投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 8月21日(日)06時34分57秒   通報
日寛教学の一大秘法について

saysaysay様のご質問にもありましたが、難しい問題ですね。
実はこの問題についても私は随分悩みましたが、とりあえず自分の持っている資料と、ネットの御書講義などを
参考にして、一人でいろいろと調べました。
それを少し書かせていただきましたが、これはあくまで私の個人的な考察です。
結論から言えば、私は日寛上人の三大秘法、六大秘法、そして一大秘法は大聖人の仏法の要だと思っています。
現在の学会教学では、日寛上人のこの教義を使わないと公言していますが、その根拠は、大石寺や今までの学会教学に
おいて日寛上人がおっしゃっている一大秘法である「本門の本尊」の意味とは、そのまま直接大石寺の大御本尊という
ことになっているからです。
更に、その大御本尊を御安置する場所を、六大秘法の中の「事」の本門の戒壇にあたるとしているので、
正宗と関係の切れた現在の学会では、大石寺の大御本尊及び、その大御本尊を御安置するお寺を、
そのまま「事」の本門の戒壇とする教義を受け入れる訳にはいかないので、どうしても日寛上人の教義を切らなければ
いけなかったのだと思います。
そして、その理由付けを
「日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺の法主が続き、疲弊した宗派を護る
という要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく
必要がある。ー 略 - その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。」
創価学会教学部 「会則の教義条項改正に関する解説」(下)より
と、書かれてある通り、一大秘法である本門の本尊を、そのまま大石寺の大御本尊として解釈したことを
「疲弊した宗派を護る」為の方便だったとして、今後は使わないと決めたと思われます。
誤解の無い様に言っておきますが私の意味するところは、一大秘法である本門の本尊とは大石寺の大御本尊ではないとか、
大御本尊を御安置する場所が「事」の戒壇ではないと結論づけている訳ではありません。
又、逆に「一大秘法」というその時点ですぐに大石寺の大御本尊の事である、と結論づけているわけでもありません。
ただ、日寛上人の三大秘法、六大秘法、そして一大秘法の理論(事の一念三千の御本尊への帰着)それ自体は、
まだ理論のレベルの「化法」のレベルであって、では現実にどういうご本尊をどうやって広宣流布の為に流布していく
のかとは、又別問題であり、これは「化義」の問題だと思っています。
つまり実物の現在大石寺にある大御本尊の意義は、まず三大秘法、六大秘法、そして一大秘法という法理を深く検証した
あとで、その後に続く問題ではないでしょうか。
ですから、今私達がやらなければいけない事は、まず、日寛上人の三大秘法、六大秘法、そして一大秘法の法理を深く
検証することから始めなければ真実の広宣流布はできない様に思えます。

ですから、私はまず私なりに、御書から三大秘法をひも解くカギを探してみました。