投稿者:イササカ先生 投稿日:2016年 8月 3日(水)12時20分46秒   通報 編集済
投稿者:くらさい@少し真面目モード 投稿日:2014年10月26日(日)23時21分4秒

■2009年、T治一派の横暴は頂点に達した。狂気の嵐が吹き荒れた。
パワハラに心を病んで出社できなくなった記者も出た。
事ここに至ったとき、聖教の若手らが声をあげた。
さすがに、動かざること山の如しの良心派の職員らも一部ではあるが若手を応援した。
声がCPに届いた。T治一派16人が“打ち首遠島獄門”に。
ただし、解雇や除名にはならないあまあまの処分だった。
しかし、T治事件は、下からの告発で上の不正が糾弾された“学会史上初”の前例となった。

■同年夏の総選挙大敗北による自公連立崩壊で、さしもの「悪の三位一体」も息絶え絶えに。
しばらくなりを潜めていたが、2010年夏のCPの病気入院と、民主党政権の自滅で息を吹き返し、
2012年暮れの政権復帰で完全復活。いよいよ本性を露わに。

■宗教性より政治の権謀術数を優先、
CPの思想より学会の組織厳護を優先する「悪の三位一体」の路線が露骨になった。
この動きに、一人の青年職員が告発に立ち上がった。
しかし、結局、2012年春、懲戒解雇に処せられた。
このときも、良心派の職員らは青年を守ろうともしなかった。そして、2013年・・・。

■「悪の三位一体」は、11・18の大誓堂落慶の時を、
自分たちの独断専行による学会改造総仕上げの決着点と定めた。
春から大御本尊の意義改変、日蓮世界宗の旗揚げ、会憲の制定をごり押しし始めた。
一方、T川は都議選、参議院選で一般会員が奮闘している最中、
11・18の会長就任への行程を練っていた。
「私は11・18で会長になります・・・」

■障害は二つ。一つは不適切な関係がバレてしまった女子職員の処遇。
もう一つは最大恥部374919事件の証拠を握るH氏の社会的抹殺。
参院選が終わるやいなや障害の排除に動き出した。女子職員には寿退社を理由に退職を。
投票が終わるや、早々に、職場の同僚や地元組織の誰にも告げず夜逃げ同然で転居した。

■H氏には同じ週に四谷警察へ刑事告訴。
不正ログインして入手した文書や、デッチ上げの自作自演怪文書を根拠に警察を動かし、
H氏を逮捕、起訴させ、それを理由に学会を除名にする作戦だった。
ところが、学会本部から漏れ伝わってきていた情報でH氏が逆襲。
作戦は結局不発に。

■9月に入って、「悪の三位一体の連中」が大御本尊問題、
会憲問題の決着を急がなければならなくなった時、教学部が立ち上がった。
T治事件の時も立ち上がった人たちだった。

いよいよ良心派の職員らも立ち上がり始めた。
大御本尊問題、会憲問題も、教学部の踏ん張りによって、
CPから「拙速に急いでやるようなことではないのではないか」
「今は、もめ事を起こす時ではない。裁判なんかも少なくして」等の回答が引き出され、
「悪の三位一体」も結局、引き下がらざるを得なかった。

■しかし、立ち上がり始めた時は、すでに時遅しか!?
カギをにぎっていた人々が「悪の三位一体」一派に取り込まれ、良心派の職員らがついに標的に。
この掲示板でT治一派の残党職員から暴露があったように、昨年12月には、
良心派の副会長二人が局長から外され、今年6月にも局長兼任の副会長が。
7月には教学部の二人も更迭された。

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こう見てくると、
「悪の三位一体」一派による学会乗っ取りを潰すチャンスは幾度もあったと分かる。
「天鼓」事件の時、葬儀屋を潰しておくべきだった。
「悪の三位一体」の最初の大ピンチだったかも知れない。
9年間で5000万円のタカリも、T治だけでなくS藤の仕業でもあるのだから、
この時、セットで追放すべきであった。