投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 8月 6日(土)23時48分29秒   通報
御書P1495 通解
「善いことであっても大善を破るような小善は悪道に堕ちることを知るべきである」

:::::

日蓮仏法における大善とは、法華経の敵を責めることであり、それを差し置いて、小善を為すことは、還って仇となる。54年の、「時流には逆らえない発言」は、明確に優先順位を間違えている。法華経の敵を責めることよりも、組織の秩序の維持が優先されていなければ出ない発言だからだ。要するに大事なことは何もわかっていなかったことになる。先生は、唖然・茫然・愕然とされたことでしょう。

何事も、肝心要を外したら道を誤る。そして、まことの時に忘れてしまうのも人間の性である。法華経の行者とは、法華経の敵と戦う人間のことを指す。法華経の敵と戦うことが、仏法者の最大のテーマであり、仏道修行の真骨頂でもある。悪と戦う心がなければ、大善を差し置いて、小善で善しとしてしまう、勘違いの一念となる。

会員が動揺してはいけないことを理由に、法華経の敵を責めない、戦わない。これも優先順位の誤りである。もっとも、何でもかんでもがむしゃらに責めればいいものではないことは言うまでもない。智慧をしぼり、価値的な戦い方はいくらでもある。だが、根本はどこまでいっても法華経の敵を責めることが第一であることには変わりはない。

法華経の敵は、中にも外にも溢れている。もちろん自分自身の中にもいる。それが末法である。法華経の敵を滅し、生命尊厳の思想を社会に流布することが学会の使命(広宣流布)である。そのためには、学会員一人ひとりの心の中に、法華経の敵と戦う精神を植えていく以外にない。それでこそ、仏意仏勅の創価学会である。