投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 2月 4日(水)12時06分41秒  

見込みない人びと様
何事も納得が大事になりますね。納得があればこそ、自発も共感も生まれます。
団結においても、根本は一人ひとりの納得であり、納得なくして団結なしなのです。
それを意識できたら、組織での所謂「雑な打ち出し」が、どれだけやる気を削ぐ行為であるかがわかるものです。
いくつか池田先生の指導を挙げておきます。

「指導者には責任がある。一生懸命であることは当然ですが、ただ、それだけでよいと思ってしまえば、自己満足に終わってしまう。一つのことを行うにも、それがいかなる意味を持ち、結果的にどうなるかを、長い目で見て、考え抜いていかなければならない」新人間革命6巻

「幹部が現地に行き、会合に出たり、メンバーと会うのは、ただ、情報を伝えるためではない。勘違いされては困る。みんなを触発し、一念を変え、決意を固めさせるために行くんです」新人間革命12巻

「大ざっぱであったり、漏れがあるというのは、全責任を担って立つ真剣さの欠如といってよい」新人間革命14巻

「さまざまな任務に積極的に取り組んでくださる同志の献身を、幹部が当然のように考えるのは誤りであり、それは、傲慢である」新人間革命16巻

だいせーどー様
私も同じく、まだまだおかしくなるのは先であろうと思っていました。しかし、魔王というのは人々の発想の斜め上を行きますね。軽くリスペクトしてしまいました(笑)
悪との闘争という言葉がありますが、悪も善との闘争をしているのだなと感じます。意表を突いた奇襲作戦を仕掛けてきてもおかしくはなかったんですね。戦というものは、相手を甘くみたほうが敗けるというのが定石でしょう。はっきり言って、油断していました。

信心というのは、いつ狂ってもおかしくありません。立場が上であればあるほど、尚更です。私は今回のことを教訓として、もう一度、信心の基本に立ち返ることを決意し、朝晩の勤行と一日一時間以上の唱題をあげることを12日前よりスタートしました。これが私の原点でもあるからです。大仏のグリグリのとこ様の講義にあるように「善悪ともに生かす」ことが重要だと考えます。

最高幹部が狂う姿をみて、同時にそれは他人事ではなく、自分も狂う可能性があることを示唆しています。そのように捉え、まずは自分自身を戒めていくことが、悪を生かすことになり、価値の創造にもつながるのではないかと思うのです。
悪を責めるだけではなく、悪を手玉に取り、価値へと転換する。これがジョーカー流なのです。