唱え、あるいは信ずるに似て唱え、またあるいは誹謗するに似て唱える者などがおり、すでに日本国の民衆の10分の1は、一向に南無妙法蓮華経と唱えるようになった」(同1332ページ、通解)
 創価三代の師弟は、この大聖人の闘争に直結して、三類の強敵と戦い続けてきた。
 蓮祖の「立宗宣言」の魂、広宣流布の大精神は今、わが学会に流れ通っているのである(大拍手)。
 一、大聖人は、「終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」(同816ページ)と力強く言明された。御義口伝には、「南無妙法蓮華経は自行化他に亘るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経を勧めて持たしむるなり」(同747ページ)と説かれている。
 我ら学会は、この御本仏の仰せのままに、世界190の国や地域にわたる妙法流布を成し遂げてきた。
 尊き同志の皆様は、いかなる社会の変化にも即して、使命の天地で、地道に妙法を弘めてこられた。良き市民としての模範を示し、愛する国土の繁栄に尽くしてこられた。ゆえに、今日の発展があるのだ。
 御聖訓には仰せである。
 「一切の事は国により時による事なり、仏法は此の道理をわきまうべきにて候」(同1579ページ)
 その地の国情や慣習を完璧に尊重していかなければ、かえって法を下げてしまう。
 妙法は「妙なる法」「不可思議の一法」である。どのような社会の形態にも、いかなる時代の変遷にも、自在無碍に合わせながら、その地の人々の幸福の道を開き、その国土の平和と安穏の道を開いていけるのである。

 一、「清澄寺大衆中」には、「今年は殊に仏法の邪正たださるべき年か」(同893ページ)との一節がある。
 仏意仏勅の学会に怨嫉した邪宗門の、滅びゆく姿は、眼前にある。
 新しい一年も、創価の正義と真実を、勇敢に叫び切っていくことだ。
 大聖人が発せられた、広宣流布への大音声を、我らも轟かせよう。そして、新たな地涌の人材群を、一人、また一人と呼びいだしてまいりたい(大拍手)。

● 広宣流布の勝利の大道を永遠に
 一、「有名な中国の孔子の言葉に、こうある。
 「吾十有五にして学に志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳順(みみしたが)う。
 七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
 動乱の世にあって、幾多の試練を乗り越え、偉大な境地を開きながら、門下を薫陶してきた孔子ならではの人生観である。
 孔子は、「八十」については論及していない。
 あとに続く青年の薫陶に心血を注いでいた孔子の心情を勘案し、あえて、私なり心現代的に申し上げるならば、たとえば──
 「八十にして、青年と共に未来を開く。
 八十にして、世界の知性と共に平和の世紀を開く」──となろうか。
 もちろん、これは、私自身の決意でもある。
 大仏法の不老不死の大功力を生き生きと示しながら、何よりも大切な後継の青年たちのために、私は生き抜く。
 そして、目覚ましく成長する頼もしき青年たちと共に、永遠に広宣流布の勝利の大道を開いてまいりたい(大拍手)。

 結びに、わが大切な全同志の健康と長寿を祈りつつ、記念の一首を贈り、私の新春のスピーチとさせていただきたい。

  誕生日  功徳(はな)に囲まれ
         創価城
       栄え光らむ   広布の陣列

 本年一年、どうか、よろしく頼みます。
 学会は、行動者の集まりだ。広布へ動けば、健康になる。共に悔いなく戦おう!(大拍手)
  2008・1・2