投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月28日(水)02時32分13秒  

一般的に目標とノルマの違いは、目標とは自分の意思で決定していくものであり、ノルマは他人が設定するもの。宗教とは心の世界の話であるから、数字を追うこととは相反する世界であることが前提となりましょう。
それでもなぜ目標を設定するのか。新人間革命2巻に「意義、目的の理解と合意ができたならば、目標の設定である。目標は、組織としても、個人としても、より具体的でなければならない。目標があれば、張り合いも出るし、達成できた時の喜びも大きいものだ」と。

「張り合い」と「喜び」、この二点があげられています。そのための目標設定であり、それ以上でもそれ以下でもない。それがいつしか目標がノルマ化し、張り合いや喜びを奪う働きとなってしまうところに、組織悪があります。
ノルマ化の例として、人間革命12巻で、戸田先生は「数を打ち出すのはよいが、みんなが組織のために、折伏に追い立てられているように思いでもしたら、歓喜もなくなるし、力も入らない。そんなことにでもなれば、みんな功徳をうけられなくなってしまうからね」と。

目標がノルマ化されてしまう要因として、「何のため」の欠如があります。そして、新聞多部数購読問題の根底にあるものは、ただの組織間の「面子争い」です。目標達成できないと、プライドや沽券に関わり、面子が丸つぶれとなります。広宣流布でも何でもなく、ただただ面子を守る戦い、それこそが本質でしょう。
人は感情の動物であるが故に、正しいだけでは動きません。つまらないプライドにこだわるのが人間というものです。多部数購読は、資源とお金の無駄です。だけど、誰かの面子は守られます。

ぬらりひょん様の感覚は正しいですし、私もまったくもって同感であり、普通に考えればわかることでしょう。奥様が、トランスモードになられて、聞く耳もてない状況になってしまったことは、さぞ残念、無念でしょう。それでも、私は信仰のことで夫婦が言い争ったり、揉めたりすることには反対なのです。それだと元も子もなくなってしまいますので。

組織で一番の敵は何なのか、それは「空気」です。日本人は村社会の名残もあり、空気を大切にします。いかに空気を読み、場を和ませ、揉め事を起こさないか。だから本音よりも建前を重視し、我慢もしていきます。多部数購読というのも、空気を読んだ結果でしょう。村を守るために。

多部数購読は広宣流布のためにはならないどころか、マイナスとなります。組織の面子は守られますが、代わりに人材の流出が起きるからです。ただ、その自覚があるのなら、やっても構わないとも考えます。つまり、広宣流布のためにはならないけど、組織の面子をつぶさないために多部数引き受けますというのなら、「あ、この人わかっているな」と。多部数購読が広宣流布のためになっていると信じている人は、ただの狂信者であり、ただただ、「おちつけよ!」と、言いたくなります。

空気を読む、面子を守るという問題は根が深いです。正論が通じればよいですが、そうもいかないのが現実でしょう。不毛な争いを避けていくことも智慧であり、一応は認めても、ただし、しっかり自覚させるという折衷案こそが現実路線かなと考えます。