投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月 2日(火)08時00分11秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-8-6~11 【全国最高協議会】

■ 一、はじめに、上半期の全同志の奮闘に、最大に感謝申し上げたい。
本当に、ご苦労さまでした。ありがとうございました(大拍手)。
また、伝統の夏の最高協議会の開催、ご苦労さまです。
広宣流布のために、次の戦いを、しつかりと勝つように、心一つに打ち合わせを進めてまいりたい。
「勝つ」ことが、全会員の喜びであるからだ。
そしてまた、「勝つ」ことが、広宣流布が進むことであるからだ。
仏法は勝負である。勝たねばならない。
勝つことで、子孫末代も幸福になる。
勝ち抜いた福徳は、親から子へ、そして未来へ永遠に伝わっていくのである。
さあ、創立80周年(2010年)へ新たな出発である。
断じて勝とう! そのための最高協議会である(大拍手)。

一、「真剣」と「誠実」は勝利である。
「真剣」とは、環境や状況がどうあれ、わが責任を果たし抜くことである。
「誠実」とは、だれが何と言おうが、自分が犠牲になって、勝利に尽くしていくことである。
その通りに、私は行動してきた。
最も大変なところで、常に勝利の証しを打ち立ててきた。

●苦労は自分が
一、「要領」と「口先」は敗北である。
叱ったり、号令をかけるのは、指導者ではない。親分だ。
苦労は自分が背負って、皆は楽にさせてあげる。
学会を守る。一生懸命に戦ってくださっている会員を大事にする。
それが指導者である。この「正しき道」を最高幹部がつくっていってもらいたい。
人を動かそう、人にやらせよう──その怠惰な命は叩き切っていく以外にない。
根本の魂を変える以外にない。
人の心をつかむ人が、指導者である。
皆を喜ばせてあげる。
元気にさせてあげる。
それが本当の指導者である。
指導者は同志に好かれることが大事だ。
「いつもありがとうございます!」「本当にご苦労さまです!」と頭を下げて、同志を讃え、感謝を伝えていくことである。
広布に戦う学会員ほど、尊い存在はない。
だれもが等しく大切な「仏子」である。
この尊き司志を守ろう! 真剣な同志に応える戦いをしよう!──その心がある人が伸びていくのだ。
反対に、同志を軽んじたり、広布の和合僧である学会を私利私欲のために利用する人間の末路は厳しい。
御聖訓に説かれている通りだ。

●弟子が立て!
一、「『師弟』を知った人は、真実の人間である。
まっとうな人間の世界は、すべて『師弟』があるのだ。
そして、その人は、勝利の人生を歩む。
『師弟』をおろそかにする者は、畜生の世界である」
これが牧口先生、戸田先生の確信であられた。
私も青年時代から、戸田先生に仕え切った。
戦後間もなく、戸田先生の事業が挫折。
再建の見通しはなく、大勢の借金取りに追われ、先生のご心痛は、どれほどであったか。まさに地獄であった。
その時、私が一人、師子奮迅で立ち上がり、戸田先生の事業を支えた。
何カ月も月給はもらえない。
もらえないどころか、私が何とか工面して、また、私と妻の実家にもお願いして、戸田先生をお守りしたのである。
それから考えれば、皆は恵まれている。
偉大な戸田先生を貶めようと、悪意のウソを書き立てる人間もいた。
戸田先生を師匠と思えない慢心の幹部もいた。
そうした輩と、一切の妥協なく、戦い抜いたのも私である。
私は祈った。
──広宣流布の真実の指導者は、戸田先生しかいらっしゃらない。
断じて戸田先生に次の会長になっていただくのだ。
そのためなら若い私は、どんなに犠牲になってもかまわない。
絶対に私が戸田先生を会長にするのだーと。
そして、昭和26年(1951年)の5月3日、戸田先生は、晴れて第2代会長に就任された。

●行き詰まったら題目をあげよ
一、現在、全国の会館や研修道場では「夏季フリー研修」が活発に行われている。
また、各地で人材グループなどの代表による研修が予定されていると、うかがっている。
夏の研修会は、創価学会の偉大な伝統となっている。
牧口先生の時代には、昭和11年(1936年)8月に、第1回創価教育学会修養会(研修会)が開催された。
以後、牧口・戸田両先生が投獄される前年の昭和17年の夏まで、毎年、行われたのである。
この研修会では、朝はラジオ体操を行ったり、夜は座談会を開催したりするなど、心身錬磨の研修が活発に進められた。牧口先生にとって、本山(大石寺)で開催する研修会は、烈々たる「破邪顕正」の闘争の場であった。
昭和16年の研修会では、牧口先生は「法罰論」を誹謗する宗門の坊主の邪義を、厳しく破折されている。
先生は、宗門の坊主の臆病な主張を破折して、師子吼しておられた。
「御本尊は偉大な力がおありになる。罰なくして、大利益があるわけがない」
「御本尊をじっと拝んでみよ。『若し悩乱せん者は頭七分に破れん』との御本尊のおおせが聞こえないか。御本尊が罰をおおせではないか」
烈々たる大確信の叫びであった。

●未来は今の行動で決まる
一、アメリカの人権闘争の指導者、マーチン・ルーサー・キング博士は、公民権運動の歴史を大きく開いたモンゴメリーのバス・ボイコット運動で、ともに戦ってくれた同志を見て、こう語った。
「断乎とした勇気よりもすばらしいものは世に何もない」(雪山慶正訳『自由への大いなる歩み』岩波書店)
いわんや私どもには、究極の信仰がある。宇宙大の仏法を持っている。何も恐れる必要はない。 強く、強く、生き抜いていくのだ。攻撃精神を忘れてはならない。
戸田先生は、よく言われていた。
「闘争を開始するからには、それだけの準備と決意と闘魂をもって、断じて勝つのだ!」
インド独立の父、マハトマ・ガンジーは叫んだ。
「未来は、私たちの今の行動にかかっている」
「未来」のために「今」を勝とう! ともに、心新たに出発しよう!(大拍手)

●不正義に対する女性の怒りを!
一、私は現在、アルゼンチンの人権の闘士で、ノーベル平和賞を受賞したエスキベル博士と対談を続けている。〈題名「人権の世紀へのメッセージ──”第三の千年”に何が必要か」。『東洋学術研究』で連載中〉
博士は、女性の役割を重視し、SGI(創価学会インタナショナル)の女性の活動にも、平和建設への大いなる希望を見いだしてくださっている。
対談で、博士は述べておられた。
「不正義に対する女性の怒りほど強いものはありません」
「女性が沈黙を破り、良心によって立ち上がれば、世界がよりよい方向へ変わっていくことは間違いありません」
学会はさらに、婦人部、女子部が、大いに力を発揮できる環境をつくっていかねばならない。
女性が伸びれば、学会は、もっと発展する。広布は拡大する。
皆が同志として互いに尊敬し合い、楽しく前進していくのだ。
一方、偉ぶる人間に対しては、厳しく戒めていかなければならない。
大聖人は、池上兄弟に仰せである。
「二人が一体で進む姿は車の両輪のようなものである。鳥の二つの翼のようなものである」(御書1108ページ、通解)
異体同心の団結で進もう! 頑張ろう!(大拍手)

■ 人よりも苦労した人、求めて訓練を受けた人、その人が最後に光る。幸福をつかんでいける。
訓練である。訓練を受けていない人は、いざという時に、力を発揮することができない。
では、真の訓練とは何か。それは信心を磨くことである。
折伏の力、対話の力を鍛え抜くことが、最高の訓練である。
戸田先生は言われていた。
「信心、折伏、人材としての訓練や指導を、きちんと受けた者は、皆、立派に伸びている」
「金剛石(ダイヤモンド)は、磨かなければ、それが金剛石であることすら、分からない。真剣勝負で、信心を磨くことだ。そうすれば、無量の福運を積むことは間違いない」
信心を貫いた人は、まさに、ダイヤモンドのごとき不滅の大福運をつかんでおられる。
反対に、責任ある立場にいながら、地道な信心の訓練を避け、戦いから逃げて、ずるがしこく振る舞う、そうした輩は、必ず、惨めな転落の人生となっている。
もしも、そのようなリーダーが増えてしまえば、学会は衰退してしまう。断じて、そうさせてはならない。
戸田先生は叫ばれた。
「大聖人の弟子は師子王の子の如し」
「師子の子は、鍛えれば鍛えるほどたくましくなる」
学会は、師子の集いである。
困難があるほど強くなる。圧迫されるほど勢いを増す。それが、師子の生き方である。
断固として一人立て!
「師子奮迅の力」を出せ!
強き心を奮い起こし、わが「勝利劇」の火ぶたを切ってまいりたい(大拍手)。

■ 後継の友に伝えるべき、一番、大事なことは何か。
それは、崇高なる師弟の魂である。
創価の師弟の誉れの歴史である。
古今東西、正義の人は、正義なるがゆえに迫害されてきた。
だからこそ、「正義が勝つ時代」を開かねばならない。
迫害の構図を鋭く見抜くのだ。そこに渦巻くのは嫉妬であり、慢心であり、私利私欲である。
昭和54年(1979年)の第1次宗門事件も、そうだ。堕落した坊主と、忘恩の反逆者が結託して、正義の学会を乗っ取ろうとした。
どれだけ卑劣であり、陰険であったか。
しかし、私は微動だにしなかった。
──私は師子だ! 戸田先生の弟子だ!
師匠を信ずるということは、師匠の言う通りに実践することだ。
師弟に生き抜けば、恐れるものなど、何もない。
御聖訓には「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448ページ)と仰せである。
私は訴えたい。
後継の君たちよ!
人ではない。自分だ。富士のごとき、不動の自分をつくるのだ。
いかなる嵐があろうとも、師子として叫べ!師子として戦え!
永遠に勝利の道を開きゆけ!(大拍手)

●激動の時代を勝ち抜くには
一、激動の時代の中で勝ち抜いていくための要件は何か。
もちろん、さまざまに分析できるが、ポイントの一つは、「人に頼る心を捨てる」ことではないだろうか。
運動会の伝統の競技「綱引き」に関連した興味深い実験がある。
一人で綱を引く場合と、大勢で綱を引く場合とでは、力の出し方が、どう違っていくかを調べたものである。
綱を引く人数が増えればどうなるか。結果は、人数が増えれば増えるほど、一人一人が出す力は減っていく。
一人の時に出す力を「100」とすると、8人で綱を引く場合には、一人が出す力は「50」以下になってしまうというのである。
共同作業をする人数が増えると、「一人」の出す力が減っていく。こうした現象を心理学用語で「社会的手抜き」と言う。実験をした人の名前にちなみ、「リンゲルマン効果」とも呼ばれる。
“人に頼る心”がある限り、自分のもっている大きな力を出し切ることはできない。

■ 「一人」が大事である。
本物の「一人」が立てば、「万人」の勝利と幸福につながる。
人数が多いかどうかではない。一人でも、二人でも、真剣な人がいれば、全体に大きな波動を起こすことができるのだ。
リーダーは、目の前の「一人」、自分が縁した「一人」を、全力で励まし、伸ばしゆくことだ。

●ほしいのは「人材」だけ
一、今や学会は、平和を築く、世界一の民衆の連帯をつくり上げた。
私は、何も、ほしくない。ほしいのは「人材」だけである。
力あるリーダーが必要だ。リーダーが愚かであれば、インチキな悪人にたぶらかされる。怖いことである。
これまでも、学会のおかげで偉くなりながら、社会的地位や権勢に目がくらみ、堕落し、反逆していった悪らつな人間たちがいた。
彼らは皆、“自分は手を抜いて、楽をして、苦労は全部、人に押しっける”──こういう卑しい心根であった。
その本性は、思うように他者を支配し、従わせようとする「権力の魔性」にほかならない。
同志を苦しめる”地獄の使い”だ。広宣流布を妨げる”魔物”の存在である。
そうした「一凶」の心を、徹して断ち切っていかねばならない。

■ 牧口先生は信念を貫かれて獄死。
戸田先生は2年間の獄中闘争を耐えに耐え抜かれた。
戸田先生以外の弟子たちは、皆、驚き、あわてた。多くは難を恐れ、退転していった。
「まことの時」にこそ、本物が分かる。信心が試される。
「石はやけばはい(灰)となる金は・やけば真金となる」(御書1083ページ)と仰せの通りだ。
日ごろは弟子を名乗りながら、手のひらを返すように、師を罵り、師が苦しむのを陰で笑った者もいた。臆病であり、増上慢であった。
これが歴史である。

●歴史を忘れるな
一、第1次宗門事件では、第3代会長を辞任した。(昭和54年4月24日)
さらにまた、国家権力による宗教弾圧の嵐も吹き荒れた。
多くの同志が心を痛め、私の正義を叫び、勝利を祈ってくださった。
しかし、かつての最高幹部のなかには、嵐の時に戦わないどころか、敵と結託して、私を陥れようとした反逆者もいた。
「怖いのは内部だよ」と言われた恩師の言葉を思った。
この歴史の教訓を、青年部は、断じて忘れてはならない。繰り返してはならない。
「大難と戦う師匠」を守るのが弟子である。
?
一、格好主義は、仏法の敵だ。
戦っている格好をする幹部──それが一番ずるい。
仏法は「不惜身命」である。死にものぐるいである。
創価学会には、「上」も「下」もない。
広布に戦う人が偉い。同志を守る人が偉い──これが出発であり、これが結論である。

■ 「仏の御使いとして、南無妙法蓮華経を流布しようとする人を、日本国の王臣ならびに万民などが、あるいは罵ったり、あるいは悪口を言ったり、あるいは流罪にし、あるいは打ち叩く。さらには、その弟子や眷属などを種々の難にあわせる。そのような人々が、どうして安穏でいられようか」(同265ページ、通解)
学会を甘く見てはいけない。同志を甘く見てはいけない。
学会は広宣流布の団体である。大切な仏の団体である。
学会に弓を引くことは、大聖人に師敵対することに等しいのだ。
さらに、御聖訓にいわく。
「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同1190ページ)「彼の一門皆ほろ(亡)ぶるを各御覧あるべし」(同1413ページ)と。
大聖人は、法華経の行者を迫害した者の末路の厳しさを明確に説いておられる。
そのままの現罰・仏罰が厳然とあらわれていることは、皆さんがご存じの通りである。

●「最も尊敬する人物」の一人に
一、きょうは責任ある最高幹部の集いである。
28年前、私が第3代会長を辞任した当時の話をしたい。
昭和54年(1979年)の4月24日、火曜日。私は、第3代会長の辞任を新宿文化会館で発表した。
全国から集った代表幹部からは、「どうして先生が辞めなければいけないんですか!」「先生が辞められることは、納得できません!」との声があがった。
その後、私は聖教新聞社のロビーで記者会見を行った。
歩いて自宅へ戻ると、妻が、いつもと変わらず、微笑みながら、「ご苦労さまでした」と迎えてくれた。
5月3日、創価大学で、会長辞任の本部総会を終えた後、私は、そのまま神奈川文化会館へ向かった。
学会本部には、私の指揮を執るべき席はなかったからである。
時として、小さな管理者室で執務することもあった。それほど冷たい執行部だった。
この5月3日付の「読売新聞」の朝刊に、日米の国民の意識調査の結果が掲載された。
そこには、日本人が「過去、項在を問わず最も尊敬する」日本人の名前が、上位20人まで挙げられており、第6位として私の名前が出ていると、ある幹部が教えてくれた。
吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、そして昭和天皇と続き、その次が私であった。
会長を辞任して迎えた5月3日の記事に、私は不思議な感慨を覚えた。
無名の庶民の代表として、私の名前が出たことを、同志がどれほど喜んでくれたか。
一方、その意義を感じられず、嫉妬の眼で見つめる愚劣な連中の心は、本当に浅ましかった。
?
●学会の常勝の道
一、初代・牧口常三郎先生は、一生涯、会長であられた。
第2代・戸田城聖先生も、一生涯、会長であられた。
戸田先生は、遺言された。
「第3代は、一生涯、会長として指揮を執れ!
第3代が、一生涯、会長として指揮を執ることこそが、創価学会の常勝の道である」
第3代会長を、皆で一生涯、護れば、必ず広宣流布できる──これは、執行部が、皆、戸田先生から厳命された遺誡であった。
しかし、名聞名利に溺れ、嫉妬に狂い、権力の魔性に屈した人間たちが、第3代の私を追い落とし、迫害し、学会を乗っ取ろうとした。
その陰には、提婆達多のように卑劣な謀略の輩に誑かされた最高首脳がいたことは、よくご存じの通りだ。

■ 戸田先生は語っておられた。
「信心で、白身を磨いていけ! いい輝きが出るようになる」
大事なことは、リーダー自らが日々、自身を磨いていくことだ。
自身の弱さと戦い、自分の殻を一つ一つ打ち破っていくことだ。人間革命していくことだ。
戸田先生は言われた。
「生命力が弱っていては、戦は負けだぞ!」
覇気のない幹部。惰性に流された幹部。自分は何もしないで、人にやらせてばかりいる幹部。
そうした人間に対して、先生は本当に厳しかった。激しく叱咤することもあった。雷鳴のごとき師の叫びに、震え上がる人間もいた。
多くの人を守り、支えていくリーダーなればこそ、先生は厳しかった。すべて、本人の成長を願っての厳愛の指導であった。
先生はこうも語っておられた。
「幹部が自らを指導し、自らが自己を磨いていけば、会員は自然と育っていくのである」

●全員が尊き仏子
一、皆さんは、同志に勇気と希望を送る存在であってもらいたい。
「人々がどう自立し、生命力強く生ききっていけるか。宗教は、その点に鋭く目を向けねばならない」
これも戸田先生の指導である。
愛する同志と肩を組む。一人一人と固い握手を交わすそういう思いで、最前線の友が安心し、自信を持って戦えるように、最大の励ましを送っていただきたい。
そして、どこまでも謙虚に、誠実に、会員の方に接していくことだ。幹部だから自分は特別だと思ったり、威張ったりする人間は最低だ。
広宣流布に生きゆく人は、全員が導き仏子である。平等に偉大な存在なのである。

■ 一、ともあれ、いよいよ新たな戦いのスタートである。戦うからには、断じて勝つことだ。勝ち戦をすることだ。
そのための最高の作戦と行動をお願いしたい。 各地では猛暑が続いている。体調にも十分気をつけて、充実した毎日を過ごしていただきたい。
各地域に戻られましたら、尊き同志の皆様に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
新たな歴史を断じて勝ち開こう!
また、お会いしましょう!(大拍手)