投稿者:モンブラン 投稿日:2016年 8月 4日(木)11時48分5秒   通報
以前から、幹部の言動が、池田先生のご指導と、あまりに違っていることに疑問をもっていた。ある時期から、御書と入手できる池田先生の著作すべてに目を通すようにした。するとびっくり、組織幹部の言っている内容とは、別世界が、目の前にひらけてきた。御書は、わからないところが多いが、それでも、繰り返し全編に目をとおしていくと、先生の著作の根拠になっている御文を次々と発見できる。特に、この掲示板に遭遇したあとは、気づきの速度が速くなった気がする。

組織幹部の言っている内容が、三代会長のご指導もしくは御書に基づいたものなのか、我見なのか、少しずつではあるが、見分けられるようになってきた。

先生の対談集を読んだ小林節慶応大学名誉教授が、自分も池田先生に守られている一人と気づき、感謝の気持ちをもっていたと、どなたかが、書いておられた。私もまったく同感である。先生の著作は、世界の良識にとって、宝の存在であると思う。

対談集・SGI提言等の内容を、ありとあらゆる工夫をして、学会員に、徹底すべきであると思う。直弟子などと名乗るのであれば、率先して、池田先生の思想を、「普及」すべきである。ましてや、2006年以後の詩やスピーチを発刊しないとは、言語道断。この事実だけで、執行部は、反逆していると私は考える。

佐藤優氏のみならず、私のクリスチャンの友人は、実によく、聖書を学んでいる。御書を常に持ち歩き、質問をすると、御書を開いて、説明してくれる先輩が昔は多くいた。最近は、とんとみない。池田先生の弟子、と自称するのであれば、ぐりぐり様位、三代会長及び御書を研鑽しているのがあたりまえではないか、もっとも私には、佐藤優氏の主張に、同意できない部分が多々ある。

日寛教学を見直すと発表してもう随分時間がたった。さぞかし、内部も敵も、驚嘆するような立派な発表があるのだろう。(皮肉)
昭和54年前後、「池田先生も人間だから」といっていた幹部が複数身近にいた。池田先生は、人間に決まっているがそれが何なんだ、私にとっては師匠だ、あなたたちとは違う、と思っていた。その後、その幹部の一人は、不祥事を起こして、どこかに消えていった。池田先生を何だと思っているのか、許しがたい。

かつて宗門との闘いで、拠点や各家庭のご祈念板に、打倒日顕等書いて、祈っていた。今は、悪の4人組とその仲間たちの名前を書いて、8月24日を期し、学会からたたき出すべく唱題に励む日々である。

職員ではない、一般会員の投稿です。乱文・乱筆はご容赦ください。