投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月15日(月)08時05分34秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-8-15~16 【各部代表研修会】

■ 一、人間と哲学を磨く各部代表の研修会、本当に、ご苦労さま!(大拍手)
 私は、ただ世界平和を祈り、庶民の幸福を願って、世界中の指導者と対話を重ねてきた。
 戦争でなく平和を!
 敵視でなく友好を!
 分断でなく連帯を!
 そうした恩師・戸田先生の人間主義の思想を、全世界に訴え、広めてきたつもりである。
 中国へ、ソ連へ、アメリカへ飛んだ。キューバにも文化の橋をかけた。
 これまで9度にわたって会談し、ともに対談集を出したゴルバチョフ元ソ連大統領が、しみじみと語られていた。
 「50年を政治の世界で生きてきた私は、池田博士との対話を通して、人類を救い、普遍的価値を高める宗教の力を知ったのです」
 我ら創価の運動は、民族を超え、国境を超えて人々を結ぶ。平和と文化の光を広げゆく。そこに世界の識者は、21世紀の宗教の模範を見出しているのである。
 あの国でも、この地でも、SGI(創価学会インタナショナル)の同志は、誠実に、地域に貢献しておられる。
 皆様を代表して私と妻が拝受した「名誉市民」称号は、社会の信頼がいかに大きいか、その輝く証しである(大拍手)。

●民衆利用の勢力とは猛然と戦え
 一、平和を阻む「一凶」とは何か。
 それは、「民衆を蔑視し抜くという権力の魔性」であると、戸田先生は喝破された。
 今は「主権在民」である。「民衆が主人」だ。権力者は民衆に尽くすべき立場である。
 それを忘れ、私利私欲のために民衆を利用する権力者に対しては、火ぶたを切って、猛然と戦わねばならない。
 「権力の魔性」から民衆を守るには、「力ある指導者」をつくるしかない。これが先生の結論であった。
 ゆえに、青年への薫陶は厳しかった。
 民衆の正義の連帯を破ろうとする者がいたならば、青年部が直ちに戦えと厳命された。

●戸田先生「苦労した人を幹部に」
 一、私は青年時代、初代の渉外部長を務めた。悪意の中傷を行う者がいれば、即座に飛んでいって厳重に抗議した。
 きょうは関東の代表もおられるが、埼玉や栃木にも行った。無理解や偏見を、厳然と正した。相手が非を認めるまで一歩も退かなかった。
 師の心を、わが心として、動きに動いた。死にものぐるいで戦った。そして今日の「世界の大創価学会」を築き上げたのである。
 先生は「苦労した人こそを、幹部として登用していくのである」と、はっきり言い残された。
 ずる賢く苦労を避け、信心を失い、堕落する幹部が出たならば、皆で峻厳に戒めていくことだ。
 そうでなければ、どこまで傲慢になるか。仏子が食い物にされるか。断じて許してはならない。
 私は、今こそ、師弟に徹する「本物の人材」を育てたい。「本物の青年」を育てたい。
 そして「本門の池田門下よ、新時代を勝ちまくれ!」と声を大にして叫びたい
(大拍手)。

●相手に会った 瞬間が勝負!
 一、いよいよ、全国で広布第2幕の大行進が始まった。
 私のもとには、決意の報告が、続々と届いている。一つ一つが、最高に尊い、永遠に残りゆく広布の歴史である。
 新しき「拡大」の根本の力は、何か。
 それは、祈ることだ。
 ──師匠がつくった組織です。広宣流布の組織です。同志のため、平和のため、世界のための組織です。
 御本尊様、どうか、わが組織を守ってください。増やしてください──
 そして、具体的に目標を掲げて祈っていくことだ。
 師匠のため、同志のため、広宣流布のために──この一点に心を定める。これが大前提だ。
 自分のための祈りだけでなく、「広宣流布のために」という大願に立ってこそ、偉大なる仏力。法力は涌現する。秘められた無限の力を発揮することができる。
 戸田先生は、心の壁を破る対話のポイントを、こう教えてくださった。
 「大確信で話すのだ。そして、相手に会った瞬間、まず『勝つ!』と腹を決めるのだ」
 人を動かすのは、形式ではない。肩書でもない。
 大事なのは、人の心に感動を与えることだ。
 「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
 皆の心をつかみ、皆の心に入っていくような大確信の声で、広宣流布の勝利劇──「今生人界の思出」(同467ページ)を幾重にも綴っていただきたい(大拍手)。

■ 一、きょうは広布の花・女子部の代表もおられる。日本一の女子部をつくっていただきたい。
 若き女性が、哲学と友情のスクラムをがっちりと組んでいる。これが、どれほど尊いことか。

誰人も 見るも見ざるも 我咲かむ
日本一の女子部、万歳!
 壮年部、婦人部も、女子部を大切に守り、支えていただきたい。
 女子部を大事にしたところが勝つ。女子部は学会の宝である。朗らかな前進を、皆で応援していきたい(大拍手)。

●師子となりて一人立て!
 「広宣流布──それは、ただひたすら、黙々と、人々の幸福のため、世界の平和のために戦い抜いてきた「陰の人」「無名の庶民」による、未曾有の大民衆運動である。
 だれも見ていないかもしれない。烈風の日も、嵐の日も、あるかもしれない。
 しかし、私は、自ら決めた道を行く。師子となりて、一人立つ。
 これが、学会魂である。私自身、こう決めて生き抜いてきた。
 あらゆる迫害を受けながら、陰で、戸田先生をお守りし、学会を守り抜いて、今日まで走り続けてきた。

●リーダーの気迫、勢いで決まる!
 一、恩師を世界に宣揚したい──私の人生は、ただ、これだけである。
 師匠ほど大切な人はいない。師弟こそ仏法の魂である。師弟に徹し抜けば、打ち破れない壁などない。
 先生は断言された。
 「戸田の言う通りに実践すれば、必ず結果が出る」
 本当に、その通りだ。恩師のおっしゃる通りにすべて実践したから、今の私がある。
 逆に、表面では先生を尊敬するふりをして、いざ難を受けると、かえって師を罵倒する、毒蛇のような人間もいた。
 尊敬とは正反対のヤキモチである。人の心は恐ろしいものだ。
 戸田先生は鋭く見抜かれていた。
 「自分よりも勝れた者があると妬んだり、悪口を言ったりしがちなものだ。これは、すべての事業や企てを破壊する原因で、人柄の小さい、度量の狭い人間である」
 広布のために捨て身となり、生命をかける決心がなければ、真の仏弟子ではない。気取りや格好や口先だけでは法盗人である。諸天も動かない。
 リーダーの気迫、行動の勢い、心に響く訴えが本末究竟して、全軍が生き生きと前進していく。”殿様”などではなく、生涯”一兵卒”として、真剣に働くのだ。
 ともあれ、仏意仏勅の広宣流布の人生ほど、尊いものはない。
 その聖業を、真剣に実践されている皆様方は、まさしく世界最極の善人である。永遠の幸福者であり、勝利者である。

●戦争の惨劇に直面し、改心
 一、アショカ大王の生涯は波乱に満ちていた。
 当初、彼は暴虐を極め、人々から恐れられる悪王であった。
 その大王の転機となったのは、カリンガ国(現在のオリッサ地方)との戦争である。
 カリンガ国では10万人の命が奪われ、15万人が捕虜になったといわれる。
 無数の民衆が家を焼かれ、親を失い、子どもを失った。嘆き、悲しみ、絶望、怒りが満ちた。
 まことに、戦争ほど残酷なものはない。
 アショカ大王は、こうした民衆の苦しむ姿を目の当たりにした。そして、痛切な悔恨にさいなまれた。
 そして、「軍事力による征服」から、「法(ダルマ)による統治」へと、大転換をしていったのである。
 この点をめぐって私は、インドのラジブ・ガンジー現代問題研究所の招聘で、講演も行った。
 〈池田名誉会長は1997年10月、ニューデリーのラジブ・ガンジー財団本部で「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題して講演を行った〉
 また、インドの哲学者ラダクリシュナン博士との対談でも、大いに論じ合った。
 ラダクリシュナン博士は語っておられた。
「ガンジーはアショカ大王に、理想的な国家の統治者としての姿を見いだしました。
 大王が、戦争が無益であることを深く理解していたこと、そして彼がのちに国家政策として戦争を放棄したことに、ガンジーは強く惹きつけられたのです」
 「最初は暴君と恐れられたアショカ大王でさえ、平和の指導者へと変わることができた。自己を変革することができた。
 つまり”アショカ”は、一人ひとりの心の中にいる。だれもが自分を変えることができる──そうガンジーは見たのです」
 「ガンジーは、『征服王』が『平和の使者』に変わったことは、仏教の教えの偉大な勝利であると言っています。
 アショカ大王の偉大さは、彼が仏教の教えのなかに、変革、啓発、能力の強化のための、合理的で倫理的な原理を見いだしたことにあります」

 一、アショカ大王が自らの過ちを悔い、改心するうえで、彼の甥ニグローダに大きな影響を受けたという伝承がある。
 はつらつと修行に励む若い生命が、王の胸を揺さぶり、暴虐の心に慈悲の光を灯したというのである。
 ニグローダは、今でいえば、ちょうど青年部か未来部の年代だったであろう。
 正しい信仰に励む「一人」が、どれほど大きな存在であるか。
 真面目に、希望をもって生きる青年の凛々しい姿は、人々にどれほどの感動を広げるものか。

 一、戸田先生は、「一人の青年が命を捨てれば、広宣流布は必ずできる」と断言された。
 戸田先生にお会いしてより、六十年。私は、その「一人」となることを深く誓願し、命を賭して戦い抜いてきた。
 今、本門の青年部の諸君に、私は「時代を変えゆく『一人』たれ」と呼びかけたい。
 君たちこそ、「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)だからである(大拍手)。

■ 正しいものを正しいと評価できない。優れたものに嫉妬する。そうした心の狭さは、海外から見ると、よくわかる。
 また、焼きもちを焼かれた当人が、どれだけひどい実情か、一番、よくわかっている。
 学会の前進も、一面から見れば、嫉妬との戦いであった。
 私は、大変な時も、苦しい顔など一切、見せなかった。難こそ仏法者の誉れであるからだ。
 あらゆる嵐を乗り越えて、今、学会は立派な広布の基盤ができた。しかし、それに甘えて、幹部が愚かになってはならない。一生懸命戦った人が損をしてしまう。恐ろしいことだ。

●リーダーは必ず「信義」を貫け
 一、日蓮大聖人は、題目の力用を讃えて、「太陽が東方の空に昇ったならば、南閻浮提(=世界)の空は皆、明るくなる。太陽が大光を備えておられるからである」と仰せである(御書883ページ、通解)。
 題目は、無限の力を引き出す。どんな戦いであれ、真剣に題目をあげることだ。
 誰にでも、自分にしか果たせない使命がある。その使命を堂々と果たすための舞台を、御本尊からいただくのである。そして、断固勝つのだ。
 会合等で人が集まったら、幹部は皆を「喜ばす」のが使命である。決して「動かす」のではない。
 また、同志に対して、師弟の心を伝えようとせず、自分本位の意見を押しつけようとする。そんな話は駄目だ。真剣勝負で、人の心を打つ。その努力がなければ、新鮮味もなくなってしまう。
 討議では、頭を使い、知恵を出し尽くさねばならない。そして、決めたことは絶対に守るのだ。それが「信義」である。それを、他人にやらせて自分がやらなくなると、組織は潰れる。
 この点、戸田先生は実に厳しかった。
 その戸田先生に、私は仕え抜いた。先生の苦境を救うために奮闘した。「おれは大作という弟子をもった。それだけで満足だ」──そう言っていただけたことが、私の無上の誇りである。

■ 一、いよいよ、新しい広布の戦が始まる。
 牧口先生は「われわれは、これからのことを考えて生きていくのだ」と語られていた。
 戦いの急所は何か。その一つが「責任者を明確にする」ことだ。
 そして最高の祈りと最高の作戦である。
 戸田先生は「想定されるあらゆる事態に備えて、的確な対策を立てよ」と教えられた。
 勝利を呼びこむ風がなければ、新しい風を起こすのだ。
 何より、皆をほめ讃えることである。同志がほっとして前進していけるよう、名指揮をお願いしたい。
 さらに、皆への話は、スカッとして明快でなければならない。くどい話は、だめだ。格好をつけた、偉ぶった話は、最低である。
 皆の胸に、自分の命が入るように、魂が響くように語るのだ。
 皆が「そうだ!」「やるぞ!」と奮い立つ。心と心が合致して、すっきりと戦える。そこに勝利への第一歩がある。

●「人間が目的」「国家は手段」
 一、私の胸には、戸田先生の烈々たる叫びが響いてくる。
 「民衆のため──この一点を忘れれば、必ず慢心となり、堕落する。そういう人間を絶対に許してはならない」
 指導者は民衆のためにいる。この思想を確立しなければ、愚かな歴史が繰り返されるだけだ。
 私も語り合った、シンガポールのナザン大統領が述べておられる。
 「人生で最も尊敬する人は、母です。母から学んだことは民衆の強さです。
 そして社会の指導者は、民衆の苦しみが分かる人でなければなりません。なぜなら、社会の力、国家の原動力は民衆です。この点を見失ってはならないのです。
 民衆に同苦し、常に民衆の味方として、民衆の幸福に尽くしていくリーダーこそが大切なのです。
 これが国家を、永遠に繁栄に導いていく最大の秘訣です。民衆の力を信じきることです」
 庶民のため、不幸な人のため、名もない人のため──そのために、指導者はいる。一心不乱に人々に尽くすことだ。
 私と対談集を発刊した欧州統合の父、クーデンホーフ・カレルギー伯爵は記している。
 「国家は人間の為めに存在するが、人間は国家の為めに存在するのではない」「人間は目的であって、手段ではない。国家は手段であって、目的ではない。国家の価値は、正確にその人類に対する効能の如何に関する。即ちその人間の発達に貢献することが大なれば大なるほど善であるが──その人間の発達を妨碍するに至れば、直ちに悪となる」(鳩山一郎訳『自由と人生』鹿島研究所出版会)
 国家主義の悪に対しては、厳しく声をあげていかねばならない。
 戸田先生も愛読された作家に、山本周五郎氏がいる。
 庶民を愛した氏は「政治は必らず庶民を使役し、庶民から奪い、庶民に服従を強要する。いかなる時代、いかなる国、いかなる人物によっても、政治はつねにそういったものである」(『山彦乙女』朝日新聞社、現代表記に改めた)と警告した。
 民主主義の世の中で、これほど、おかしなことはない。この転倒を、根本的に正していくのが、私たちの戦いである。

●大闘争の中で人格を磨け!
 一、創価の前進は、国家主義から人間主義へ、大いなる潮流を各界に巻き起こしていく。
 戸田先生が、「学会の革命は、広さは随一である。あらゆる部門にわたり、全民衆から盛り上がる力である」と言われた通りである。
 新しき広宣流布の歴史を開くには、まずリーダーが動くことだ。
 戸田先生は、こう振り返っておられた。
 「牧口先生は、寒くとも暑くとも、毎日、折伏にお出かけになる。どんな裏町までも、どんな家庭までも、折伏の陣頭に立って進んで行かれる」
 青年は、この先師のごとくに行動すべきだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「本陣のリーダーは、会員に尽くす先兵である。全責任をもって、広宣流布の人材と組織を護り、発展させゆく使命の人である。賢明で、力ある、模範の存在として選ばれた、広宣流布の闘士なのである」
 気迫みなぎる素晴らしい言葉である。
 さらに先生は「闘争の体験を生かし、より以上の信力・行力を奮い起こせ。仏力・法力は必ずこれに応えてくださる」と訴えられた。
 大闘争が人格を磨く。王者の風格をもっのだ。 本当の誠実と責任感が響きわたるリーダーであってもらいたい。
 あの人に会えば、力が出る。話を聞けば、元気になる。そう言われる、力あるリーダーになっていただきたい。

●広布の同志を仏の如く敬え
 一、戸田先生は、尊き婦人部を、それはそれは大切にされた。
 新たな出発に際し、先生の婦人部への指針を、皆さまに贈りたい。
 「信心をすれば、苦しい時期が短くなり、苦しみ自体が、だんだんと浅くなる。そして、最後にぷつりと苦しみが断ち切れる。そのために、うんと、広宣流布のため戦って幸せになりなさい」
 深い慈愛にあふれた言葉である。
 また先生は、蓮の花を通して指導された。
 「泥沼が深ければ深いほど、大きな美しい花が咲く。人間もそうだよ。苦労が多ければ多いほど、幸福の大きな美しい花が咲くのだ」
 学会活動をやり抜くなかに、本当の女性の美と幸福が生まれる。

●「高慢は無知と比例する」
 一、傲る心は、人を腐らせる。この、傲慢と戦う心について、御書と箴言を通して学びたい。
 若き日の愛読書であった『プルターク英雄伝』には、数々の人生訓がちりばめられている。そのなかに、アレキサンダー大王を描いた、次の一節がある。
 「アレクサンドロスは自分で鍛錬したばかりでなく他の人々にも勇気を養うための激しい練習をさせるに当たって危険を冒した。
 しかし友人たちは富と尊大(そんだい)のためにその頃は既に遊惰(ゆうだ)で閑な生活を欲していたから、彷徨(ほうこう)や行軍を億劫がり、そのうち次第に大王を誹謗し悪口を言うようにさえなった」(河野与一訳、岩波文庫。現代表記に改めた)
 大王の真意を、友人たちは、近くにいるにもかかわらず、歪んだものの見方によって曲解し、逆恨みしたのである。
 御義口伝では、自分の欠点を隠して、よく見せようとするのが増上慢であるとの、妙楽大師の言葉を引いておられる。
 〈「疵(きず)を蔵(か)くし徳を揚(あ)ぐは上慢を釈す」(御書718ページ)〉
 ”男は高慢から馬鹿になる”とは、ドイツの文豪ゲーテの言だ(『箴言と省察』)。
 数多くの看護師を育成したナイチンゲールは、自戒を込めて記している。
 「いったい私たちの高慢心というものは自分の無知と正比例しているとは思いませんか?」(湯槇ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集第3巻』現代社)
 アメリカの教育哲学者デューイは、国家を悪用する役人について述べている。
 「これら(=役人)の権力は私的利益へと向けられることもある。そのとき、政府は腐敗し、恣意的なものとなる。
 故意にわいろをとったり、私的な栄光と利益のために例外的に権力を用いたりすることは論外としても、高い地位につけば、精神が鈍り、振舞が傲慢になり、階級の利害や偏見に執着するようになる」(魚津郁夫編『世界の思想家20 デューイ』平凡社)
 一方でデューイは、官職に就くことによって、視野が広くなり、社会的関心が旺盛になる面も指摘している。
 そして、いずれにしても、「市民の絶えざる監視と批判」が不可欠であると論じるのである。
 傲り高ぶる人間は、いつの時代にもいる。傲慢の生命とは、戦い続ける以外にない。
 イギリスの詩人ミルトンは綴った。
 「(悪徳)が弁じ立てるのに/(美徳)がその高慢をうち砕く弁舌を/もたないのは私にはがまんができませぬ」(加納秀夫他訳『世界名詩集大成(9)イギリス篇1』平凡社)
 傲慢は、勢いのある言論で打ち倒すのだ。

●「悩める人々のために闘おう」
 一、あるとき戸田先生は、草創期の学生部に対し、厳愛の指導をされた。
 「もしも一緒に仏法の真の探究者になるというのなら、私の本当の弟子になりなさい。他所から来て聴いているというような態度は、実によくないぞ!」
 戸田先生が逝去なされた直後に、私は日記に書いた(昭和33年6月19日)。
 「勝たねば、恩師が泣く」
 「悩める人びとのために、闘おう」
 「最高に尊き信心の結晶──。地味にして着実な努力をやりぬくのだ。限りなく、どこまでも。これが、われらの革命の軌道なのだ」
 また、この10日後、私は、学生部の第1回総会に出席した。
 日記には、次のように書いている。
 「午後一時──目黒公会堂にて、第一回学生部総会」
 「恩師の精神を、ただ叫び続けて、この生涯を送ろう」
 幾たびも、激流を乗り越えた。私は、若き日の誓いのままに、叫び続けてきた。結果を残した。今も、寸分も変わらぬ思いで進んでいる。
 昭和32年の12月。学会は、戸田先生の生涯の願業であった、75万世帯の折伏を達成した。
 この師走、戸田先生は、私に一首の和歌をくださった。

    勝ち負けは
        人の生命の 常なれと
      最後の勝をば 仏にぞ祈らむ

 これが、先生からいただいた、最後の和歌となった。
 断じて勝て! 最後に勝て!──これが、創価の師弟を貫く誓願である。勝利こそ、師匠への報恩だ。
 次は、青年部、学生部、未来部の諸君の番である!(大拍手)